おはようございます。高原剛一郎です。
私は、先日、松岡修造さんが主催するテニス合宿の番組を見ました。
そこに集まる子達はみな将来プロのテニスプレイヤーを目指す人ばかりです。
今をときめく錦織圭選手もこの合宿の卒業生なんです。それで凄い競争率で全国選抜の子供達が参加するんです。
ところが、松岡さんの特訓は実に厳しく、中には心が折れそうになる少年も出てくるんです。
そんな一人の少年に松岡さんは両親の手紙を読ませたのです。そこにはこう書いてあったのです。
「私達は何とか君を夢につながる列車に乗せることができました。辛いこともあるでしょう。でも、私達も君と一緒の夢につながる列車に乗っているということを思い出してください。」
この両親の手紙は少年を奮い立たせました。両親の熱烈な応援とともに今のしんどい合宿に意味を見出すことができたからです。
合宿はただしんどいだけの苦行ではなく、夢につながる列車なのです。
神が私たちに送ってくださった手紙:聖書
ところで、私達をお造りになった神様もこの地上の生涯という厳しい合宿の中で、つい倒れてしまいそうになっている人間に対して、励ましと勇気の手紙を送ってくださいました。それは、聖書です。
そして、この聖書の中心主題はイエス・キリストなのです。
そして、神様のお心のすべてはこの神のひとり子イエス・キリストの中にすべて秘められているのです。
そこで、今日はイエス・キリストの生涯を描いた神のことばを考えてみましょう。
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
ここらか3つのポイントでお話し致しましょう。
男性として40年間働いた女性
第一に、キリストは神のひとり子であられるのに人としてこの世に生まれてくださったということです。
神の高い地位を捨ててこの地上に人として来てくださった方。100パーセント神の本質を持ったまま、100パーセント人としてこの世に来てくださったのです。
数年前、エジプトで最も献身的な母親に贈られる賞がシサ・アブ・ダオという65歳の母親に贈られました。
一体どんなお母さんなんでしょう。子供を養うために40年以上男性の格好で働いていた人なのです。一体なぜそんなことをしていたのでしょう。
今から40年以上前、シサさんが妊娠6ヶ月の時夫が突然亡くなってしまったのです。
ところが、当時のエジプト社会では社会保障がなく、また、女性が働くこと自体が簡単なことではなかったのでした。
その上シサさんは文字が読めなかったのです。
更に家族は彼女が女手一人で娘を育てるために働く道を選んだ時激怒したのでした。再婚を望んでいたからです。
シサさんは味方になってくれる人をどこにも見つけられない状況の中でとった行動は、女を捨てて男になることだったのです。
髪の毛を剃り上げ坊主頭にし、大きめの男性の服を着、あくまで男として働きに出たのです。
彼女が女性であることを知らない遠くの村に行き、男がやるのと同じ量の仕事をこなしていったのです。
と言ってもデスクワークではありません。煉瓦作りです。それはとてもきつい肉体労働です。
それから農業に従事し、年齢的にそのように体を酷使する仕事が難しくなってくると、靴磨きをして家計を支えたのです。
すべては自分の娘を育てるためでした。
愛のゆえに自分の在り方を捨てられた
やげて43年経ちました。今では地元のルクソールでは彼女が女性であることは周知の事実となっています。
そして、愛する娘のために女性の立場をかなぐり捨てて、まったく悔いが無かったと生きる彼女に対して周りの人々は敬意を表し、遂に数年前、大統領からも表彰されるに至ったというのです。
彼女に持って生まれた女性という立場を捨てさせたのは、ひたすら子供への愛でした。
それと同じく、神のひとり子がそのあり方を捨てて罪にまみれるこの世に来られた理由、それは世にいるあなたを愛するためであったというのです。
罪のないキリストが十字架にかけられた
第2に、キリストは実に十字架の死にまでも従われたということです。
100パーセント人となったキリストは元々人である私達と同じように、食べなければ飢え、飲まなければ渇き、叩かれれば痛みを感じ、切られれば血が出る方です。
しかし、キリストは私達とは全く異なる点が一つありました。それは、罪が全く無い方であるということです。
この方の行動にも言葉にも心の中の思いにも罪の一欠片も見出すことはできませんでした。
世界にただ一人全く罪のない人、それがイエス・キリストなのです。この罪の全く無いキリストが極悪人だけがかかる十字架にかけられ処刑されたというのです。
一体どんな罪で告訴されたんでしょう。それは、キリストが自らを神の救い主であると名乗ったということが罪とされたのです。
オーナーさえも断られた
ところで、アメリカの映画俳優にロバート・デ・ニーロという人がいます。徹底的な役作りをすることで有名ですね。
『ゴッドファーザーPart2』ではシチリア島に住んでシチリア訛りのイタリア語をマスターしました。
『タクシードライバー』という映画に出た時には3週間にわたってニューヨークでタクシードライバーとして働いたんです。
ある時彼はホームレスの役作りのため路上生活を実体験したのです。
夜になりそのままの姿で宿泊先のホテルに入ろうとしました。ところがホテルからは宿泊を拒否されてしまったのです。
ところで、そのホテルのオーナーはロバート・デ・ニーロ、その人だったのです。彼は自分の持ち物であるホテルからは宿泊を拒否されてしまったのです。
まさかオーナーであるとは思われなかったからです。
ところで、キリストは神です。そして、聖書の神はこの世界を造られた作者であるというのです。
いわば、この全世界の王、全宇宙のオーナーなのです。
彼はこの世界に対する所有権を主張することのできる唯一の方でしたが、ご自分の民は彼をキリストとは認めず、何を戯言を言っているのかと拒否し、十字架処刑の判決を下したのです。
しかし、キリストはその無礼に対して人に文句を言うかわりに、神に向かって祈ってくださったのです。
そして、人が犯す全ての罪を身代わりに引き受ける場所として十字架をしのんでくださったのです。
罪人に必要なキリストのいのち
第3に、キリストは死後3日目に復活し、天に挙げられ、今、天からあなたのために祈りを捧げている方であるということです。
あなたが救い主イエス・キリストを信じるように天から願っている神、それがイエス・キリストです。
もし私達がこの人となられた神、十字架の上で私達のために死んでくださった神、3日目によみがえった神であるキリストを信じるなら、キリストは私達に永遠のいのち、復活のいのちを与えてくだいます。
ローマ時代、あるローマの隊長が事切れた兵士をなんとか立たせようとして苦心しました。
肩を貸したり、腰を持って引き上げたり、両脇から持ち上げたりしてなんとか立たそうとしますが、しかし、支えがなくなるとすぐに倒れてしまいます。
諦めて隊長は言いました。「この腑抜け野郎」。
死人に必要なのは支え手ではなく新しい命なのです。霊的に死んでいる罪人に必要なのはキリストのいのちなのです。
そして、その永遠のいのちはキリストを信じるすべての人に与えられるものなのです。
どうぞ、あなたもイエス・キリストを信じ、この永遠のいのちをいただいてください。心からお勧めします。
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
(ピリピ2:6-9)