ごきげんいかがですか。三綿直人です。
さて、世界初の量産型ジェット旅客機といえば、ご存じの方も多いでしょう。イギリスのデ・ハビランド社が製造したコメットMk.1、ですね。
当時のイギリスはその技術を世界に見せつけ、世界から賞賛を浴びたようです。
しかし、このコメットMk.1が1953年から1954年にかけて、次々と墜落します。
一機目はコルコタ空港から離陸直後に墜落。二機目は地中海のエルバ島上空を飛行中に墜落。三機目はナポリの沖合で墜落。いずれも生存者はゼロです。
しかも、全部空中分解。すなわち、機体がバラバラになって墜落しているんです。
謎めいた事故で、悪魔の呪いだとか、天罰だとか、いろいろ噂が飛び交ったようです。
もちろんイギリス政府は飛行停止処分を課し、調査委員会を立ち上げ、事故原因を究明しようとしますが、結局事故原因はわからず、飛行停止処分は解除されることになるんですね。
が、しかし運航再開からわずか二週間後、またしてもナポリ沖にバラバラになって墜落したんです。
結局、何が原因だったんでしょう。後の調査でわかったのは、窓の形が正方形であったこと、だそうです。それ以来飛行機の窓は、角が全部丸の窓になっています。
そして、この時から、すべての飛行機に墜落原因を究明するためのフライトレコーダーが搭載されるようになった、というのです。
「ハドソン川の奇跡」と呼ばれるUSエアウェイズ1549便不時着水事故はニューヨーク発シアトル行きの飛行機が、離陸直後にバードストライクによりエンジン故障、ハドソン川に不時着水した航空事故ですが、乗客乗員全員が無事に生還しました。
ニューヨーク州知事はこれを「ハドソン川の奇跡」と呼んで、大きなニュースをなったのはみなさんもご存じであると思いますが、その機長であったサレン・バーガー氏はこう言っています。
「現在の飛行に関するあらゆる知識、規制、手続きはすべて、墜落事故から学んだ結果である。」
さて今日の聖書箇所をお読みしましょう。
罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスのある永遠のいのちです。
聖書は歴史のフライトレコーダー
「聖書」は聖なる書物と書くのですが、内容を見ると人間の醜さ、恐ろしさ、儚さについて、これでもかというほど書いています。
そうです。聖書は人類の墜落事故の記録、歴史のフライトレコーダーといってもよいでしょう。
なぜそこまで人間の問題に向き合うんでしょう。それは人類に安全をもたらすためです。
現在の飛行技術が過去の墜落事故から学んだものから学んだものである、というサレン・バーガー機長のコメントは知恵がありますね。
あなたにも、歴史のフライトレコーダーが必要ではありませんか。自分の今の人生の問題を解決するには、俯瞰的に客観的に、歴史の事実から学ばなければならないのです。
チャーリー・マンガーという人は「問題を処理せずに、その問題が解決不能になるまで放っておくような人間は、大きな問題を抱えて当然のおおまぬけである。」と言っています。名言ですね。
アレックス・ヘイリーという人は「あなたが現実を飲み込まなければ、現実があなたを飲み込む。」と言っています。
歴史のフライトレコーダー、聖書をお知りください。
問題を長期間放置しないようにしましょう。長期間放置しておいてよいのは、ワインだけですね。
人類の失敗ん原因:罪
聖書はこの人類の失敗の歴史の、根本原因について、ずばり示しています。それは、罪です。
罪の報酬は死です。罪がもたらす報いは、死なのです。人間はなぜ死ぬのか。それは罪の故です。
そして罪とは、人間を造り人間を愛している神から離れて生きる状態のことなのです。
しかし聖書は同時に、問題を指摘するだけでなく、その解決まで示しています。
墜落原因がわかっても、解決がなければ悲惨ですね。罪が原因とわかっても、その解決がなければ人生に喜びはもたらされません。
今日の聖書箇所の後半は、その解決を示しています。しかし神のくださる賜物は永遠のいのちです、とあります。
罪の問題は人が解決するのではない、神が解決する。すなわち、神の賜物だ、と宣言しています。
人類の死の解決は、一方的な恵みによって与えられるギフトである永遠のいのちである、というのです。
トイストーリー4の心に残ったシーン
先日私は、韓国へ聖書のお話をするために行ってきました。その道中機内で、ある映画を観たんです。「トイストーリー4」です。
ネタバレしないように、心に残った1シーンのみ、お話しましょう。
今回のニューキャラクターの一人に、フォーキーがいます。ボニーというウッディの新しいご主人が作った、プラスチックの先割れスプーンとモールでできたおもちゃです。
フォーキーは自分の醜い姿を見て、自分はおもちゃではなく、ゴミだと思っています。そして、目を離すとすぐにゴミ箱に入ろうとするので、ウッディはそれを一生懸命阻止するんです。
疾走したフォーキーを捜し出しそしてフォーキーに伝えます。ボニーはとてもフォーキーを大切にしていること、愛していること、フォーキーがいないとボニーはどれだけ悲しい思いをしているのか、ということ。
フォーキーは次第にボニーの愛を理解するようになり、おもちゃになることを決意する、というシーンがあるんです。
とても心に残りました。
イエス・キリストによる永遠のいのち
罪の報酬は死です。私たちは神から離れていると、私たちを愛しておられる神から離れ続けていると、自分のセルフイメージが破壊され、自分なんてゴミ同然、死んで当然という思いになりがちです。
高齢者の年間三万人ともいわれる孤立死、若い世代の年間三万人を越える失踪事件、相変わらず多い自殺者数、日本の社会問題を見るだけで、罪という問題がどれほど死を生み出しているのかわかります。
でもその中で、私たちの造り主、神がどれほど私たちを愛しているか、私たちが失われると、どれほど悲しい思いをされるかを、身をもって伝えてくれた方がいます。
それが、キリスト・イエスです。この方は十字架にかかられ、私たちが神にとってどれほど価値があるかを教えてくれています。
イエス・キリストのいのちと引き換えに、あなたを取り戻したい、と思っておられるほど、あなたを愛している方が聖書の語る唯一の神なのです。
ご自分のひとり子、キリスト・イエスのいのちと引き換えにあなたを死から救い出そうとされたのです。
イエス・キリストによってあなたに永遠のいのちが提供されています。あなたも、フォーキーのように決心なさいませんか。
真の希望は、死に勝利する永遠のいのちです。
永遠のいのちを受け取る方法は、イエスがキリストであることを信じるという信仰です。心からお勧めします。
(ローマ6:23)