#964 生きる勇気と聖書の力

メッセンジャー似顔絵

おはようございます。高原剛一郎です。

アイルランドの文学者であり、脚本家であり、政治家であり、教育者であり、また、ジャーナリストでもあった人物にバーナード・ショーという人物がいます。
彼は人生についてこう言っています。
「二十代の頃より10倍金持ちになったという六十代の人間ならいくらでもいるだろう。しかし、その内の誰が二十代の頃より10倍幸せになったと言えるだろう。誰も言えまい。」
実に辛辣なことを言うんですね。しかし、それは一面の事実を示しています。
二十代の頃は今貧しくても未来があります。進学や結婚や出産やどちらかというとめでたい事や獲得する経験が続くんですね。
しかし、人生も六十代になって後半を進んできますと、病気や事故や離婚や死別など何かを失う経験が多くなるのです。
人生とは前半はいいけど後半は失うばかりなんだとほのめかしているのです。

マーク・トウェインの人生観

これをもっとはっきりと語ったのがマーク・トウェインという人です。
実は私は若い頃、彼の作品が好きでよく読みました。この人の頭はなんて賢いんだろうと舌を巻いた次第です。
しかし、晩年、彼は自分の人生観を語っているんです。それはこんな文章なんです。
「数限りない人々が世に生まれてきます。そして、人はパンのために額に汗し、労苦し、もがき苦しみます。つまらん喧嘩をし、取り合い、争い合います。互いにわずかな卑しい利益を奪い合います。老いは迫り、次々と病気が続きます。恥と恥辱は誇りと虚栄心を打ち据えます。愛する者は取り去られて、人生の喜びは激しい悲しみに変わります。苦しみと心配と不安の重荷は年々重くなっていきます。遂に、功名心も消え失せ、誇りもなくなり、虚栄心も影となします。そして、死への深い願望が起こります。こうして、自分がなんの役にも立たなかったこの世から消えていきます。人はこの世では何も成し遂げず、世に生きたのはそもそも誤りであり、失敗であり、愚かなことであったのです。人は自分が存在したことを示すなんの印も残さずに去って行きます。世はその人のためにただ一日だけ嘆きますが、永遠に彼を忘れ去って行きます。」

カット

世間の人生観は暗い

惨めな人生観を吹き飛ばす聖書の人生観

いや、実に暗い人生観ですね。少しも勇気が出てきません。
彼らがそのように考えるのは、人は偶然に生まれ死んだら終わりという人生観に立っているからです。
この人生観は人をこの世に造った神を見失うことによって、何の希望もなくなった人の人生観です。
虚しい人生観に立てば人生は虚しく見えてくるのは当たり前のことです。
しかし、そんな惨めな人生観を吹き飛ばす喜ばしいニュースを神は歴史的事実をもって語ってくださっています。
聖書にはこう書いてあるのです。

神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。

ここから3つのポイントで生きる勇気の理由をお伝えいたしましょう。

あわれみ深い神がおられる

第1に、あなたに対して憐れみ深い神がおられるということです。
どれくらい憐れみ深いか。あなたに代わっていのちまで捨ててくださる程、あなたを愛しておられる神がいらっしゃるのです。
私は先日、子供集会で「神さまは君たちのことを愛してるんだよ。」というメッセージをしました。
すると初めて参加した小学校高学年の女の子が「本当かなぁ。私を愛するなんて本当に言い切れるんだろうか」と言うのでビックリしました。
と同時に、共感もしたのです。あなたを愛しますなんて本当の姿を知らないから言ってるんじゃないかということですね。
時々、週刊誌が有名人や芸能人の失言やガッカリするような言葉を報道することがあります。そして、それを間に受けた人は「なんだ、そんな人だったのか」と急に熱が冷めてしまうんです。
しかし、私はそう言うのを見ると自分の事を思わずにはおれません。
もし、人が私の心の一番深いところにある欲望や、醜さや、感情というものを知ったら誰が私を愛してくれるだろう。誰も愛することはできないと思うのです。
しかし、神様は人が自分について知っている以上にその人の正体、その人の罪深さをご存知なのです。
そして、知り尽くした上で、愛を止めることができないで、罪人である人に代わって十字架にかかって死んでくださる程のお方なのです。
従って、私たちは神様の前に自分を優等生のように見せかける必要が全くありません。そのまんまの私を神様は愛してくださるのです。

信じる人には神の霊が与えられる

第2に、神はイエス・キリストを自分の救い主として信じる人には聖霊という神の霊を与えてくださると約束しています。
そして、この聖霊を宿した人は神の前に新しく生まれた人となるのです。生まれるというのは命を授かるということですね。
私たちは赤ちゃんとして生まれた時、自分の意思で生まれたのではありません。
ただ命をいただいて生まれてきたのです。
それと同じように、イエスを救い主として信じる人には神が無条件で、神を喜ぶいのち、罪に打ち勝ついのちを与えてくださるのです。
もし、あなたがご自分の罪を認め、その罪のためにキリストが死に、墓に葬られ、三日目によみがえられたことを受け入れるなら、あなたには新しいいのちが与えられるのです。

戦国武将も死は怖かった

第3に、神はキリストを信じ受け入れた人々に、生ける希望を与えてくださるのです。
戦国武将の真田家の旗印は六文銭でした。一銭銅貨が6枚並んだ図柄です。
これは三途の川の渡り賃が六文銭だというところからきているのです。つまり、死ぬ覚悟で生きるという意味なのです。
死を恐れないという意味ではありません。戦国武将だって死は恐ろしいものです。
しかし、その死が嫌ならば生きるためにどんなことでもやろうという意思表示のデザインなのです。死にものぐるいを鼓舞するための旗印なんですね。

キリストを信じる人の希望

しかし、キリストを信じる人にとって死は恐れるべきものではありません。
もし、今、死について恐怖しておられる方がいらしたら私は朗報をお届けしたいのです。
あなたが思い描く“最悪”は“最高・最善”のものに変わり得るのです。
何故ならキリストを信じる者にとって死は永遠のお別れや滅亡の始まりではなく、永遠の天国への玄関口にすぎないからです。
これから嫌なことが待っている人の人生はバーナード・ショーやマーク・トウェインの人生観です。
それは、人を憂鬱にし、投げやりにし、不機嫌にし、暗くします。元気がなくなるのです。
しかし、これから最高に素晴らしいものが待ち受けているいうことを知って生きる人の人生は明るいです。前向きです。肯定的です。
少々のことではへこたれません。この世の人生で起きるガッカリする事柄に対して過剰に落ち込みません。深刻になりすぎないのです。
何故なら終わり良ければすべて良しだからです。神様は大きな憐れみの愛であなたを愛しています。
そして、イエス・キリストは死者の中からよみがえって永遠の天国を保証してくださいました。
このキリストを信じる者に約束されているのは生ける希望なのです。すなわち、イエス・キリストが再び来られて天国へ連れて行ってくださるのです。
どうぞ、あなたもこのイエス・キリストをご自分の救い主として信じてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
Yuri:私の生きる理由とは

今日のみことば
神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
(第一ペテロ1:3)