ごきげんいかがですか。尼川匡志です。
先日、リモートで聖書の集いを行いました。コロナをきっかけにこの形がずいぶん増えています。私は宮崎の自宅にいながら、全国にある教会の集いに参加することができるんですね。大阪、東京、神奈川、埼玉。すごい時代になりましたよね。でも先日のリモートは驚くことに、オーストリア、スペイン、ドイツ、そして日本をつないで、約30名ほどの方たちが顔を見ながら話したんです。
鉄腕アトムを見て未来社会を夢見ていた私にとっては、これはまさに夢の世界です。私たちはネット社会の恩恵を受けています。でも同時にこのネット社会の危険性も感じています。それは誰もが簡単に情報発信できるということですね。もし発信された情報が嘘で、たくさんの人がそれを信じて拡散すれば、嘘の情報が本当になってしまうんです。
嘘の情報と真実の情報
嘘と真実の見分けがつきにくい時代。コロナの情報もいろいろありますよね。危険だという情報と大丈夫だという情報があります。どちらが正しいのか、判断に悩んでしまいます。一つ言えることは、私たちは嘘であろうと真実であろうと、自分が信じた情報に従って行動するということなんです。たとえば先ほどのコロナ情報の場合も、危険だという情報を信じたら、できるだけ外出を控えますよね。大人数の会食は避け、帰省するのも少し待ちます。でも、たいしたことないという情報を信じたらどうでしょう。感染対策はするにしても、積極的に街に出、運動のためにジムに通い、必要ならば帰省もします。
つまり私たちは自分が何を信じるかで、大げさに言えば、人生そのものが変わってしまうんです。そして嘘の情報は、残念な結果を招き、真実な情報は幸いな祝福の結末を私たちにもたらすものだと思います。
人生の祝福をもたらす情報
さてあなたは、人間は神によって、意味と目的を持ってこの世界に存在している、という情報と、神なんていない、人間は偶然にこの世界に存在しているにすぎない、という情報のどちらを信じられますか。前の情報は聖書が語る情報です。後の情報は進化論的発想が提供してくる情報です。この二つの情報のどちらが真実であるのか、数学のように証明はできません。また実験で確かめることもできません。つまりどちらかを信じるか、になるんです。そしてそれによってあなたの行動は決定することになるんですね。
今日は二つのことを考えて、どちらの情報が私たちの人生を祝福するのかを考えてみたいと思います。
一つ目は、私は存在に価値がある、のか、何ができて何を持っているのかで価値が決まるのか、を考えます。
二つ目は、人生に迷った時、希望を持つことができるのか、偶然に期待するのか、この二つを考えたいと思います。
何に価値があるのか
それでは一つ目、私は存在に価値があるのか、それとも、何ができ何を持っているのかで価値が決められるのか、ということです。
あなたのまわりにこんな人はいませんか。かっこ良くて、スタイリッシュで、仕事はでき、頭脳明晰、スポーツマンで芸術的センスも抜群、おまけに家は大金持ち。仮にこの人をA君とします。かたや見た目はパッとしない、頭脳は平均的、仕事はそこそこ、スポーツはからっきし、歌は下手、貯金はない。B君にします。私たちの社会で重宝されるのは、A君ではないでしょうか。
さてあなたが浜辺を歩いていたとします。波にもまれ、形も色も実に美しい貝殻と、がたがたに割れていてフジツボがへばりついているような貝殻、どちらも偶然の産物ですよね。あなたはどちらに価値があると思い、どちらの貝殻を家に持って帰るでしょうか。もし偶然の産物であるなら、美しいもの、すてきなものがいいに決まってます。それをポケットに入れて持って帰るんではないでしょうか。
作者によって決まる価値
さて聖書に「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」とあります。
聖書はあなたを意味と目的をもって造ったと語っているんですね。また別の箇所には「私たちは神の作品です。」と書いてあるんです。作品とはね、作者が思い入れを込めて作るんです。人がどう思うか、どう評価するかは関係ありません。たとえすべての人が価値を認めないと言っても、作者にとって価値があるなら、それは価値のある作品なんです。
私たちの価値は私たちの作者である神によって決まるんですね。あなたがたとえ会社や学校や家庭で、どのような評価を受けようと、関係ないんです。あなたの存在は高価で尊い、これが聖書の言っていることなんですね。
このメッセージをあなたは信じられますか。神の存在を信じた時、これがあなたに真実な情報となり、心に響くんです。
偶然による支配
二つ目のことを考えたいと思います。
人生に迷った時、希望があると信じるのか、偶然に期待するのか。
あなたの人生が偶然の産物であるなら、人生の岐路に立った時、右に行くか左に行くか悩んでもあまり意味がありませんよね。なぜならそれはサイコロを振って、奇数が出るか偶数が出るかみたいなもんだからです。うまくいく時もあればいかない時もある。なぜなら、すべては偶然に支配されているからです。これでは不安になりますよね。
脱出の道
では神を信じる人はどうでしょうか。聖書にこう書いてあるんです。「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練に合わせることはなさいません。むしろ耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」
人生に試練はつきものです。ですが、たとえ試練があっても、神は脱出の道を備えていると言われているんですね。つまり非常出口があるということです。もちろん非常出口の先が、この世の成功や病気が治ることや、私が望んでいるかたちと違うこともあるかもしれません。
しかし、絶対に脱出できるんです。そしてその道があなたの人生を最終的にすばらしい益にするという約束を、神はしておられるんですね。なぜなら、あなたの存在は、高価で尊く価値ある、神の作品だからです。
脱出があるということばをあなたは信じられますか。信じられる時、あなたはもし今暗闇の中でも、悲しみの中にいても、未来に必ず脱出の道があると信じることができるんです。この未来を信じる人生こそが、希望がある人生というんですね。
あなたは、何を信じて生きておられるでしょうか。それによってあなたの人生は決まるんです。神を信じてください。心からお勧めしたいと思います。
(1コリント10:13)