#978 勇気を与える救い主の到来

メッセンジャー似顔絵

おはようございます。高原剛一郎です。

ところで、人類初のニューヨークからパリへの大西洋無着陸飛行に成功した人に、チャールズ・リンドバーグという冒険家がいます。
当時はまだレーダーがありませんでした。それで彼は大西洋の天候、季節風などの情報を計算に入れて、実に綿密なルートマップを作り上げたのです。
そのルートでゴールできるのに一番大切なことも彼には分かっていました。それは飛行機の軽量化だったのです。
普通は複数のクルーで飛ぶのですが、彼はあえて一人で飛ぶことにします。
無線も、六分儀も、緊急脱出用のパラシュートも載せません。成功の鍵は如何に軽くするかであるかを彼は見抜いていたからです。
そして、彼のこんな言葉が残っています。「冒険家の命は正確さに依存している。」
一見無謀に見える冒険も勝算が立つのでやっている合理的な戦いであったのです。

勝算が立つ人生

ところで、私たちの人生もある意味冒険に似ているように思うのです。
と言うのは、誰もやってみるまでどうなるか見えていないからです。
尻込みして何もしないでいるのは最も危険なことです。
自分の人生を決めない人は、他の人がその人の人生を勝手に決めてしまうからです。
主体的に生きると言うことは、生きている実感を得る道でもあるんですね。
しかし、勝算が立つ人生でないなら、それは無謀な人生です。
では、勝算が立つ人生とは何でしょう。全知全能の神様と繋がり、神とともに歩む人生です。
あなたをお造りになった神様はあなたを神との正しい関係に招き入れるために、救い主を送ってくださいました。
聖書の中にこう書いてあります。

御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになしました。この方こそ主キリストです。」

ここから3つのポイントでお話ししましょう。

分からない恐れ

第一に、人は神が本当にはどういう方かが分からない時、神に恐れを感じるということです。
先程読んだ聖書の箇所は、野宿をしていた羊飼いに対する天使の言葉です。
羊飼いはその時、恐怖におののいたようです。
どうして恐れたのでしょう。一つには、権威あるものに対して自分を脅かす存在のように捉えたからです。私はこのことを理解できます。
もし、あなたが会社で上司から「ちょっと話があるから来なさい。」と呼ばれたら良い事を想像しますか?それとも身構えませんか?「どんな不始末をしたか…」と頭を巡らしませんか?
まだ、子供が小学生の時の事です。平日でしたが家にいた私のところに校長先生から電話がかかってきたのです。
「御宅の娘さんのことでご相談したい事があります。宜しければ、今、校長室に来てもらえませんか。」と言うのです。
私はその瞬間から子供がどんな悪事を働いたのかと、悪い想像を膨らませることしかできませんでした。
緊張しながら校長室に入るとそこに見知らぬおばあさんがいらしたのです。
何でも敬老の日に学校で書いたお年寄りの人への手紙が老人クラブに配られたのですが、たまたま娘の手紙を受け取ったおばあさんがえらく感動し、プレゼントを渡したいと言って校長室にまで来られたのでした。
それを聞いて嬉しかったというよりホッとしました。学校長からの呼び出しに私は最悪な事ばかりを連想していたからです。

権威ある神はあなたを慈しむ

権威ある人、地位の高い人、自分の運命を左右するような力を持つ人から個人的に呼びかけられたら、誰もが身構えることが多いと思います。
それは生殺与奪の権を持つ人は自分に良い事を考えないという思い込みがあるからです。
そんな思い込みがあるのは世の中で力ある人達から酷い目に遭わされたという経験があるからかも知れません。
しかし、神様は最も偉大で、最も権威があり、最も力ある存在ですが、あなたをいたぶるような方ではありません。あなたの最善を願っている方なのです。
神様ほどあなたの幸せを願っている方はいません。神はあなたを憎んでいる方ではなく、あなたを慈しんでいる方なのです。
そして、それを分からせるためにキリストは人となってこの世に来られたのです。

罪意識と神への恐れ

第二に、人は自分の中に罪を恥じる意識がある時、神を恐れるようになるのです。
私は数年前、ある団体の集まりに行きました。するとそこに古い友人を見つけたのです。
ところが、彼は私を避けて目も合わそうとしないんです。気になった私は「久しぶりやないか。」と挨拶をしました。
すると、「その節は大変失礼しました。」と他人行儀なことを言うのです。
「そんなのどうでもいいよ。」と笑い飛ばしたんですが、実は、彼が何を謝っているのか私は忘れていたのです。
家に帰って風呂に入っていた時思い出しました。20年ほど前、私は彼と彼の友人の喧嘩の仲裁をしたのです。
自分としては公平に対応したつもりでしたが、彼は途中から私に怒りの矛先を向け、とても残念な結果になってしまったのです。
そんな大切な事を私はあっけらかんと忘れてたんですね。
「そうか、彼はあの時のことを悔やんでいたんだなぁ。」と風呂の中で思い出したんです。
ところで私は屈託なく彼と話をしましたが、それは私がすっかり忘れていたからです。
もし、覚えていたらやはり気まずかったかも知れません。
私達は心の中にわだかまっているもの、あるいは、自分の中に罪意識がある時、何かまともに人と向き合って良い関係を結ぶことから逃げ出したくなるそんな面があるんではないでしょうか。
罪意識は恐れを私達の中に生むのです。しかし、神様はあなたのその罪意識を拭い去るためにキリストを送ってくださいました。
あなたの失敗、恥、苦々しい思い、その全てをキリストに背負わせて、完全に消滅させるために救い主を送ってくださったのです。

変わらず、揺るがない神の愛

第三に、神様は変わらない愛で私達を赦し、救い、新しい人生を導く方なのです。
キリストは旧約聖書の預言通りダビデの町でお生まれになりました。この約束はキリストが生まれる700年前になされたものです。
聖書の中の一番古いキリスト預言の約束はキリストが到来する四千年以上前に書かれたものです。
キリストが到来するまでの長い人類の歴史は、今と同じように破壊と、流血と、悲惨のオンパレードです。神様をがっかりさせるような罪と醜さの歴史です。
しかし、どんな悪行も、どんな恥の歴史も神様を絶望させることはありませんでした。
人がひどい状態に落ちていけば落ちていくほど、神はますます人を慈しまずにはおれなくなり、そして、とうとう神自らが人となってこの世に来てくださったのです。
人が最悪の時に神の最善の愛でキリストがこの世界に来てくださったのです。この変わらない愛こそは神の元に立ち返る勇気を与える理由となるのです。
私は以前、『極夜行』という冒険記録を読んだことがあります。4ヶ月の間、真冬の北極圏を一人で歩くという探検です。極夜というのは白夜の逆です。24時間太陽が全く姿を現さない世界をひたすら歩くのです。全くの暗闇の中で方向を確認する手段はたった一つ、夜空の北極星を目当てに歩くことです。何故ならこの星だけはいつも動かず、北を指し示す道しるべであるからです。何があっても動かない星が探検家を励ましたように、どんな事があっても動かない変わらない神様の愛があなたを支えるものとなるのです。
どうぞあなたもイエス・キリストを救い主として信じてください。心からお勧めします。


使用CDジャケット
竹下静:天には栄え

今日のみことば
ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。
(ミカ5:2)