#1336 聖書が語る喜びのおとずれ ①「神」

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

長い拍手をありがとうございます。今日はこの「聖書と福音」の公開収録、そしてまた『世界は聖書でできている』という私の著書の出版記念も兼ねて、このように多数おいでいただきまして本当に感謝しております。
実はこの本を書いて、良かったなーと思ったことがいくつかあります。一か月ほど前のことなんですが、私は埼玉の教会で講演を終えて、ホテルでくつろいでおりました。そうしましたら、夜中に見知らぬ電話番号の方から電話がありましてね、電話出てみましたら高校時代の恩師だったんですね。で、この方は体育教師で、鬼のような教師だったんですよ。日本体育大学バスケットボール部キャプテン、ということでね、まあスパルタ教育、体罰教育、昭和あるある体育教師みたいな感じで、この方はっきり言って私、悪い思い出しかない。だけど電話とってみたら、「高原君元気ですか、実は卒業生の一人が、君の書いた本を私のところに持ってきてくれてね、彼から電話番号聞いたんだよ。『世界は聖書でできている』、素晴らしいじゃないか。ちょっと今日は君にお礼を言いたいと思って電話したんだ」と言うんです。
「何のお礼ですか」というふうに聞いたら「私の教え子でいてくれてありがとう」て言われたんですね。あの鬼教官から。「何か自分の教え子が活躍してると、自分が活躍しているような気持ちになれるんだ。もう年老いてしまったけど、自分の教え子の活躍っていうのは、何か自分の分身のような気持ちにもなる」と言って、最後に「僕の誇りだよ」と言ってプチっと切ったんですね。何かその電話切られた後で、ずーっと心の中に温かいものが込み上げてきて、皆さんそんな経験ないですか。一回しか言われてないのに、百回くらい言われているような気になるような言葉。実は残り九十九回は脳内で再生しているんですよね。もし脳内で再生する言葉が、前向きな言葉、エールを送る言葉、そういうものがいつもいつも自分の魂の中をめぐっていたら、人生に対して意欲的になれると思うんです。だけど残念なことながらこの世の中には、否定的な言葉、ダメ出しの言葉、人の心をくじくような言葉もたくさんあるじゃないですか。
もし心の中に自分自身を貶めるような言葉がいつもうず巻いているようであるなら、なかなか前向きにチャレンジしていくということが難しいかもしれません。そういう場合、究極の前向きなことば、素晴らしいことば、実はそれは、聖書は「福音」と語っているんですが、その福音のメッセージを自分の心の中にある否定的なものと置き換えていくことによって、人生は大きく変わるのではないかなというふうに思っています。
そこで今日は聖書の語る喜びのおとずれ、福音を皆様にご紹介したいと思うのです。

神様は私たちの造り主であり支援者

まずテキストをお読みしたいと思うんです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

神が私たちを愛し、とあるように、私たちをとびっきりの愛で愛しておられる方がいらっしゃると言うんですね。ここで言ってる神っていうのは、人が作った神々のことではなく、人をお造りになった方、私たちの作者のことなんです。この神のことを聖書はしばしば、父なる神、天のお父さん、というふうに紹介しているんですが、実は「父」という言葉はギリシヤ語でパテラと言いましてね、このパテラという言葉がやがて英語になってパトロンという言葉になるんです。パトロンというのは、支援者というか、応援者というか、アーティストがまだ下積みの時代に、将来性を買っていろいろ物心ともに応援してくれる人ですよね。
私たちにはパトロンがいるんだ。私たちを造った神は造りっぱなしで、あと知らない、と言うんではなく、日々私たちが生きていくのになくてはならないもの、いのち、そして水も空気も、すべての自然界の素晴らしいものを与えてくださってる方だって言うんですが、でもある方は「いや、そんな神はいない」というふうにもおっしゃるんです。「もし神が本当に私を愛して、素晴らしい方であるなら、なんで俺の人生こんなにうまくいかねえんだ」という。
それは神様に対する誤解があるんじゃないかなと思うんですよね。

スピルバーグ監督の映画に父親はほとんど出ない

実はですね、世界で一番稼げる映画監督にね、スピルバーグという人がいるんです。私も高校生のときから映画が大好きで、スピルバーグの映画よく見ました。『ジョーズ』とか『ジュラシック・パーク』とか『E.T.』とか、いろいろあったんですけど、彼の数ある作品の中に出てくる、ある一つの特徴があるんですよね。
スピルバーグの映画に出てくる登場人物の中で、お母さんはいるんですけど、お父さんほとんど出てこないんです。出てきたとしても無口で、無愛想で、どちらかと言ったら情けないというか。お母さんに脚光が浴びる、お父さんというのは全く登場しないか、登場したとしても大した男ではない。そういうケースが多いんです。
なぜそんなことになったかと言いますと、実は彼が十四歳のとき、お父さんがお母さんを追い出すんですね。彼には妹が三人いたと思います。四人兄弟、この四人ともお父さんが親権を持って育てていくんですが、彼はこういうふうに考えるんです。「うちのお父さんは、お母さんを家からたたき出しただけではなく、親権を母親から奪って、そして自分で独占した。独占したからといって愛情深い父親には見えなかった」コンピュータの技師で無口で、仕事一本の人で、まあはっきり言って苦手な人だったんですよね。

スピルバーグの父親の真実

ところがスピルバーグが四十歳ぐらいになったときのことです。彼はもうその当時には、押しも押されもせぬ有名な大映画監督、みんなからスピルバーグ様、ていうふうに言われるような感じ。そして、久しぶりにお母さんに会いに行って話したときに、聞いたそうです。「ねぇ、母さん、なんであんな男と結婚したの。世の中にはもっとまともな男いっぱいおったでしょ。なんであんな変なのと結婚したんだ」みたいなことを言ったときに、お母さんが「もうたまんない。ほんとのこと言うわね」って言って「実は父さんが母さんを追い出したんじゃない。お母さんがある男性と恋に落ちて、あなたたちを捨てたのよ」お母さんはピアニストでした。そしてジャズクラリネット吹きの男性と恋に落ちて、家庭を捨てて出て行った。しかもその相手の男性はお父さんの親友だったのです。
「そんな話し初めて聞くよ」そらそうです。「実はあなたを置いて出て行ったとき、あなたまだ十四歳だった。人生の中で十四歳といったらすごく多感な時期で、傷つきやすい年頃で、妹たちもたくさんいて、そんなときにこんなショッキングなこと言ったら、あなたたちの精神のバランスが崩れて大きな傷になるかもしれない。それでお父さんはね、一人で悪役かぶったのよ。本当は自分が被害者であったにもかかわらず、お父さんが暴君のようなふりをして、悪役を買って出て、汚名を全部ひとりで引き受けてくれたのよ。だから父さん悪くない」。「知らなかった」って言って。
このスピルバーグのお父さん2020年に亡くなるんです。でもそれから三年後、『フェイブルマンズ』という映画をスピルバーグ撮るんですけどね、これお父さんの物語。一見、誤解されて無口で変人だと思ってる、愛情のかけらのないように見えている、その父が実は途方もなく大きな苦難を背負って、自分を見守っていてくれたんだという。あぁ、父のことを何も知らずに一方的に誤解していた、ということで彼は償いのような意味を込めてこの映画を作るんですね。

神はあなたを愛している

神は、皆さん、目で見ることできないんです。触ることができません。神の声を自分の耳で聞くことできないんです。だから神様ってどんな方なのかというのを、聖書以外で、自分のひねくれた心で考えると、どうしてもなんか神様がひねくれて見えたりするときあるんですよね。
でも誤解です。聖書に書いてある。「神は私たちを愛した」、とびっきりの愛で。どんなに誤解されても、どんなに悪いレッテル貼られていたとしても、クリスチャンであっても、クリスチャンでなくても、神様は人のことが大好きです。あなたのことを愛しておられる方です。「神は愛です」、神は良い方です。良い方からは良いもの以外出ません。
神のひとり子を受け入れる者は、神がお持ちのすべての祝福を受け取ることになるのです。ぜひ素晴らしい人生の中にお入りください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
大和田広美:愛する方のもとに

今日のみことば
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
(1ヨハネ4:10)