#1054 悔い改めを生む力


メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

私は最近、お会いしたことのない方から、たくさんのお手紙やメールをいただくようになりました。そのなかでしばしば「髙原さんは聖書が好きですね。」とか「聖書の中でどの箇所が一番好きですか。」とか、私の好みについて尋ねてくださるんです。
私は聖書が大好きで、読まない日は一日もありません。そして聖書のことばの中で、思い出すたびに力が湧いてくることばがいくつもあります。
しかし、聖書を好きが嫌いかで問うということについては少し、抵抗感があるんです。というのは、好き嫌いというのは、嗜好品を論じる時の物差しであるからです。私にとって聖書は、好き嫌いの次元を超えたものです。これがなければ、私は葬り去っていました。私は聖書のことば、神のことばによって、人生が全く変えられてしまったからです。
さて聖書の中には、人が罪赦されて、新しい人生に入るために二つのことを語っています。こう書いてあるんです。

ユダヤ人にもギリシャ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰を証ししてきたのです。

二つのポイントでメッセージをいたします。

時間を巻き戻す

第一に、人が罪から救われるためには、神に対して悔い改めることです。
悔い改めとは、神から離れていた生き方を捨てて、神に心を向き直すことなのです。今までの古い生き方と決別したい、と神に向かって願うことです。それは人生における方向転換です。神に背を向ける人生から、神に向き直る人生を、選び取るということです。
先日私は「僕は人生を巻き戻す」という本を読みました。実話です。本当に感動しました。
主人公のエド・ザインという人は十歳までとても幸せな少年時代を過ごしていたのです。おじいさんはボクサーで、お父さんは海兵隊員として戦い抜いた根っからの軍人でした。しかし、美人で優しいお母さんは一家の太陽のような存在であったのです。しかしながら、彼が十一歳になった時、そのお母さんが乳がんで亡くなってしまうのです。
余裕のなかったお父さんは、エド少年がやらかした些細な失敗を誤解して、思わず、殴ってしまうのです。それは彼が、生まれて初めて殴られる経験をしたのです。そのショックの冷めやらぬ間に、その日のうちにお母さんが亡くなります。しかも彼はその亡くなる間際のお母さんの断末魔の叫びを聞いてしまうのです。死というものがいかに恐ろしく、悲しく、暗いものなのか、辛いものなのかが彼の中に焼き込まれてしまうのです。
そしてその日から彼は、父親とは口をきかなくなってしまうのです。彼はこの経験を引き金に、強迫性障害という病気にかかっていきます。彼は、時間の流れの先には死がある、という観念に囚われてしまうのです。死を迎えるとどんなに愛し合ってる家族も失われてしまう。
この家族の死を回避するために、ひたすら時間を巻き戻す儀式を行うようになるのです。自分が何かの行動を起こすとその分、時間は先に進んだことになります。そこで自分が行った行動を取り消すために、逆の行動を取るようになるのです。ちょうどビデオテープを逆回しにするような感じです。階段を昇れば、後ろ向きに降りるのです。しゃべった言葉は、回文のように逆から繰り返します。正確に再現できなければ、一からやり直します。途中でトラックが通れば、次に同じ音を出してトラックが通るまで片足をあげたまま、何時間も動けなくなってしまうのです。
とうとう彼は普通の生活ができなくなり、家の地下室に引きこもるようになるのです。お姉さんに用事があって上の階に行くにも、一歩一歩足の踏み場を完全に覚え、足の角度から身体の傾きまで、完璧に記憶し、録画テープの巻き戻しのように、後ろ向きで地下に降りて行くのです。当然、風呂も無理です。歯磨きもだめです。ベッドの上からほぼ身動きがとれなくなってしまいます。おしっこは瓶につめ、大便はジップロックの袋の中にため込んでいきます。トイレに流すことは変化することで二度と巻き戻しができなくなるからです。

回復を願って待っておられる方がいる

そんなエドのことを知った、マイケルというドクターが無償で彼を診察してくれるということになります。彼はベトナム戦争では、パイロットとして活躍した英雄で帰国してから、ハーバード大学の医学部で教授になっている人でした。特に強迫性障害の世界的権威だったのです。
彼は最新の薬と療法で、最高の治療を全力で取り組んでくれたんです。ところがあることがきっかけで、初めて診た時よりももっと悪化してしまうのです。その時ドクターマイケルは彼の前で、号泣します。自分の治療者としての限界を痛感し、とうとう彼は治療を放棄してしまうのです。それは世界最高峰のドクターをもってしても、全く歯が立たなかったということがはっきりした瞬間です。
ところがこの瞬間、エド・ザインの中で突然何かが爆発したのです。それは、強迫性障害に対する怒りです。この病気は自分から人生も幸せも奪い取りました。そればかりか、僕のためにこんなにも人生を捧げてくれたドクターを木っ端みじんに打ち砕いてしまった。僕のために心の底から号泣するドクターマイケルをずたずたに傷つけてしまった。こんな忌々しい強迫性障害というやつに対して、僕は思いっきりぶちのめしてやりたい。
おじいさんのボクサーの血が自分の中に流れてるのを、彼自身は気づくようになるのです。それまでの彼は、治療に対して全く受け身でした。治せるものなら治してみろよ、というような態度です。しかし、今、心の底から、この人生を変えたい、この病と決別したい、ドクターマイケルを打ちのめした敵を、今度は僕が打ちのめしてやりたいと、心底思うようになるのです。これが回復のターニングポイントになりました。彼はドクターマイケルの行動療法を、ドクターマイケルなしで自分自身に課していくのです。
私はこのシーンを読んだ時、泣けて泣けて仕方がありませんでした。ドクターマイケルの中に、罪にがんじがらめになっていた私を見るイエス・キリストの姿が重なったからです。
神はあなたの回復を願って、胸が張り裂けるような思いで、待っておられます。この神の心に触れることで、罪から決別したい、古い人生から離れたい、新しい人生に向かっていきたいという、悔い改めの心が生まれてくるのです。

人にはイエス・キリストが必要

第二に、イエス・キリストに対する信仰です。
罪との決別の後、私たちに必要なのは、その罪に対する赦しと罪に打ち勝っていく力です。そのような力は人間の中にはありません。だからこそ、人間には救い主イエス・キリストが必要なのです。
キリストはあなたのためにご自分のいのちを投げ出してくださった方です。キリストにそうさせた動機は、愛です。キリストはあなたを愛するあまり、死んでくださった方、いや、よみがえられた救い主です。
どうぞこのキリストのもとに、今日こそ立ち返ってください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
Migiwa:悔いた心

今日のみことば
ユダヤ人にもギリシア人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰を証ししてきたのです。
(使徒20:21)