ごきげんいかがですか。三綿直人です。
さて、聖書のメッセージを一言にまとめれば、「あなたをお造りになられた神は、あなたを愛している」となります。でも、これを聞いたときに押し付けみたいに感じている人はいないでしょうか。「別に頼んだわけではないからね」とか、「神の愛って言われてもこちとらよくわからない」みたいな感じですね。「神があなたを愛しています」とクリスチャンがいくら叫んでも、その人自身が「私は神に愛されている」とわからなければだめなんですよね。
今日は、「神の愛がよくわからないあなたに」とタイトルをつけて3つのポイントでお話しましょう。
最新のトイレ
1つ目のポイントは、神はあなたに何も押し付けてはいないということです。
本物の愛は押し付けないんですよね。私は先日ホームセンターに行きました。妻がメダカを飼うのにハマっていまして、ビオトープを買いたいと言うんです。じゃあ行こうかと一緒に行ったんです。そのホームセンターはリフォームフェアを大々的にアピールしていました。特に、トイレリフォームに力を入れていたのですね。
最新のトイレはフォルムはきれい、掃除はしやすい、ウォシュレットの性能もすごいと三拍子揃っているのですね。ちなみにウォシュレットはレッツウォッシュを反対にした造語ですよね。
トイレに色々座っていますと、便意を催しまして、展示用トイレでするわけにはいきませんので本物のトイレに行ったのです。するとびっくり、ここのホームセンターはすごいですよ、トイレが最新設備でリフォームされていたのですね。どうぞ体験してください、そして申し込んでくださいというわけです。関西人顔負け。
個室に入りました。でも私は自宅以外のウォシュレットを使えない人なんです。清潔だとはわかっているのですが、なんとなくですね、変なところ潔癖なんです。
そうしましたら、隣の個室の人がピッとボタンを押したんです。「あ、隣の人はウォシュレットを使う人なんやな」と思ってましたら、なんと私のウォシュレットが作動するではありませんか。びっくりしました。止めるボタンを押しても止まりません。隣の人は自分が押しても作動しないので、何回もボタンを押しています。そうすると、私のウォシュレットがムーブみたいになりましてね、「おおお」って感じですよ。立つこともできず、叫ぶこともできず大変でした。
神の愛は押し付けではない
そして私は学びました。どんなに素晴らしいものでも、自分が望んでいないときに与えられるとそれは迷惑だということです。
自分が必要だと思うときにそれは素晴らしいものになりますが、押し付けは人を不快にするのですね。
神は人のためにすべてを造られました。物理定数を定めました。地球と太陽の距離をバッチリにお定めになられました。しかし、全ては命のためであって要らないものを押し付けてはおられないのです。おせっかいではありません。神が定めておられなければ、命は存在できないのです。そして神は、人がその美しさ、素晴らしさに気づくのを喜んでおられるのです。
キリストの地上生涯の動機
2つ目のポイントは、神であるイエスキリストの行動動機は、全て愛だということです。
あなたを愛し、あなたの祝福を願って行動されるのが神イエスキリストなんです。
先日、友人の家を訪問しましたら、そのご両親から選挙協力を依頼されました。秋に行われれるであろう衆議院選挙で是非〇〇党に投票してくださいと言うんです。
ご両親はある政党を支持している団体の熱心な会員なんですね。私は考えました。彼らはどうしてこんなに一生懸命に行動するんだろう。彼らは悪い人ではありません。道徳的だし、地域でも多くの方の助けとなっている立派な方です。彼らの熱心な活動の動機は、この日本を良くしたいというものかもしれません。日本を良くするためには、政治の力が必要であり、その政治の力で動かすには、投票が必要だということですね。
このご両親が私に話しかけたのは、私を愛してではありません。パウロというクリスチャンは「私を愛し、私のためにご自分をお捧げになったキリスト」とイエスキリストを紹介しています。キリストは私を愛し、私を救うために、ご自分の命を犠牲にされたのです。イエスキリストは、あなたを愛しあなたのいのちのためにご自分ができることをなされました。
今から2000年前、私達の死の問題を解決するために、罪の償いとしてご自分の命を捧げるために十字架にかかられたのです。キリストの地上生涯の行動動機は、全てあなたへの愛だったのです。
愛が届く
3つ目のポイントは、神は待ち続けておられるということです。
聖書で最も有名なたとえ話は、ルカの福音書15章に出てくる父と二人の息子の話です。このたとえ話は、父の愛がわからない二人の息子の話なんです。
父は兄息子も弟息子も愛しています。しかし、息子の方は父の愛がわからないんですね。弟息子は遺産を先にぶんどって家出をします。
兄息子は同居していますが、父を愛しているわけではなく、族長である父の財産相続の観点から得になるので一緒にいるに過ぎないのです。
愛が全然伝わっていない息子たちを、父は変わらず愛しているというのがこのたとえ話のキーです。父は待っているんですね。
遠い家に出ていった弟息子だけでなく、同居していながら愛が伝わっていない兄息子をも待っているんです。どういう意味でしょう。何を待っているんでしょう。そうです、愛が伝わるのを待っているんです。物理的に近くにいるか、遠くにいるかは問題ではありません。心の距離が問題なのです。
弟息子は父のもとに戻ってきます。そして愛が伝わるのです。あなたは神の愛を知っていますか。あなたが神を知らなくても、神はあなたをご存知で今日もあなたを愛しておられ、愛が届くのを待っておられます。
神の愛がわかる時が来る
先日、お父さんがなくなって9周年を偲ぶ家族の集いで、聖書のお話をするよう依頼されて出席しました。私以外は全員家族です。
その亡くなられたお父さんはクリスチャンで、3人の子供がいます。奥様とその子どもたちがお父さんの思い出を語るんです。40を過ぎ、それぞれがもう家庭をもっている立派な親となっている子どもたちが集まってお父さんを偲び、涙する会は本当に素敵でした。
その時次男の方が、18歳のときに父からもらった手紙が出てきたと言って、読んでくれたんです。大学入試センター試験前日にもらった手紙だったそうです。それを涙しながら読み終えた次男さんがこう言いました。「僕は、こんなに父に愛されていたんだ」。実に18歳のときに手紙をもらって25年後に父の愛が子どもに深く深く届いたのです。
私は感動しました。生きている間はほんとうの意味で伝わらなかった。自分も子育てしながら、今になって父がどんなに深く愛してくれていたか分かったのです。
まだ神の愛がよくわからないというあなた、大丈夫です。この聖書と福音を聞き続け、また聖書を開いてみてください。必ずや、神の手紙である聖書があなたの心に響くときが来ると信じています。神はあなたを愛しておられます。押し付けず、今も愛を動機としてあなたの必要のために行動しておられ、貴女に会いが伝わるのを待ち続けておられるのです。
この神の愛があなたに届きますように。心からおすすめします。
神は愛だからです。
(1ヨハネ4:8)