#1264 目に見えない実在

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

少年時代に読んだ本で忘れられないのは「ロビンソン・クルーソー」ですね。実はロビンソンには実在のモデルがいました。アレキサンダー・セルカークという人物です。若い時から乱暴者で、海賊船に乗り込みますが、船の中でもみんなに嫌われ、とうとう無人島に置き去りにされてしまいます。彼の手元に残ったのは二日分の食料と一冊のバイブルだけです。実は彼のお母さんはクリスチャンで、息子の荷物の中にそっと聖書を入れておいたんですね。その島には、かつて置き去りにされた人たちがいましたが、みんな亡くなっていました。しかし彼は追い詰められた状況下で、聖書のことばを頼りに、神を信じるのです。そしてすべての環境を支配する神に「私に憐れみをください」と叫び求めるのです。そして森の奥へと進んでいき、そこで果物や野菜や野生のヤギを発見し、生き延びることができるようになります。四年後に発見された時、彼は十分な栄養に加えて、酒もタバコもない生活で、すっかり健康的な肉体になっていました。さらにヤギの皮を壁紙にしたセカンドハウスまで持ち、小屋のネズミを追い払うためにネコをペットにしていたというのです。不屈のど根性が彼をこのように支えたのでしょうか。いえ、神への信頼から生まれた前向きな態度が彼をサバイバルさせていたのです。
さて、聖書の中に次のようなことばがあります。

私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

見えないもの① 神

第一に、見えないものの代表はなんと言っても、神ですね。
私たちを造り、生かしておられる創造主は肉眼で見ることはできません。そして見えないものを信じて生きるということは、何かナンセンスなことのように思われる方がいらっしゃるかもしれませんね。しかし、自然界には見えないものに頼って生きる生き物がたくさんいるんですね。そのうちの一つに、アカヤマアリという昆虫がいます。ドイツのデュースブルク・エッセン大学というところに、ガブリエル・ベルべリッヒという学者がいます。彼は三年間このアリを観察してレポートにまとめました。それによると、マグニチュード2.0以上の地震の前に、このアリたちは日頃しない行動をとるというのです。通常このアリは日中に活動し夜は巣の中にいます。ところが地震が起こる前になると、アリたちは一斉に穴から出てきて夜通し巣の外にいるというんですね。夜の活動場所を変えるということはアリにとっては宿敵に襲われるというリスクがあるんです。しかし地震で土が崩れてきて埋められてしまう危険は、なくなるんですね。この学者によりますと、アリたちは大気や地球の磁場の変化を感知しているというんです。つまり大気中のCO2ガス濃度が増加したり、電磁場という見えないものを感じ取るという、そういう能力があるっていうんですね。まさに見えないものに頼ることで彼らは生き延びているのです。

見えないもの② 自分の魂

第二に、見えないものは自分自身の魂(たましい)ですね。
私たちは、自分のからだは見えますが、からだの中にある魂(たましい)、心、あるいは精神は見ることはできません。しかし、喜んだり、悲しんだり、ワクワクしたり、がっかりしたりする心は確かにありますよね。
金子みすゞさんの詩の中に「こだまでしょうか」という作品があります。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「(もう)遊ばない」っていう。

そうして、あとで、
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか。
いいえ、誰でも。

自分が言ったことばが、やまびこのように返ってきてる。でもそれは、こだまじゃない。こだまではないなら、何なんでしょう。彼女は誰と対話しているのですか。自分の魂(たましい)と対話しているのです。私たちには魂(たましい)があります。自分の人格です。それを目で見ることはできません。しかし、見えないものはいつまでも続く、とあるように私たちの魂(たましい)は永遠に存在します。ただその永遠をどこで過ごすのかが問題なのです。行先は私たちの造り主のところなのか、造り主から完全に切り離された世界なのか、この二つのどちらかなんです。これは厳粛なことですね。

見えないもの③ 死後の世界

第三に、死後の世界は見えません。
聖書では、天国はある。地獄もある。と語っています。
アメリカにバイオレットというプロのピエロがいます。開店祝いや個人の誕生会などに呼ばれて引っ張りだこの人気者です。ある家族はメンバー全員の誕生日にバイオレットを呼んでいました。それで彼はその家族全員と親しくなるのです。その中に五歳のエミリーという女の子がいました。彼女の六歳の誕生日まであと一か月という時、バイオレットは呼ばれたのですが、自宅ではなく病院でした。まずドクターからエミリーの病状について説明がありました。彼女は難病で助からないけれども、自分が死ぬことをまだ知らないというのです。それで死について触れないように注意してくださいと言われます。部屋に入って行って、20分ほどマジックをして帰ろうとすると、エミリーは聞きました。「バイオレット、私たちまた会えるの」一瞬詰まりました。「もちろん会えるさ。六歳の誕生日にまた来るから」すると「ごめんなさい、バイオレット。もう誕生パーティーは開くことができない。だから天国で会えるかしら」いたたまれなくなったお母さんが部屋から飛び出して行き、彼はエミリーと一対一で向き合うことになったのです。そしてバイオレットは無神論者でした。人間は死んだらゼロになるという考えです。しかしこの五歳の女の子は天国について話したがっているのです。病院の中である人が中途半端な天国の話をしたようです。「天国には大きな家があってね。そこに君の居場所があるからね」でも彼女は大きな家にひとりぼっちになるのを恐れて、そして不安がっていました。これについては両親に聞きたかったのですが、そんなことをすれば、自分が死ぬということに気づいていないパパやママはきっと悲しむにちがいない。だから本当に今、一番聞きたいのは天国のことなのに、それを聞けなかったというのです。彼女は天国について、詳しく正しい情報を知りたがっています。それによって自分を保とうとしているのです。その時、人は死んだら無になるんだというバイオレットの人生哲学は、彼女になんの力になるでしょう。彼は「天国ってね、友だちがたくさんいて、ピエロの町もあって、地上のパパやママの様子をいつでも見れるテレビがあるから大丈夫だ」と言いました。するとエミリーは安心しながらまた聞いたんです。「じゃ、そこにあなた来れるの」「ぼくが行くのはまだまだ先のことだから」と話をごまかすことしかできなかったというエッセイでした。私はその話を読みながら、ああ、私がその場所におれたらな、と思いました。もしそうだったら、聖書が語る天国を説明することができるからです。「天国って、涙がなく、死もなく、悲しみも叫び声も苦しみもない。そして私を、あなたを、天国に入れるために、天から地上の十字架にまで下ったイエス・キリストという方がおられるんだよ」とお伝えすることができるのにと思いました。
見えない神は、見えるイエスとなって十字架にかかり、死なれ、よみがえり、天に帰り、そして私たちのために準備しておられます。誰でもイエス・キリストを信じる人には、天国の国籍が与えられます。
ぜひこのイエス・キリストを信じてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
向日かおり:目覚めよと呼ぶ声がする

今日のみことば
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。
(2コリント4:18)