ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
ところでJR東日本のICカードに「Suica(スイカ)」というのがあります。「スイスイ行けるカード」の意味なんですね。JR西日本のICカードは「ICOCA(イコカ)」です。キャッチフレーズは「ICOCAで行こか!」なんですね。これも便利ですよという意味です。JR九州のICカードは「SUGOCA(スゴカ)」です。これは「すごい」を博多弁で「すごかあ!」と言うんですね。私もここまでは知ってました。しかし最近、北九州市のモノレールのICカード、その名前を知ってびっくりしたんですね。「mono SUGOCA(モノスゴカ)」ですよ。モノレールも使える「SUGOCA」なので「mono SUGOCA」。いや実にものすごいネーミングです。まあいずれにしましても、これらのカードの名前には全部意味が込められてるんですね。ところでイエス・キリストという名称にも意味があります。キリストは「救い主」という意味です。そしてイエスとは「主は救い」、神という方は救いの神なのだという意味なのです。このイエス・キリストがご自分のことを自己紹介してる箇所があります。そこを読んでみましょう。
人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。
ここから三つのポイントでイエス・キリストを考えてみましょう。
キリストはあなたを搜し求める方
第一番目に、キリストは神から離れた人を捜し求めている方です。先日とても意外な話を知りました。もし誰かが家出をして、家族が警察に届けても、警察は積極的には捜してくれないって言うんです。と言いますのは、警察は基本、民事不介入なんですね。また、しばしば家出した本人が、警察に対して家族の捜索問い合わせを断ってくださいと依頼してるケースがあるんです。例えばDV被害を受けて逃げている人なんかはそうですよね。警察が動くのは事件性の高い失踪だけなんだそうです。なので民間の探偵社に頼まれる方が多いっていうんですね。
ところで、誰かが誰かを捜すときにまず必要なのは、捜してる対象の特徴を知っているということなんです。男性なのか女性なのか、大人なのか子どもなのか、失踪していた時の服装や時間、好きなもの、交友関係、いつもの歩いてるルートなど、その人のことを知らないと捜しようがないんですね。イエス・キリストはあなたを捜すことができる神です。捜すことができるのは、あなたをよくご存知の方であるからです。あなたの人格、あなたの生い立ち、心の傷や葛藤の全てをキリストはよくご存知なのです。なぜなら、この方はあなたの作者であられるからです。
作者は作品を知り尽くしておられます。特に作者にとって会心の傑作である場合、思い入れはひとしおとなるのです。キリストは誰よりもあなたを良く知ってる方です。あなたの最大の理解者、それがイエス・キリストなのだとキリストはおっしゃったんですね。
キリストは捜すためにこの世に来られた
第二に、人の子は捜して救うために来た方です。って言うんです。どこから来られたんでしょう。神の世界から人間の世界に降りてこられたのです。
今から11年前、2012年の3月23日、イングランドに住むジョンとフランシスという二人が、マンチェスターで結婚式を挙げることになっていました。フランシスさんは結婚式を盛り上げるために、ちょっと羽目を外す行動に出るんですね。実は彼らの結婚式当日、エリザベス女王とフィリップ皇太子がマンチェスターに滞在されているということを新聞で知るんです。それで数週間前にこのお二人に招待状を送ってみたんですね。もちろん本気で来てもらおうと思ってるわけではないんです。結婚式で女王陛下に招待状を送ったんですよっていうことをネタにしてみんなで盛り上がるために、まあちょっとした冗談でそれを送ったんですね。もちろん女王陛下は結婚式にはおいでになりませんでした。公のスケジュールがびっしりと入っていたからです。ところが婚姻届けを提出するために二人は町役場に行くのですが、なんとそこに女王陛下が来られたって言うんですよね。二人は、何と美しい結婚祝いだろうかと言うふうに喜び合いました。
ところで、女王陛下は公務の合間をぬって、そして参加してくださったんですが、この時「ご祝儀なんですか」と問うのは野暮なことです。女王陛下自身が、わざわざ足を運んで来てくださったこと自体がご祝儀であるからです。二人は結婚記念日がやってくる度に、陛下が直々にご登場していただいたんだということを思い出すことでしょう。すばらしい思い出ですよね。
しかし、それ以上のことが実は人類史上に起こりました。この全宇宙、全世界をお造りになられた王の王、主の主なる方が、わざわざ人となってこの世に来てくださったからです。キリストはあなたのためにも、この世界に人となって来てくださった神なのです。
失われた者を取り戻すための神の行動
第三に、キリストは失われた者を救うために来たのです。失われた者を救う、この失われた者というのは一体何なんでしょう。神から遠く離れた存在のことを言うんですね。
実は私は六月の一か月間アメリカに伝道旅行に参りました。六つの州をまたいで、各地で聖書のメッセージをお届けしてきたのです。そして各地でいろんな方との親密な交わりや、また劇的な出会いがあって、本当に充実した一か月の旅となりました。私はその時に出会った方々との物語や、対話や、その印象に残ったことをノートに書き留めたんですね。それは私の宝物です。後々私がそれを思い起こす度に、多くの人生の示唆を与えるものとなるでしょう。
ところが、日本に帰り着いてカバンをあさったのですが、ないんです。そのノートが。確かに旅行カバンに入れたはずなのにどこにもない。私はそれを捜すのにほぼほぼ一日使い切ったんですが、とうとう出てきませんでした。そしてもう今は諦めてます。きっとどっか飛行機のシートのところに置き忘れたのか、どこかで落としたのか、今頃どっかのゴミ箱の中なんでしょう。そう思うと猛然と取り戻したいという気持ちが、また湧いてくるんですね。もしこのノートをお店で売ってたら、私、50万円でも出すと思うんですよ。他の人には意味のないノートでも、私にとってはかけがえのない特別な思い出と記録のノートであるからです。
神にとってあなたは特別な思い入れと、愛の対象です。しかし同時に失われた存在なのです。いったい何が失われてるんでしょう。神との関係が失われてるのです。神から離れた結果、永遠の滅びに落ちていくのです。そのことを神が思われたときに、神は猛然と取り戻すための行動に出られました。それがキリストによる罪の赦しを与えることだったのです。
どうぞあなたのために自ら犠牲となり、罪の赦しをもたらしてくださったイエス・キリストを、救い主として信じてください。救われます。心からお勧めいたします。
(ルカ19:10)