#1083 福音は巧みな作り話か真実か

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。那須清志です。

2020年も残すところあと5日。この一年を振り返る番組や記事が溢れていますが、なんと言っても「新型コロナウィルス」問題で翻弄されられた一年でした。去年の今頃、誰も予想していなかったことで、改めて時代を予想することの難しさを痛感します。
この激動する世界の中で2000年間読み継がれてきた書物が聖書です。時代を超え、場所を超え、文化を越えて影響を与えているのはなぜでしょうか?それは人間を初め、万物を造られた創造主からの普遍のメッセージだからです。
聖書に次のようなことばがあります。

私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは、巧みな作り話によったのではありません。私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。

今日もここから三つのポイントで考えていきましょう。

空前の鬼滅ブーム

まず、聖書は「巧みな作り話ではない」ということです。
数年前から注目され、今年映画化もされて空前のブームになっているアニメがあります。「鬼滅の刃」ですね。舞台は大正時代で、主人公は少年・竈門炭治郎(かまど たんじろう)。鬼に殺された家族の敵を討って、鬼になった妹を人間に戻すため戦うというストーリーです。
こういう作品が人気になると、必ずその舞台になった場所は「聖地」となって多くのファンで賑わうようになります。この話では作者からの明確な発言はないものの、主人公と同じ名前の神社などがすでに注目されています。また、登場場面や風景が似ているところが「物語の世界を彷彿させる」とか「世界観を表している」ということでスポットを浴びます。
このように原作者や製作スタッフたちの作り上げていく世界の中で、多くの人は喜び、楽しみ、感動するのです。ブームを聞いて、関心を持ち始めた私なんぞは登場人物を知るだけでも大変です。そして、熱中している人たちを見て「人間のユニークさ」を痛感し、ほのぼのした思いに駆られます。
実際の出来事ではない、造られたものであることを十分踏まえた上で、その世界にしっかり浸り、その世界観から多くの感動を得ることができる人間の奥深さを思うのです。

聖書は「作り話」ではない

さて、ある意味で「聖書の世界」ほど多くの人々を魅了したものはないでしょう。聖書の影響は音楽、美術といった芸術面だけでなく、社会を変革する原動力になったり、人間の生き方を変えてきたことなど数え上げればきりがありません。
でも、ここで気をつけたいのは、聖書が「巧みな作り話」として捉えられたのではない、ということです。「巧みな作り話」は私たちの生活に活力を与え、楽しみを増やすかもしれませんが、この地上の生涯限定のものです。
聖書が語る事実に基づくメッセージは人間に不変の望みと真の命をもたらします。

史上最強の虫

二つめとして、聖書は「主イエスの力」を知らせているということです。
イエスの愛とか十字架に架けられた弱々しい姿というのはよくイメージされるものです。でも、ここでは「イエスの力」とあります。イエスは「大いなる力」を持つものとして紹介されています。それもそのはず、創造主なる神が人の姿をとってこの地上に来られた方というのが、聖書が語るイエスのプロフィールです。
さて、史上最強の虫と呼ばれる「クマムシ」という生き物がいます。マイナス273度という超低温から120度の高温までの温度変化にもへっちゃら、6000気圧の高圧にも、人間の致死量の1000倍の放射線にも耐えるといいます。体調は大きくても1㎜ほどで、コケの中など湿った環境で生息しています。周りから水分がなくなると乾燥して睡眠状態に入り、再び水分に出会うまでいつまでもその状態のままでいるというのです。
ただ「絶対死なないのですか」という質問に対して「いいえ、爪でつぶせばすぐ死にます」と回答を見て、笑ってしまいました。最強の意味を取り違えないようにしないといけません。

史上最強の人間

イエスが十字架で処刑されるとき、それは本当に弱く、みじめな姿でした。しかし、その弱さは人間の罪を背負うために味わわれたものだ、と聖書は語ります。まさに預言されたように虫けらのように扱われ、ふみつぶされたのです。
ところが、裁き主なる神から人間の身代わりとして裁きを受けられたイエスは、神から再び命を与えられて、三日目に復活したと記録されています。前例のない史上最強の人間としてしてのイエスが明らかにされますが、これは「巧みな作り話」ではないと強調された一つの場面です。多くの弟子たちによって目撃され、イエスが力ある救い主であることが証明された大事件だったのです。

再臨の約束

三つめに、聖書は「主イエス・キリストの来臨」を知らせているということです。
「来臨」とは「イエスが再びこの地上に来られる」ということです。2000年前に処女マリヤを通してこの地上に来られたのが一回目の来臨で、今から後、再び来られるということで「再臨」とも言います。
三日目に墓を突き破って復活したイエスはその後40日間、地上に留まられて、ご自分が生きていることを明確に示し、弟子たちにこれからの生き方をアドバイスされました。その後、天に帰っていったと記されています。ここも「巧みな作り話」ではないと強調された一つの場面です。
ある子ども向けのイエス・キリストの伝記に「イエスは十字架の後、復活したと言われています。今でも弟子たちの心に住んでいるのですね」みたいな書き方がされていました。これは嘘です。聖書のどこを見ても「イエスが思い出として人々の心の中に生き続けている」という詩的な表現で復活のことを記してはいないのです。
死亡宣告を受けたあとに、奇跡的に蘇生した人というのは少なからずいます。しかし、彼らに共通して言えることは、最終的には亡くなったということです。すぐではないにしても、いつまでもこの地上にとどまることはありませんでした。
イエスの場合は、その後の死が書かれていません。そうではなく復活してから40日後、天に帰って行かれたというのです。特別な人になったというよりも、元々特別な人だったのです。この地上を30年ほど人として歩まれたということこそ奇跡でした。イエスの力は復活でも示されましたが、この再臨にこそ最も顕著に示されます。今もイエスは生きておられ、私たちが神に立ち返ることを待っておられ、来るべきにときには、ご自分の民を迎えるために「来臨」されると約束されています。

福音は永遠に価値あるもの

この福音が「単なる巧みな作り話」であれば「おもしろい、おもしろくない」で済ませばいいでしょう。でも、もしこれが本当であったら、影響は永遠に及びます。人間が抱え込んでしまった罪のゆえに滅びが近づいているのが本当のことであれば「興味がわかない話」で済ませられないと思うのです。
罪の処分が実際になされ、それを確認するために三日目に蘇り、天に帰り、再び来られる、このイエスを救い主と信頼するときに、私たちの救いは現実のものになります。真実な情報として全世界に伝えられました。語り続ければ命を奪われるような状況の中でも語られ続けました。ブームのように去ることもありません。この地上にだけ通用するものではなく、永遠に価値あるものです。
是非、あなたも聖書の世界観が本物であるかどうかを探り、永遠の救いを求めるという新たな決心のもとに新しい年を迎えてください。心からおすすめいたします。


使用CDジャケット
国分友里恵:うるわしの白百合

今日のみことば
私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは、巧みな作り話によったのではありません。私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。
(第二ペテロ1:16)