#1251 創造主なる神の恵みキリストの贖い

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

私は以前、筑波宇宙センター「JAXA」を見学しました。ここには日本が打ち上げたロケットや、人工衛星、国際宇宙ステーションの日本実験棟実物大模型などがあります。そして、職員の方がとても分かりやすく宇宙の不思議さを教えてくれるんです。特に興味深かったのは無重力の状態についてです。無重力の実験棟「きぼう」では、一人で野球ができると言うのです。つまり、ゆっくりとボールを投げた後で、素早く先回りして自分の投げたボールをバットで打ち返すことができたりするんです。また魔法の絨毯を本当に経験することができるんですね。つまり空間に置いた絨毯に座って、ゆっくり引っ張ってもらうと、空飛ぶ絨毯に乗って進んで行くことができるって言うんです。私たちは日頃、重力のある世界で生活しているので、重力についてはほとんど意識したことがありません。そもそも重力というのは、宇宙が始まった時から存在する力なのですが、その存在に気づくのはニュートンが初めてだったんです。ニュートン以前にも重力はずっと働いていたのですが、人類の歴史の中でこの力に気づく人は、それまでいなかったのはなぜでしょう。それはあまりにも途切れなく常に存在していたので、かえって気がつかなかったんですね。しかし、無重力を経験した後で地球に戻ってきた宇宙飛行士たちは、この重力の存在と、そのありがたさに感動するんです。
 私は、このことは神さまについても言えるのではないかなと思います。どうして人は神の存在になかなか気づけないのでしょうか。それは、神がいないからなのではなく、あまりにも普遍的に、途切れなく、いつもいつも私たちを支え、生かし、そして取り巻いておられるからなのです。重力の存在を認めなくても重力の恩恵を受けることができているように、神の存在を認めなくても、神は全ての人に日を昇らせ、雨を与え、いのちを支えていてくださるのです。この人間の作者にして、いのちの支え主のことを聖書は「創造主なる神」と呼ぶのです。この神のことば、聖書の中から今日は「贖い」ということについてお話ししたいと思います。聖書はこう語っています。

すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。

価値は失われない

 昔、アメリカである人が日用品をガレージに並べて安く売ってました。たまたまのぞいていたボブさんという人は、陳列されていた商品には興味がわかなかったのですが、ガレージの奥にある埃のかぶったバイクに目がとまったのです。それは動かなくなった大型バイク、ハーレーダビッドソンでした。修理するには古すぎるのでゴミの回収業者に三千円で引き取ってもらうことになっていたんです。ボブさんは三千円を払って、それを押して帰りました。そして分解修理に取り掛かり、交換部品を取り寄せるためにハーレーの工場に電話したんです。製造ナンバーを告げると、担当者が突然どういうわけか戸惑い、そして「後でこちらからかけ直すので、しばらく待っていてほしい」と言うのです。ボブさんはなかなかかかって来ない電話を前に、ひょっとしたら犯罪に巻き込まれてしまったのではないかと心配になってきます。
 ようやくかけてきたのはハーレー本社の重役でした。彼は言いました。「サドルシートをめくって何か文字が書いてないか確かめてほしい」と。ボブさんが見ると「ザ・キング」と書いてあるのです。すると重役は突然声をひそめてこう言ったんですね。「あなたの持っているハーレーを三千万円で売ってくれませんか」彼は驚愕しながら「少し考えさせてほしい」と電話をいったん切ります。すると、今度は別のところからまた電話が入ります。何とそのバイクを六千万円で売ってほしいというのです。ボブさんは聞きました。「スクラップ同然のこのおんぼろバイクに、どうしてそんな高値を付けるのですか」と。すると答えがありました。「あなたの持っているそのハーレーは、ロックスター、エルヴィス・プレスリーの愛車なんです」実にこのポンコツこそは、プレスリーのファンが長年にわたって探し続けて来たお宝バイクだったと言うのです。そんなお宝がどうしてスクラップ寸前にまで落ちぶれてしまっていたのでしょう。持ち主の手を離れ、転売に転売を重ねていくうちに、誰のものだかすっかり忘れ去られ、次第に乱暴に扱われてゴミ同然の姿に成り果てていたのです。しかし、どんなに鉄くずのようになっていたとしても、ファンにとっては世界に一台きりの宝物です。なぜなら、そのバイクには偉大なるロックシンガーのサインが入っているからです。

神を否定することが人間を否定することにつながる

 最近、人間が物のようにひどい扱いをされる事件が横行しているように思うのです。親が子どもを殺し、子どもが親を殺し、人が人を裏切り、友が友を傷つけ、また本人が本人を見くびり、おとしめ、自分自身を粗末に扱ったりするのです。いったいどうして人格ある人間をぞんざいに扱うようになってしまったのでしょう。それは、人一人ひとりにこの宇宙の主権者、創造主なる神のサインが入っているということを忘れてしまっているからではありませんか。どんなに小さい人にも、どんなに弱い人にも、また何もできなくなってしまった人にも、神は人格という神の似姿を埋め込んで私たち人間を造られたのです。神に似せて、神のかたちにかたどって造られているということこそが、人間の尊厳の土台なのです。ところが、この神を否定してしまったということが、人間の否定につながってしまっているんですね。

代価はすでに支払われた

 持ち主の手から離れたハーレーの最後に行きつく先は、スクラップ化されゴミ処理されるということです。それと同じように、自分の造り主から離れた人間は、自ら尊厳を手放し、そして神の恵みの届かない死後のさばき、スクラップ廃棄ごみ処理場に落ちていくのです。しかしプレスリーの愛車であることを知ったファンたちは、三千万、六千万と莫大な代価で買い取ろうとしたように、神は私たちを永遠の地獄から買い取ってくださる方なのです。しかもその買い取り額は三千万円でも六千万円でもありません。イエス・キリストのいのちによって神は私たちを買い取ってくださったのです。キリストは私たちの罪の償いを果たすために、あの十字架の上でご自分のいのちを投げ捨ててくださったのです。このように代価を払って買い戻すことを「贖い」と言うのです。神はあなたを、神の一人子イエス・キリストのいのちで贖い取ってくださいました。どうぞこの造り主にして救い主、贖い主のもとに、キリストによって立ち返ってください。心からお勧めしたいと思います。


使用CDジャケット
Migiwa:この世界を創られた神様は

今日のみことば
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。
(ローマ3:23-24)