#995 ペテロが見たイエス・キリスト

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

私は先日、新幹線に乗っておりました。すると、乗客が一斉にスマートフォンでパシャパシャと写真を撮りだしたのです。
窓を見ると、見事な富士山が姿を現していたのです。さすが日本一の山ですね。
ところが、この山を登ったことがある方によると、富士山は遠くから眺めると美しいが、近づいて実際に登って見ると、うっとりするような山ではないというのです。
これは人間についても言える事だと思うのです。多くの歴史上の偉人は、身近な人からの評判は高くありません。
たいてい家族からは、ひどい評価を受けていることが多いのです。

ペテロの証言

ところが、イエスキリストだけは違いました。このキリストと3年半の間寝食をともにしてきたペテロという人物は、イエスについて4つのことを語っています。
第一に、

キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。

イエスキリストには、一切の嘘偽りがなかったというのです。

ゴルフのルール変更

ところで今年から、ゴルフのルールが変わったそうです。600年の歴史を重ねて複雑になりすぎたルールを簡素化し、プレーの時間を短縮するのが目的です。
もともとゴルフのルールは2つしかありませんでした。自分に有利に振る舞ってはならないというのと、あるがままにプレーするです。
つまりゴルフは、自分自身でルールを裁定するスポーツなのです。

嘘偽りのないすごさ

さて、このゴルフ史上とびぬけたスーパースターに、ボビー・ジョーンズという人がいました。
ワンシーズンに世界4大大会を制覇した唯一の選手です。しかも彼は、生涯アマチュアだったのですね。彼の本業は弁護士だったのです。
ところで、彼には一つ有名なエピソードがあるのです。
1925年の全米オープンで今まさに打とうとした時、ボールが少し動いてしまった。それで、1打罰を自己申告したのです。
実はゴルフでは止まっているボールを打たなければいけません。自分のうち安い場所にボールを動かしたりするのは反則なのです。
しかし彼の場合、風が吹いたのか何らかのことで、勝手にボールが少し移動したのです。しかも、誰も見ていませんでした。
しかし彼は、ボールが移動したことには変わりがないと言って、自らに罰を下して自己申告し、そのために優勝を逃したのです。
そのフェアプレー精神をみんなが称賛した時、彼は言いました。「銀行強盗しなかったからといって、褒められることだろうか。」
ゴルフの世界でこれが有名なエピソードとして残っているのは、多くのゴルファーがだれも見ていないとき誘惑に負けてしまうということを多少なりとも経験しているからです。
この世では偽りがないということだけでも、極めてまれな事、すごいことなのです。
しかしキリストの場合、スポーツのルールを守るというレベルではありません。人生のどの場面においても、一切嘘偽りがなかったというのです。

感情任せに行動しなかった

第二に、

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

キリストはでっち上げられた罪の汚名を着せられた時ですら、怒りに任せて行動することが一切なく、心の中の平安をかき乱されることが、全くなかったのです。
私は先日ある地方に伝道旅行に行きました。そこで一人のクリスチャン男性の案内で町を案内してもらったのです。
観光しながら、どうやってキリストを信じるようになったのですかと聞くと、学生時代に受けた苦い経験談を話してくれました。
彼はとある喫茶店でアルバイトをしていたのです。接客は好きだし、コーヒーも好きだし、バイト仲間との関係も良かったし、大学時代とても充実した生活だったのです。ところが、あることがきっかけでつらい顛末に陥っていきます。
あるとき、レジのお金が1万円合わなくなったというのです。1万円少ないのです。つまり、誰かがレジから1万円を抜いたのです。
そして、一人の先輩の考えで、あれよあれよという間に、彼が犯人に仕立て上げられてしまったのです。
彼は盗っていませんでした。だから必死で、私ではないと弁明したのですが、店長が下した決定は彼を辞めさせるということだったのです。
彼は悔しくて悔しくてたまりませんでした。はらわたが煮えくり返ったというのです。そして20年たった今でも、その時の怒りが噴き上げてくるというのです。
しかしそんなとき、不定期に通っていた集会で聖書の言葉が心に入ってきたのです。

自らの意志で十字架を選択された

キリストは全く罪のない方なのに、罪の濡れ衣を着せられ死刑判決を受けられます。それなのに、キリストはののしり返さず、脅すこともせず、ただ黙って十字架に向かっていかれたのです。
こんな態度は人間には絶対にできない。このキリストこそは、人となった神だと確信したというのです。
どうしてキリストは怒鳴り散らしたり、怒りを爆発させたり、なさらなかったのでしょう。
それはキリストにとって、十字架の判決は押し付けられたのではなく、実は自らの意志で十字架刑を選び取っていかれたものであったからです。
聖書にこう書いてあります。 

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。

これが第三のポイントなのです。
キリストは私たちの罪を私たちに代わって永久処分するため、自ら十字架についてくださったのです。
つまりキリストは十字架に架けられたという受け身ではなく、自ら架かりにいかれたのです。

キリストの傷によって救われる

聖書には次のように書いてあります。

その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。


実は先日、私の母が白内障の手術を受けました。
それまではすりガラス越しの世界を見るようでしたが、両目とも人工レンズを入れたため、実にクリアにみることができるのです。
この人工レンズは、実はアクリル製なのです。ところで、どうしてアクリル樹脂なのでしょう。
第二次世界大戦の時、ある兵士が自国の空軍の戦闘機の事故に巻き込まれてしまうのです。コックピットのアクリル樹脂製の風防が壊れ、その破片が目に入ってしまったのです。
目という器官はとてもデリケートです。小さな異物が入るだけでも、すぐに炎症を起こしてしまうのです。
ところが、彼にはそのような異変がありませんでした。後日、違う眼の病気で、破片が目から取り出された時、破片もきれいな状態であった事に注目し、人工レンズの素材としてアクリル樹脂が採用されることになったのです。
つまり、一人の兵士が受けた傷によって、目に優しい素材が明らかになったのです。
キリストは十字架の上でひどい傷を受けられました。両手両足を3本の釘で打ち抜かれて、吊るされたのです。
そのうえ神の裁きをたった一人で飲み干されました。このキリストの傷こそは、私たちのいかなる罪をも消し去る特効薬なのです。
どうぞあなたも、真実のキリストの死と、墓に葬られて3日目によみがえられたこのイエスキリストを信じ、このお方をご自分の救い主として、受け入れて下さい。心から、お勧めします。


使用CDジャケット
Rainbow Music:キリストにはかえられません

今日のみことば
キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
(1ペテロ2:22-24)