ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
ある人が幼い息子にジグソーパズルをやらせたそうです。世界地図のジグソーパズルです。おそらく完成するのに何日もかかるだろうと思っていたら、30分もしないうちにやり遂げてしまうんですね。「どうしてそんなに早くできたの?」と聞くと「パパ、これだよ」実はパズルの裏に人間の顔が描かれていたんです。だから人間の顔を作り上げたら、完成するようになっていたっていうんですね。それを読みながら、とても象徴的な話だなと思いました。今、世界がバラバラなのは、人間が不完全で、未完成で、こわれているからです。人間が完全にされない限り、世界は完全にはなりません。なぜなら世界は人間によって構成されているからです。しかし、人は自分の力で自分を完成させることはできないのです。聖書の中にこんなことばがあります。
神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。これは、定められた時になされた証しです。
三つのポイントでお話いたしましょう。
神は唯一
第一に、神は唯一です。人が造った神々は何千何万とあるでしょう。しかし、人を造った神は唯一です。神とは、あなたの作者のことです。
ところで、21世紀に入って世界で最も発展したインフラは何かご存知でしょうか。パイプラインだそうですね。石油や天然ガスを送るための管の道のことです。石油や天然ガスはタンカーやタンクローリーで運ぶと、たいへんコストがかかります。しかし、配管でつないでしまうと経済的なんですね。それで今、世界中で猛烈な勢いで国境を越えたパイプラインが建設されてるんです。ところが、配管に液体を流すのは思っているよりもコストがかかってるんだっていうんですね。というのは、液体とパイプの内壁の摩擦があるからです。例えば、水道の蛇口を少し開くと糸をひくように水が流れていきます。しかし、蛇口を大きく開くと水は乱れるようにドドドーと出てきますね。これは一定の速さを超えて流すと内壁との摩擦で渦巻きが生じるからです。そしてこの渦巻きによる乱れが、エネルギーを浪費させているっていうんですね。
ところが、この世界には相当速いスピードで液体を送り込んでいるにも関わらず、乱流状態にならない配管が一つあるんですね。何でしょうか。血管です。人体の中に張り巡らされている血管中の血液は、一切あぶくを生じることなく、実にスムーズに全身を行き巡ってるんですね。この点に注目したのが、東京農工大学の岩本薫准教授です。彼は血管のメカニズムを研究するなかで、血液の流し方の中に摩擦をなくす理由があることをつきとめたんです。実は、液体は一定の速さで流すと乱れが生じるのですが、心臓のようにドックンドックンと速い遅いを繰り返すと、内壁に渦が生じないということがわかったんです。そしてこの心臓の脈動パターンで液体を流すと、摩擦抵抗が60%もカットできるということがわかったのです。これは世界ではじめての発見です。このシステムを工業的に再現するなら究極のエコ輸送システムができるだろうと言われているのです。最高に合理的なシステムが私たちのからだの中にすでに組み込まれてるんですね。
ところで、極限まで効率的なシステムは人が知恵を振り絞ってたどり着く結果なのですが、それが私たちのからだの中にあるのは、いったいどういうわけでしょう。これは私たちを緻密に、合理的に、最高傑作としてお造りになった作者がおられるという証拠ではありませんか。人が造った神ではなく、人をお造りになった唯一の神がおられるのです。
仲介者も唯一
第二に、神に至るための仲介者も唯一であって、それはイエス・キリストだけなのです。
リハビリの方法の一つに、自由の利く側を縛ってわざと使えなくし、不自由になった側を使わざるを得なくしてトレーニングするという手法があるそうです。人間はつい使える方ばっかりを使って、動きづらい方はますます動かさなくなります。すると脳は使わない部分への指令はもう必要ないのだと判断して、指令回路を切ってしまうっていうんですね。人間は使わない能力は使いにくくなり、ついに使えなくなってしまうっていうんです。
そして現代人が最も使おうとしない能力は、信仰ではないかな、と私は思うのです。信じるということです。目に見えない神を聖書のことばによって信頼するという態度ですね。そしてあまりにもこの信頼という能力を使わずにきたために、信じることがばかばかしく思えたり、あきらめてしまったりするんです。しかし、そんな疑り深い人間のために、明確に神を示すために人として来られたお方がイエス・キリストなんです。キリストこそは、神の現れ、神が遣わした神と人との間の仲介者なのです。
キリストが身代わりになった
第三に、キリストは私たちの身代わりとなって、十字架にかかって死んでくださったことです。
せっかく神のみこころを示すためにキリストは来られたのですが、キリストを受け入れる者はほとんどありませんでした。イエス・キリストは何一つ悪いことをしませんでしたが、誤解され、裁判にかけられ、有罪判決を受け、二人の犯罪人の間に釘でつるされ、弟子からも見捨てられ、そして神から呪いを受けられたのです。しかしそれには理由がありました。全く罪のない方が十字架にかかって死ぬことで、弁解の余地のない罪人が救われるためであったのです。キリストはあなたの罪を背負って、罪の刑罰を受けてくださったのです。そしてこの方は、死後三日目に復活されました。それだけではなく、誰でもキリストを信じる者には、完全なる罪の赦しと神を喜び正しく生きていくいのちをも与えてくださるのです。キリストを信じて生きるとは、自分の力で生きることとは正反対です。キリストがその時その時に必要なものをすべて備えてくださると信じて生かされていく生き方なのです。
ところで、クルミの殻を手を使わずに割るにはどうしたらいいでしょう。噛んだら歯が折れますよ。足で踏むってのはスマートさがないですね。ではどうすればいいんでしょう。クルミを地面に埋めるんです。土に埋めると、やがていのちが芽吹き、殻は内側から割られ、地上に芽が出てまいります。キリストは私たちの硬い殻を強引に打ち砕くのではなく、新しいいのちを授けることで、内側から私たちを変えていってくださるのです。
どうぞあなたもこのイエス・キリストをご自分の救い主として信じ受け入れ、新しいいのちを受け取ってください。心からお勧めしたいと思います。
(1テモテ2:5-6)