ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
宝塚歌劇団の舞台裏には「ブス25箇条」という恐るべき張り紙が貼られているそうです。ブスとは何か。「笑顔がない」「お礼を言わない」「おいしいと言わない」「目が輝いてない」「精気がない」「いつも口がへの字にまがっている」「自信がない」「希望や信念がない」「自分がブスであることを知らない」「声が小さくイジケている」「自分が正しいと信じ込んでいる」「グチをこぼす」「他人をうらむ」「責任転嫁がうまい」「いつも周囲が悪いと思っている」「他人にシットする」「他人につくさない」「他人を信じない」。まあ並びに並んだブス25箇条の抜粋ですが、読んで分かるのは、顔の問題ではなく心と態度の問題だということです。なので筆頭に来るのは「笑顔がない」です。劇場に足を運ぶお客さんはみんな笑顔になりたくてやって来るのに、出演者自身がブスっとしてたらダンスがどんなにきれいでも台無しです。笑顔こそは成長の第一歩なんだっというふうに言ってるんですね。
ところで努力して笑顔を作るということも大切なことですが、自然と笑顔になれたらもっといいと思います。そのためには笑顔の理由を心の内側に持つことだと思うのです。笑顔になれる理由とは何でしょう。あなたは愛されているという事実を知ることなのです。この世をお造りになった神様は、あなたを心の底から本気で熱烈に愛しておられるのです。なぜなら、聖書にこう書いてあるからです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
このみことばの中にクリスマスメッセージのエッセンスが込められています。人となった神、イエス・キリストの到来目的が書いてあるからです。キリストは一体何のためにこの世に来られたのでしょう。信じる人が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つために来られたのです。この滅びということばは、失われているという意味なんですね。それは神の元から離れているという意味なんです。
神はあなたを捜し求めている
先日、私はとっても大事なものをなくしました。運転免許証です。年齢証明のために財布から取り出そうとしたとき紛失していることに気づいたのです。何時間も捜して捜して捜しまくったんですがないんです。ところで、ないっていうのは私の手元にないのであって、この地球上のどこかには今も存在しているんです。しかし持ち主の私の手には、ないんですね。これを失われているというのです。あなたは今この世界に存在しておられます。しかしあなたをお造りになった真の神様の元からは離れているのです。したがって神の前には失われた存在なのです。自分の存在のルーツから離れ、神などいないかのような人生観で生きることを、失われていると言います。そして、この状態のことを聖書は罪と語るのです。
ところで、誕生日に自分の部屋にバラの花束がいけてあるのを見たとします。もしそのバラの花束があなたご自身が買ったものであるなら美しいなあとは思いますが、それほど嬉しいなあとは思わないでしょう。しかし、その花束が誰かからのプレゼントであるなら、同じ花束でも嬉しく感じるのではありませんか。自分を愛してくれる人の存在を知ることは、人を元気にしますね。誰かの好意によって生かされてると分かると、その誰かに感謝したくなるのではありませんか。あなたを愛して生かしておられる神がおられるのです。
先日、私は沖縄に行きましたが、格安航空会社を使ったので五千円で行けました。今までの三分の一の価格で旅行が出来てとっても嬉しく思いました。しかし、これが五千円ではなくタダ乗りできたらもっと嬉しかったでしょう。ところで、私たちは誰もが地球にタダ乗りしているのではありませんか。地球は太陽の周りを一年かけて飛び回っています。そして、それがために私たちは生きるに必要な適切な自然環境を受けているのです。あなたは生かされています。タダでたくさんのものを受けています。あなたを喜んで生かしてくださっている方がおられます。それがあなたの造り主である神なのです。その方が、イエス・キリストを遣わしてあなたを取り戻そうとしてくださっているんですね。
私が小学生の頃、近所に三つ年上のハルちゃんというガキ大将がいました。彼は遊びのボスです。何をして遊ぶかはみんな彼が決めるんです。ある時かくれんぼをして遊ぶことになりました。ところが事件は起こりました。私のかくれ方が良かったのか、なかなか見つからなかったのですが、そのうちハルちゃんが言ったんです。「次の遊びにしよう」かくれんぼとは見つけてもらう遊びです。まだ見つかってないのに、それをほったらかされて次の遊びに去って行ったとき、見つけてくれる鬼をなくした私は実にみじめでした。今さら出ていくタイミングをなくし、自分という存在はいなくてもいいやつなんだと言われたような気がして、とても悲しかったことを思い出すのです。しかし、神は神の元から隠れ、失われているあなたのことを決してお忘れになってはいません。あなたを今もこの瞬間も捜し求めておられる方なのです。
人が救われるための唯一の方法
第二に、人が滅びから救われるために必要な唯一のことは、この方、イエス・キリストを救い主として信じるっていうことです。
私は、先日実話に基づく『アルゴ』という映画を見て大変感動しました。今から33(44)年前、イランにあったアメリカ大使館は、イランの学生デモ隊に襲撃され、その職員たちは444日間にわたって人質になるのです。ところが、6人だけが秘密の出口を通して外に出ることが出来、カナダ大使の公邸にかくまわれていたのです。このカナダ大使の家からアメリカにまで脱出させるためにCIAのエージェントが派遣されるのです。脱出プランは、ありもしないハリウッド映画のロケのメンバーとして出ていくというものなんですが、まあこの計画の中では大きな問題が一つありました。救出される人質たちがこのCIAのエージェントを信じられないんです。「任せてくれ」と言うエージェントに対して、「もし失敗したらどうなるんだ」と言ってなかなかうんと言わないんです。この計画の成否は救出のプロを信じてついて行くのか、何もしないでそのまま滅びるかのどっちかなんです。
キリストは永遠の地獄からあなたを救うために来られた救い主です。この方の救いには間違いがありません。この方をぜひ信じていただきたいのです。信じるということは、この方とつながるということなんですね。つながらなければこの方の救いが私たちのものにならないんです。
イエス・キリストは神からのプレゼント
第三に、このイエス・キリストは神があなたにお与えになったプレゼントなんです。戦後、吉田茂のブレーンに白洲次郎という快男児がいました。「我々は戦争には負けたが奴隷になったのではない」と言って占領軍に対して、理にかなわないことについては一歩も引かない気骨の人でありました。あるとき彼は昭和天皇からマッカーサーにクリスマスプレゼントを届けたのです。ところがマッカーサーは言いました。「その辺に置いといてくれ」その時白洲は激高したんですね。「仮にも天皇陛下のプレゼントをその辺に置いとけとは何事か!」と怒鳴り散らすや否や、彼はそのプレゼントを持ち帰ろうとしてマッカーサーを慌てさせたという話が残っています。
しかし、今日私が紹介しているプレゼントは天皇陛下のプレゼントではありません。神のプレゼントなのです。この宇宙の造り主からのプレゼントなのです。この偉大なプレゼントをどうかその辺に置いておかないでください。どうぞあなたの心の中に受け取っていただきたいのです。心からお勧めしたいと思います。
(ヨハネ3:16)