#1084 他人と比べず使命に生きる

メッセンジャー似顔絵

明けましておめでとうございます。高原剛一郎です。

今年も『聖書と福音』をよろしくお願いします。
さて先日、私は、新幹線に乗りましたが、それは新型車両N700Sでした。13年ぶりのモデルチェンジで、ますます格好良くなっていましたね。
しかし私は、新幹線と言うと、いまだに0系車両が思い浮かぶのです。この0系には、今の新幹線車両にないものが一つあったんですね。食堂車があったんです。その頃のことを書いたサザエさんにこんな話があるんです。
窓側の席で読書をしていた波平が、途中トイレに立つんです。入れ替わりで食堂車から戻った新婚カップルが入ってくるんです。ところが自分の席がどこか分からないんですね。そこへ用を足した波平が、自分の席に座ると、「ああ、あそこだ」と新郎はにっこり笑うんです。彼が目指す先には、背もたれからはみ出した波平の光輝く禿げ頭ですよ。つまり、この新婚カップルは波平の頭をランドマークにして自分たちのシートを見つけたんです。最後のコマにはこう書いてありました。「人は知らずに何かの役に立っていることがある。」
作者の長谷川町子さんはクリスチャンです。この世界を造り、人間を造った神を信じてるい人です。彼女は、さりげなく笑いの中で、「無意味な存在はどこにもないんだよ」っていうことを伝えてるんですね。これは聖書の世界観なんです。神は、賢く何でもできる方です。人が自分の生きる意味を見失っている時も、創造主は、その人を用いて良きことをなさる方なのです。とは言え、やはり人間として、自分自身でも人生の意味を知ったうえで生きていきたいなあと思うんですね。
聖書の中に、死からよみがえったキリストが、ペテロという弟子に向かって語りかける場面があります。キリストは、ペテロに殉教の死を遂げるようになると預言なさるのです。

ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついてくるのを見た。
ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

ここから幸せな人生を生きる三つのポイントを考えましょう。

人と比べない

第一に、人と比べないということです。ペテロはイエスに尋ねました。「この人はどうですか。」それに対してイエスは「あなたと何の関わりがありますか」と言われたんです。他の人のことは、どうでもいいじゃないですかと。ところが人は、人と自分をつい比べてしまうんですね。
私は、先日ある本を読んで衝撃を受けたんです。『目の見えない私がヘレン・ケラーに宛ててつづった一方的な手紙』という長いタイトルの本です。なにが衝撃かと言いますと、今は亡きヘレン・ケラーに対して文句を言い続けている手紙の本なんです。「ヘレン・ケラーさん、あなたちょっといい子ちゃん過ぎませんか!」まあそういう内容なんですね。
ご存知のようにヘレン・ケラーという女性は、生後2才になる少し前、髄膜炎という病気にかかり、見えず、聞こえず、話せない状態になりましたが、サリバン先生との出会いで知的に開かれ、やがて手紙を書き、ハーバード大学に入学し、大勢の人々の前で堂々たる演説をするまでになるのです。どんな困難にも決して負けず、いつも明るいほうを考え続けた彼女の生き方から、勇気をもらった人も多いのではないでしょうか。
ところが、この本の作者であるジョージナ・クリーグさんは、彼女に対して怒ってるんですね。実は、彼女自身全盲ではありませんが目が不自由なのです。しかし、作家になり、大学教授でもあり、社会的にも成功しているアメリカ人女性です。それなのに彼女は、ヘレン・ケラーに憎しみを抱くようになっていました。それは、幼い頃から、ことあるごとに「あなたよりもっと大きなハンディキャップを負っていたヘレン・ケラーは、それらを全部乗り越えて立派になったのよ。だからあなたは、自分がどれほど恵まれているかということについてもっとありがたく思うべきだ」と言われ続けて育ったからだと言うんですね。つまり、立派過ぎる人と比べられて、ほとほとうんざりしているというふうに言うんです。
もし彼女が、そういうことなしにヘレン・ケラーの自伝に触れていたならば、もっと違った考えになっていたことでしょう。しかし、彼女にとっては、ヘレン・ケラーはうさん臭い奴になってしまっていたのです。それは、比較されたからです。比べられると優劣、勝ち負けが付きます。人と比べると自分がみじめになりうるのです。そして、それは不幸への道なのです。
そして、この、人と比べるということこそは、ヘレン・ケラーが最も遠ざけた考え方なんですね。

あなたにも使命がある

第二に、自分には自分の使命がちゃんとあるということを、しっかり知ることです。金子みすゞさんの詩の中に次のようなものがあります。

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように、
地べたを速くは走れない。
私が体をゆすっても、
キレイな音は出ないけど、
あのなる鈴は私のように
たくさんの唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

誰かを目標にしたり、モデルにするというのはいいことだと思います。しかし、自分らしくあるということを差し置いてしまったならば、何者にもなることは出来なくなるんですね。神様が、せっかくあなたという存在をお造りになったのに、あなたが、あなたをやめてしまったなら、神があなたを造った甲斐がなくなるのではありませんか。他の人に使命があるならば、あなたにも使命が必ずあるのです。

キリストが間に入ってくださる

第三に、その使命が分からないのは、あなたがご自分の造り主から離れておられるからではないでしょうか。なので、人が自分の使命を知る第一歩は、自分の作者に立ち返るということにあるのです。そこでキリストは、言われました。「私に従いなさい」と。キリストこそは、あなたが神に立ち返る資格を与えて下さる救い主なんです。
大きな歯車と小さな歯車では歯形のサイズが違いすぎて互いにかみ合いません。しかし、二つの間に中間の歯車を挿入すると、両者を噛み合わせることができますね。神の求める正義の歯車に、人間の持っている罪のギザギザ、歯車は絶対に噛み合えないものです。しかし、人となった神、イエス・キリストは、その人間の罪を自分の死をもって完全に消し去ってくださいました。そして、三日目に死からよみがえり、今、あなたと神を結ぶ仲介者、完全な歯車、完全な大祭司として、神とあなたの前に立っていて、そして、あなたが立ち返るのを待っていてくださるお方なのです。
どうぞ、あなたもこのイエス・キリストを救い主として信じ、新しい年を恵みの年としてお迎え下さい。心からお勧めいたします。
 


使用CDジャケット
Migiwa:この世界を造られた神様は

今日のみことば
ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついてくるのを見た。
ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
(ヨハネ21:20-22)