ごきげんいかがですか。那須清志です。
あなたはプレゼントをあげるのと、もらうのとどちらが好きですか?ほとんどの人はもらう方だと思いますが、私の周りにあげる方が好きという人もいます。私は渡すプレゼントを探すのが苦手です。相手が気に入るかどうかを考えすぎて迷ってしまうからです。それを考えて探すのが楽しいんだ、という人もいます。さて、人間を創造された神は、基本的に与えることが好きな方です。供え物をしなければへそを曲げるような方ではありません。「天の父は太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」と表現されています。今日は、聖書が語る創造主が人間のために備えた三つのものを考えていきましょう。
創造主が人間のために備えたもの① 聖書
第一に「聖書」です。今でも年間億単位で印刷され、新品の聖書が世界中にあるので実感が湧きにくいですが、今から3500年前に書かれ始めた書物です。記録された内容はもっと古く人類歴史の初めにまで遡ります。『歴史を変えた100冊の本』という本で、あるジャーナリストが、歴史上人類に大きな影響を与えた本を100冊紹介しています。古い順に並べていますが、三番目に登場するのが旧約聖書の最初の部分、モーセ五書と呼ばれているものです。ちなみに一番は中国の四書五経の中の一つ「易経」ですが、本文の成立は聖書よりも後になります。二番目の「ギルガメッシュ叙事詩」は粘土板に記されているものが200年ほど前に発見されました。しかし、これも見方によれば、また内容から見れば聖書より古いと必ずしも言えません。いずれにしても、客観的に見て、聖書は世界最古の書物の一つであると言えます。聖書は書き始められて、新約聖書の一番最後、ヨハネの黙示録まで1600年もかかって完成しているにも関わらず、内容は一貫しており、驚くべき調和があります。これは創造主なる神が多くの人間を通してご自分のメッセージを伝えたからです。不思議と知恵に満ち、世界を創造された神であれば、奇跡的な書物を造らせることも可能ではないでしょうか。
創造主が人間のために備えたもの② 救い主イエス
第二に、聖書が語る神は人間のために「救い主イエス」を備え、地上に送られました。旧約聖書の中には神のことばを授かった「預言者」がたくさん登場します。偽の預言者も出てきますが、その見分け方は単純明快です。語ったことがそのまま起これば本物、起こらなければ偽者です。偽の予言をし、人々を惑わすものは石打ちの刑に処せられるという厳しいものでした。真の多くの預言者たちが伝えたのが「神は救い主をこの世界に送られる」というメッセージです。
ネット社会の今日、本人確認や二段階認証などは避けて通れません。それがうまくいかず、私が私であることを証明するのにどうしてこんな苦労しないといけないのか、と腹立たしく思ったことはありませんか。厳重にしないといけないほど、この世界には嘘、偽りがはびこっています。神は、本当の救い主を証言するために預言者を立て、証明書として旧約聖書を与えられました。そして、今から約2000年前、イエスはこの預言通りにこの世界に来られました。言い換えれば300か所以上の認証確認にパスしているのです。
預言者たちは、預かった神のことばに耳を傾けるよう人々に語ります。しかし、決して自分を神とはしません。自分は神から遣わされたしもべに過ぎないと認めます。ところがイエスは預言者と同時に神が人の姿をとられた救い主でした。そこで、どんな預言者たちもしたことのない宣言を次々にされていきます。「天地が消え去ってもわたしのことばは消え去ることがない」とか「天の父なる神と私は一つである」とも。また、イエスより2000年前の人物であるアブラハムを取り上げ、「私はアブラハムが生まれる前からいた」と言われました。イエスは宣言通りの救い主か、大ウソつき、または誇大妄想を抱く変人のいずれかです。それを判断する情報を聖書は提供しています。
創造主が人間のために備えたもの③ 永遠のいのち
第三に、聖書が語る神は人間に「永遠のいのち」を備えられました。聖書を通じて、神は救い主を送ることを告げ、その通りにイエスは来られました。では、神がイエスを通して行いたかったことは何でしょう。人生成功の秘訣や人の行動規範を示すことでしょうか。それらも含みますが、それ以上です。人間に「本物のいのち」を与えることでした。いのちは大切で、全世界の富よりも尊いと聖書は語ります。とは言え、私たちが今持っているいのちには限りがあります。このいのちは死につつあるいのちで、理想的なものではありません。神はさらに豊かな、永遠に続くすばらしいいのちを与えたいと願われました。
イエスが人々の前で、救い主の証拠としての奇跡を行い、驚くべきメッセージを残したのはたった3年半でした。そのあとは、人々から妬まれ、憎まれ、逮捕され、指導者たちから裁判を受け、十字架刑に処せられました。イエスは生前、次のように語っていました。
「…仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の(ための)贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」
「贖い」の意味の一つに「奴隷をお金を払って買い戻す」というのがあります。イエスは人類の罪を背負い、身代わりにさばかれ、罪と死の奴隷になっているあなたを買い戻そうとされました。目的を達成する途中に非業の死を遂げた人のことは時々耳にしますが、イエスは非業の死を遂げることよって神の計画の中を進んでいかれました。
事はこれで終わりません。神はイエスを死後三日目に新しいいのちをもってよみがえらせました。これがなければ計画達成とはなりません。この復活のいのちを見るならば、私たちに用意された「永遠のいのち」がどのようなものかを知ることができます。復活後、40日間地上にとどまられたのちに、天に上っていかれました。今でもイエスは生きておられて、私たちに語りかけておられます。
聖書を見れば、イエスが救い主であることがわかります。 イエスを見れば、神が私たちを愛していることがわかります。 神の愛は、「イエスの十字架と復活」に現されました。あなたは、神が身代わりに死んでもいいというほど愛されています。ぜひ、この神が備えれたものに目を留めて、神の救いを受け取ってください。心からおすすめいたします。
(マルコ10:45)


































