ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
私は先日、将棋のプロ加藤一二三さんのインタビュー番組を見て大変感銘を受けました。彼は14歳でプロ棋士になり、史上最高齢、史上最多敗戦記録とともに、歴代2位の1300勝を超える勝ち星を持つ人です。対局中チョコレートをぼりぼり食べたり、対局中に滝の音がうるさいと言って止めさせたり、突如立ち上がって上から将棋盤を眺めたり、大変エピソードの多い人なんですね。
その加藤さんがテレビでも、著書の中でも、必ず触れることがあります。それは、自分がクリスチャンだということです。いったいどうしてクリスチャンになったんでしょう。将棋というのは相手あってのゲームですね。相手はこちらを負かしてやろうと、ありとあらゆる手を打ってきます。どちらが勝ってもおかしくない。そんな大接戦の中でいったい何が勝敗を決めるんでしょう。それはどっちが先に最善の手を打つかで決まるっていうんですね。これだという最善の手が出ると、後は自然に勝ててしまうっていうんです。ここに打てば必ず勝てるという最善の手というのが、将棋の世界の中にあるとおっしゃるんですね。ならば人生においても将棋のような最善の手があるのではないか、つまり、こう生きれば必ず幸せになれる。こう生きれば必ず勝利する。こう進めば必ず答えが出るという道があるに違いないと模索し続けていた時、聖書と出会ってキリストこそがその答えだと分かったとおっしゃっていました。
ある時、キリストはこうおっしゃいました。
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
ここでキリストは三つのことを主張しておられます。
キリストだけが唯一の道
第一に、キリストだけが罪人が神に立ち戻ることができる唯一の道であるということです。
今から150年程前、アメリカのペリー率いる黒船が日本にやってきます。翌年二度目の来航の時には7隻もの軍艦からなる世界最大級の艦隊となっていました。それは当時日本が持っている一番大きな軍艦より、20倍も大きい軍艦だったのです。大砲の数だけで80門、江戸の市中を破壊するのに十分な装備でありました。当時こんなものを造れるアメリカにぜひ行って見て学んで日本を良くしたいと願う青年がいたのです。吉田松陰、当時25歳の若者です。彼は命懸けで、この船に乗り込む決心をします。その決意を松陰から引き出され、どうしても一緒に連れて行ってくれと言ってきかない1歳年下の弟子、金子重之輔という人と共に松陰は小舟に乗って、沖に停泊中の黒船に近づくのです。
ところがこの小舟には櫓を固定する金具が外れていたんですね。松陰は自分の褌を外して櫂に縛ってくくりつけて、荒波の中ようやく黒船に到着します。ところがペリーの乗ってる船はもっと沖に泊まっていたんですね。すでに体力は限界にきていましたが、彼らはペリーの乗っている旗艦目指して進み、真夜中の2時45分とうとう乗り込むのです。そして、礼儀正しく誠意を尽くし、どうぞアメリカに連れて行ってくれと直談判するんです。しかし、ペリーは断るんですね。なぜなら、松陰たちがしていることは密出国であったからです。ルールに乗っ取らない違法な出国者を乗せたことが分かると、後で日米関係がこじれるということを考え断るんです。このことが発覚した松陰たちは後に死刑にされてしまうんです。彼は熱意と誠意の塊のような人です。しかし、熱意や誠意だけではどうしても入ることが許されない世界がこの当時あったんですね。
そして、それは神の国においても言えることです。神の国永遠の天国に至る道は、そこへ行きたいという熱意や修行やお布施ではどうにもならないのです。現在でも犯罪歴のある人はアメリカに入国することはできません。神の国である天国は、この地上のどんな国よりもきよい国です。したがって、罪人はそのままでは天国に入ることはできないのです。しかし、キリストを救い主として信じるならその人は神の国に入ることができるのです。なぜなら、キリストがあなたの罪の償いをあなたに代わって成し遂げ、その罪の記録を何もかも完全に消去してくださったからです。キリストだけが神に立ち戻るための道であるのは、そういう理由によるのです。
キリストは真理
第二に、この方は真理です。世の中には真理について教えてくれる哲学者や教師はいるでしょう。しかし、キリストは真理についての情報を伝えるスポークスマンではなく、真理そのものなるお方なのです。この真理ということばには、かぶっていたベールが取り除かれてついに明らかにされたものという意味があります。では、明らかにされたもの、ついに詳らかにされたものとはいったいなんでしょう。ずばり神のことなんです。神様は目で見ることはできませんね。ですから、ある方は恐ろしいイメージで神様をとらえます。またある人は人格のないイメージで宇宙のエネルギーのようにして神様をとらえます。またある人はそんな神なんて存在はないとおっしゃるでしょう。しかし、神の存在は神のお造りになった作品であるこの自然界を見たときに明らかではありませんか。この目に見えない神というお方を目に見える形で示した方、それがイエス・キリストなのです。ですからこの方は真理なのです。今まで分からなかった神を目に見える形として現された真理なる方、それがイエス・キリストなのです。
キリストはいのち
第三に、この方はいのちなのです。私は先日大阪城公園で指人形の劇団を見ました。手袋の人差し指の先端に大変可愛らしいキャラクターの顔がついた、とっても簡単なシンプルな人形なんです。しかし、プロが演ずると実に生き生きと動き回り、見ていた子どもたちの心はがっちり掴まれていました。劇が終わった後、私はインタビューしに行ったのです。そして、そっとその舞台に近づいて見ると、先ほどまで生き物ようにして動いていた手袋の人形が脱ぎ取られて置いてあったんですね。それはまるで魂をなくした人間のようにぐったりとしていました。この人形手袋だけではなんにもできないんですね。しかし、ひとたびこの中に人の手が入ると生き生きと生き物のように動き回るのです。私たち人間はそれ自体では手袋のような者だと思います。理想を知ってはいてもそれを成し遂げたり実行したりする力がないのです。しかしこの弱い私の中に、もしキリストが入ってくださるなら、私たちはキリストのいのちで人生を生きなおすことができるのです。なぜなら、この方はいのちだからです。神のいのちであるからです。あなたに永遠に生きるいのちを与え、また、神の理想を生きる力を与えるいのちなのです。
どうぞあなたも道であり、真理であり、いのちであるこのキリストを信じ受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。
(ヨハネ14:6)