はい、皆さん、こんにちは。ただ今ご紹介にあずかりました高原です。
ある方はこう言いました。人間には3つの顔がある。第1の顔は、よく知らない人の前に立った時に見せる顔です。私たちは初対面の人と会う時に、やはりガードを固めてますよね。この人に自分の本性を表していいんだろうか…。いろいろ気になるじゃありませんか。でも第2番目は、親しい人の前で見せる顔です。家族の前で見せる顔、恋人の前で見せる顔、信頼してる人の前で見せる顔というのは前者とは全く違うでしょう。3番目の顔は何かと言ったら、自分にだけ見せる顔です。信頼している人にすらも見せてない本当の自分というのがやはりあるんじゃありませんか。しかし、聖書によるならば、その3つの顔のどれもこれも全部ご存知の方がおられる。私たちが生まれてから今日に至るまで、人生の経緯の中でどんなことがあったのか、どんなに悔しいことがあったのか、どんなに嬉しいことがあったのか、どんなに悲しいことがあったのか、全部ご存知の方がおられる。全知全能の神、あなたの本当の姿を知ってる方がおられますよと言うんですが、そのことは皆さんにとって嬉しいことですか。それとも怖いと感じますか。
スーパー就活生
実はね、先日、ある就活生、就職活動中の大学生の記事が新聞に載っててね、こんなこと書いてあったんです。彼女はね、四年生大学を出て東証一部上場の大企業総合職に就きたいんです。やがて海外駐在して外国暮らしをするというのが彼女の目標です。ところが、エントリーして、そしてようやく面接までこぎつけるんですが、その面接というのが一対一の面接の前に集団面接と言いましてね、グループで面接を受けるということなんです。その集団面接を受けるまでの間にいる控室というところに通されたんですね。その控え室に行きましたらね、30人ぐらいの学生たちがいまして、彼らが自分の順番を待ってるんですけど、その中に一人ね、スーパー就活生がいたというんですよ。このスーパー就活生というのはね、ここにいてるのみんな俺のライバルだということで、集団面接が始まる前に既に戦いは始まってるという頭なんです。そして、その控室にいているその学生たちに片っ端から声かけていくですよ。例えばね、「君、名前なんて言うの?」「山田ですけど…」「山田君、どこの大学?」「○○大学です」「あ、〇〇大学、僕も受けたよ滑り止めで。まぁ行かなかったけどね。〇〇大学からここ受けるか、凄い度胸だよね」そうやってね、マウント取っていくんですよ。そしてね、もし集団面接で彼と一緒になったら、もう絶対かないっこないよってことで、この就活生たちの心をへし折ってんねん。既に戦いは始まってる。非常に戦術的な行動をするという人物なんですが、まぁ嫌な奴だなぁと思いながら、世の中こういう人が生き残っていくんだなぁって思って、ある意味感心してたんですが、なんと彼女がそのマウント取る学生と同じ5人グループ入ったんです。うひゃー、最悪―思いながら、「では、次の5人の方、面接室に入ってください」ってね、面接室に入った時に5人とも、うーーっ!驚いた。なんと面接官の一人に山田君がいたんです。
実はこの山田君ってね、就活学生に見える30代中堅社員だったのです。つまりね、面接官の前では学生はみんな紳士的に振る舞うんです。でも、本当の素の姿をあらわしてるかどうかはまた別問題ですよね。本当の素の姿というのは控え室において初めて全貌が明らかになる。そこで会社は学生になりすました会社側の人間を控室の中に潜り込ませて偵察してたんですよね。こいつどんな奴なのか。で、その面接官山田君がね「A君、僕は○○大学だけど、ちゃんと面接官として座ってます」って。もうね、いじり倒して。その時に、いやぁ、やっぱり凄い会社って凄いことするな。面接の時間だけで人を見るのではなくて、ちゃんといろんなことを考えて見てるって、この会社凄い。凄いけど怖い。この会社入ったら一体これからどんなふうになるんだろうって。私のプライバシーなくなるのかしら、みたいな。
神はあなたのことをすべてご存知
皆さんいかがですか。神に全てを知られていると思った時ね、それ皆さんにとって嬉しい話ですか。それとも怖いと思いますか。もし神という方が私たちの人生の全て、良い面も悪い面も、良いところも醜いところも、全部ご覧になってるってことを考えた時に、神の前に出るのが皆さんは楽しみになりますか。それとも憂鬱になりますか。実は神様という方は私たちの全部をご存知です。心の奥底にあるものまでも全部ご存知です。本人さえ気付いていないその人格の一番奥深くにある部分を神はお見通しです。しかし、それはダメ出しするために人のことをご覧になってんじゃない。人が多くの傷を受けて、そして、自分の罪と自分でもコントロールできないような自分の本性の中に住んでる獣のような本性がありますよ、そういったものに引きずり回される、そんな人間のことを助けたいと思ってご覧になっているのです。もし、私たちの全てを知っている神が、私たちに罰を加えてやろうと思って私たちの全てをご覧になっているということであるなら、誰もが神の前に出ることは恐ろしい話であって、そんな方のところに行きたくないって、みんな思うんじゃないですか。
神はあなたを愛しておられる
しかし、神は、私たちを罰するためではなく救うためにこそ、私たちのことを見守ってこられたのです。神様は私たちを愛してお造りになったので、愛する作品が傷ついたり、あるいは破壊されたりする時に、まるでご自分が傷ついたかのように、それを親身になって直さずにはおれない方なのです。そして、人が不幸になることを神は自らが不幸になられることであるかのようにお感じになられるほどまでに人を愛されたのです。神がどうして私を愛しているということが分かるんだ。その証拠があるのか。あります。神が神の在り方を捨てて人としてこの世界に来て下さったこと、人類歴史の中に神が介入して処女マリアからお生まれになられたこと、このイエス・キリストの到来こそは神があなたのことを特別に愛しておられることの証なのです。大きなビルには避雷針があるでしょう。ですから雷が落雷してもビルそのものはダメージを受けません。すべて避雷針が雷のエネルギーを吸い取ってくれるからです。キリストの十字架は、私たちの罪に対する神の怒りを全て引き受けるための場所となりました。あなたの為にたった一つしかない命を十字架にかかって自ら自分の命と引き換えに、あなたの罪の償いをしてくださった救い主、それがイエス・キリストです。神はあなたをお救いになることがおできになるのです。自分を委ねますって決心して、この方を信頼するならば救われます。心からお勧めいたします。
(1ヨハネ4:9)