#1215 絶対的味方がいる人生の幸い

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか、三綿直人です。

まもなく夏休みですね。小学生の夏休みの宿題って親の宿題ですよね。かつて、さかなクンの夏休み自由研究イベントに行ったことがあります。テレビで見る、あのまんまの姿で登場したさかなクンは、子どもたちの前でいきいきとお魚の話をしてくれました。どんな分野でもその分野のことが大好きな人の話は面白いですね。子ども達は彼の話に惹きつけられ、とても充実した時間だったことを覚えています。さて、そんなさかなクンが、自分が今の自分になったのは母親の存在無くしては語れないと、あるテレビ番組で話していました。母親が彼の絶対的味方となってくれていたと言うんです。彼が小学生の頃、いつも授業中に大好きな魚の絵を描いていたそうです。先生との個人面談のとき、さかなクンのお母さんに言います。「彼は確かに魚の絵が上手いんですけど、成績は良くありません。お母さん、家でも勉強するようにお母さんからも教育指導してもらえませんか」お母さんは答えます。「成績が良い子もいれば悪い子もいる。それでいいじゃありませんか。みんな成績が良かったらロボットみたいですよ」先生は言います。「でも困るのは息子さんですよ」お母さんが答えます。「あの子は大好きな魚の絵を描いているんですから、それでいいんですよ」担任の先生も引き下がりません。「それなら絵の先生に絵を習わしたらいかがですか」お母さんが答えます。「先生、もし絵の先生に習ったらあの子の絵は先生と同じ絵になってしまって、個性がなくなります。今でも充分上手なんだから、あのままあの子の個性を育ててあげたいんです」いや、さすがですね。このお母さんの絶対的味方の存在が彼の人生に豊かさをもたらしたんです。

聖書の神様はあなたの絶対的味方

さて、聖書の神様はどのようなお方でしょう。ずばりあなたの絶対的味方なんです。あなたの能力や貢献度の高さ、正しいか正しくないかとかに関係なくです。多くの日本人が神と聞くと、罰を与える方というイメージを持っています。クリスチャンの両親に育てられた人でも、間違ったことをしたら味方でないというようなイメージを持ってる方がいるかもしれません。しかしながら、私はぜひお伝えしたいんです。聖書の神は、あなたの絶対的味方です。絶対的というのは、あなたがどんな状態でもあなたの味方であるということです。あなたの人生を豊かにしたいと熱く願ってる方が神なのです。聖書の箇所を一箇所紹介しましょう。ヨシュア記の1章5節です。

あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

今日はこの箇所から「絶対的味方がいる人生の幸い」というタイトルでお話ししましょう。
私たちの人生で絶対的味方だと思っている人はいますか。もしおられるという方は幸いだと思います。でもその味方であると思ってる人を喪失してしまう時もありますね。病気や事故で亡くなってしまうかもしれません。ヨシュアにとってモーセという偉大な先輩は絶対的な味方でした。しかし、この信頼できるリーダーは先に亡くなったんです。イスラエルのリーダーだった人を失い、自分がそのリーダーとならなければならない。どれほどの不安とプレッシャーがヨシュアにあったことでしょう。私たちも人生のなかでそのような時がないでしょうか。責任は重く、自分の力の限界を感じます。周囲の期待は大きいのですが、過大評価のように感じています。期待に応える自信がありません。でも自分はできませんとは言えない環境です。不安とプレッシャーで夜もあまり眠れません。そんな私たちに声をかけてくださる方が神です。ヨシュアを支え励ました神は、今もあなたを支え励まし、声をかけてくださるのです。そのような方がおられたら、私はぜひお伝えしたいのです。聖書の神があなたに今日語りかけておられます。私はあなたを放さない、私はあなたを見捨てないぞと。

聖書の神は私たちを放さない

私が小学生の頃、戦争ゲームをよくやりました。二つのチームに分かれて、ある時は水鉄砲をかけあったり、ある時はロケット花火を打ち合ったりするんです。今ではあまり考えられない危ない悪い遊びですよね。でも第二次ベビーブームで生まれた方の世代ならわかると思います。その時代は今考えると、とても良いとは言えない危険な遊びたくさんしていたなと思うんです。ある日、相手チームが団地の階段の踊り場から、戦争ゲームではルール違反の石を下に向かって投げてきたんです。私たちのチームは不利な階下にいます。私はやられたらやり返す精神で、石を拾い上に向かって投げたんです。そしたらなんということでしょう。友達のおでこに命中してしまったんです。流血事件です。救急車が呼ばれ、友人は病院に行くことになりました。周りの大人がてんやわんやの対応をしています。私は一人事態の大きさに圧倒され、立ちすくんでいました。母親がやってきました。そして私を抱きしめて耳元でこう言ったんです。「もう大丈夫。お母さんはあなたの味方。あとはお母さんがなんとかする」そして相手の親への謝罪、学校の先生への説明と謝罪、治療費の支払いなど、全て私がしてしまったことの後始末をしてくれたんです。私がしてしまったことは悪いことです。でも私が自分のしてしまったことと向き合えたのは、母親が自分の味方であることがわかっていたからです。相手の両親や学校の先生に謝りに行けたのは母親が一緒に居てくれたからです。私たちの神は私たちの罪を無かったことにするのではありません。絶対的味方として一緒に居てくださり、また罪の償いを全部代わりにしてくださる方なのです。イエス・キリストが十字架で身代わりに死んでくださったことにより、事実私たちの罪はすでに償われているのです。聖書の神はどんな時も一緒に居てくださる絶対的味方なんです。神はヨシュアにこう言っています。「わたしはあなたを放さず、あなたを見捨てない」このことばはなんと人を勇気づけることばではありませんか。あなたが神を放してはならない、あなたが神から放れてはならないというなら、私たちに責任があります。そして、いつも放れてはいけないという不安と、最後までやり遂げられるかという恐れが心に湧いてくるのです。しかし聖書の神が私たちを放さず、捨てないのです。

あなたは赦されている

私のお気に入りの映画に『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』があります。アカデミー賞の脚本賞を受賞した作品ですが、ご存知の方もおられるでしょう。数学の天才的頭脳を持ちながらも、過去のトラウマから素行は悪く、他人と付き合うことが苦手な青年が絶対的味方であるカウンセラーとの出会いと関係を通して、心の呪縛から解放されていくという感動作品です。この青年の心を解放するキーワードが、カウンセラーがかける「君は悪くない」という言葉です。自分で自分を責めているこの青年は、何度もこの言葉を聞くことを通して心が解放されていくんです。キリストは十字架でこう祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」そうです。キリストはあなたを責めておられないんです。今日絶対的味方がいないと感じている人がおられましたら、ぜひお知りください。聖書の神はあなたの絶対的味方です。罪におののいているあなたの味方です。キリストはあなたをすでに赦しておられます。このキリストを通して、神の愛が豊かに現されているのです。この神、キリストこそあなたの絶対的味方です。不安と恐れから解放される人生は、このキリストを信じる人生にあります。心からおすすめします。


使用CDジャケット
大宮香織:しあわせのおきて

今日のみことば
あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
(ヨシュア1:5)