
ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
はい、みなさま、こんにちは。
ここで私、立たせていただいて、今までここからもう何百回語ったか、もう数えきれません。いつもこのドラマがあって感謝なんですけれども、今日来てくださったみなさまはね、特別私の目に麗しいというかね、あの輝いて見える。実は白内障の手術しましてね。眩しくて仕方がない。レンズの濁りが取れたら、こんなに世界は変わるのかということをね、ま、改めて今、痛感してるんですが、視力だけじゃなくて見え方、見方が変わるとま、世界って別の意味が見えてくることってありますよね。
じゃ、神は私たちをどうご覧になっているのか。地球環境を汚すバイ菌みたいに思っているんですか。聖書を見ると、わたしの目にはあなたは高価で尊い、たとえ罪を犯した後でも。一万円がぐちゃぐちゃに丸められて、革靴でむちゃくちゃに踏まれて、もういっぺんシワのばして、汚い状態になったとしても、一万円の価値失ってないじゃないですか。どんなに人に踏みつけに、されて、また自らぐちゃぐちゃになっていって自分の人生否定するような選択ばっかりやったとしても、神さまの目には相変わらず、高価で尊い、神のかたちに似せて造られてるんだというふうに聖書は語ってるんですよね。
でその人間、創造主から離れてしまった人間に対して神は、キリストという救い主である方が私たちに提供してくださるものを、え、一つのテキストから見て行きたいと思います。
神を信じるだけでなく、キリストを信じる
ヨハネの福音書の14章1節というところからですが。実はですね、あの私、この目のレンズね近場用のレンズが入ってまして、で遠く見えないんです。でこれ今かけてるのは伊達メガネで、視力入ってないんでみなさんも、ぼんやりしている。で、つけてても意味ないんですよ。で、なんでかけてるかといったら、家内がね、つけてる方が賢そうに見える言うて、YouTube映るから、ちょっとでも賢そうに映るということでね。まあ、自分でもそう思うんですよ。ちょっと近づいて読まないとわからないんですけど。
ま、これ実は最後の晩餐の席なんですね。これヨハネの福音書の14章の前は当然13章ですよね。13章って何から始まってるかって言ったら、最後の晩餐に出席する弟子たちの足をイエス・キリストが一人ひとりの足を、汚れた足を洗っていかれるというシーンから始まるんですよね。この14章の1、2、3節でね、三つのものを提供しているということがわかるので、一つずつ見ていきたいと思うんですよね。
一つ目がこれです。
あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
爆弾発言を聞いて、みんなパニック状態で、わぁ、どうなってしまうんだということで、心騒がしているんですが、その心騒がしている弟子たちに向かって、キリストはおっしゃいました。「神を信じ、またわたしを信じなさい。」神を信じるようにイエス・キリストを信じなさい。神を信じるだけでは不十分です。神だけじゃだめなんです。創造主の存在は進化論の間違いがわかって信じました。それはすばらしいことですけど、そこで止まってたらだめなんです。神を信じるだけではなくて神が遣わしてくださった、救い主イエス・キリストを神として信じることが必要です。それが心を騒がせる原因を取り除くからということなんですよね。
南アフリカ共和国最初の大統領 ネルソン・マンデラ
これ、どうやって説明したらいいかなと思っていろいろ考えてたんですけど。みなさん、あのマンデラという南アフリカ共和国の最初の大統領いらっしゃいましたよね。ネルソン・マンデラ。彼が通っていた教会の指導者が彼が洗礼を受ける時に、英語名を持っておいたほうがよいからということで、ネルソンとつけるんです。メソジスト教会に彼は通っていました。
しかし、「アパルトヘイトおかしいじゃないか、皮膚の色が違うというだけで黒人が人間扱いされてないというのはおかしい」ということでやがて逮捕されて、刑務所に入れられるんですが、何年入ったと思いますか。27年。彼が一番人生の中でいい時期、全部刑務所。でしかも彼は刑務所入ってる時にね、面会は半年に一回15分だけ。そして手紙は年に10回だけ許されるんですが、ま、刑務所の外側で自分の妻が子どもを養っているんです。「パパどうしたの?パパこんなふうになってるの?」その子どもがね「あなたのことを恋しがってこんなふうに言ってるの」という、子どもが言った言葉があるんですけど、ほとんど黒塗り。だから妻からの手紙、子どもからの手紙、読んでも真っ黒なんですよ。
で、こういうふうにすることによって、精神的に揺さぶって心へし折って「今までの活動全部否定します。もうやりません」というふうに言わせるためにありとあらゆることされていくんですが、27年間ですよ、みなさん。ま、彼は持ちこたえていくんですけれども、やがて彼が釈放されて、そして彼がアパルトヘイト撤廃ということで黒人初の大統領になった時にね、いわゆる独裁者みたいなこと一切しません。「この国に必要なのは和解だ」ということでね、「恨み言は刑務所出る時に全部置いていく。夢は過去にはない、前にしかない」って。
マンデラと一緒に食事をした人物
なんでこんなマンデラのこと言ってるかっていったら、先月飛行機の中でマンデラの映画があってですね、もうすばらしかった。で、ある時ね、マンデラはですね、自分のために護衛の兵士たちがいつも周りを取り囲んでくれているんです、いわゆるSPですよね。「ちょっとランチしようよ」と言った時に、まSPの人たちも一緒に食事しましょ、いうことで料理待ってたんですよ。
そしたら先客がいましてですね、料理が来るのを待ってるんですが、「せっかくだからあの方をテーブルに招いてください」って言って、SP一人遣わしたんです。ま、その男がお皿持って「失礼します」って言ってマンデラの隣に座るんですけどね、緊張のあまりかなんなのか知りませんけどね、ひとっ言も話さないでね、とにかくかきこむ。でね、食べるだけ食べたら「こんな光栄な席に与かってありがとうございます」言うてね、まあ小心者というかなんていうか。で、彼はすぐレストランから出て行ったんですけど、その様子を見ていたSPの一人が「大統領もしかしたらあの人、病気かもしれませんよ。食事中、ずーっと震えてました」
「病気じゃない。実は」と言って話し出したのはこの人物はね、マンデラが投獄されていた時の看守長なんです。ある時マンデラが拷問受けてね、喉がカラカラになって「コップ一杯の水、どうぞ私に与えてください」って言った時にその看守長ね「これでもくらえ」と言ってね、彼の上に放尿したんです。「ただただうずくまって耐えるしかなかった。だけど私はもう恨みは全部捨てて、そして国民和解のために新しい国造りをしようということを宣言したし、その宣言したということを実行するために招いたんですが」
罪の赦しは神が下さった
問題はね、どんなにマンデラは赦してるって思っても、この看守長の方はそう思ってないんですよ。かつて自分が思いっきり虐げてきた男が、今この南アフリカ共和国のトップの権力者になった。どんな復讐が俺の身の上に来るだろう、と。もうね、味しなかったと思いますよ。彼に必要なのはね、たとい怒ってたとしても、その怒りを一発で鎮火できるような説得力を持った弁護者、仲裁してくれる誰かです。
なぜ神を信じるだけではだめですか。みなさん、神はきよい方、正しい方、罪を嫌われる方、その神の前に罪だらけの人間が立って、どうして平安に一緒にお食事できますか。神だけでは不十分なんです。神と同時に神が遣わした救い主を信じる必要があります。
救い主はおっしゃるんです。「父よ、この人はあなたにVIPとして招かれるにふさわしい方です。なぜなら、罪がどこにも見当たらない。彼の罪は全部私が十字架の上で永久処分しました」キリストが提供する三つの約束、これ一つ目。罪の赦しというものを神は下さったということなんですよね。この方は絶対に約束を破ることできない方です。神は全知全能でなんでもできるけど、できないことがあります。約束破ることできません。真実の神だから。
ぜひこのイエス・キリストを信じて、この約束をいただいてください。心からお勧めいたします。
(ヨハネ14:1)