#1301 罪を赦すため死に復活されたキリスト

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

私は先日、モンゴルの人たちの名前について教えられて本当にびっくりしました。というのは、とってもひどい意味の名前があるんです。フンビッシュという名前は人間ではないという意味です。ノホユフは犬の子ども、バーストなんて糞まみれという意味なんです。普通、親は子どもには夢を託した名前をつけるのではありませんか。もし日本で糞まみれという名前で役所に申請したら窓口で突き返されると思います。ところがモンゴルでは、おおよそ動物にもつけないような意味の名前を我が子につけるんです。いったいなぜなんでしょう。
実は古来モンゴルでは子どもが病気や災害で亡くなるのは魔物のせいだと考えられていたんです。そこで魔物が取りつかないように、あえて子どもに人間とは思えないような名前をつけたっていうんですね。一見、悪意ある名前のつけ方に見えますが、そこには親の子に対する深い愛があるのです。
この世の中で起こる様々な事件や人生の一大事に遭遇すると神が愛だとは、とても思えないときがあります。実際この世の不幸の大部分は神によるものではなく、罪深い人間の暴走や手抜かりによるものが多いと思います。しかし、それにもかかわらず神は愛なのです。あなたをお造りになった神はあなたを愛し、慈しみ、そして恵みを準備して待っておられる方なんですね。この神様がキリストによってあなたのためにしてくださったことを、今日はご紹介いたしましょう  聖書にこう書いてあります。

だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。

ここに三つのことが書いてあります。

キリストはあなたの罪を負って死んだ

第一に、キリストはあなたが罪に定められることがないために、あなたの罪を負って死んでくださったということです。このキリストの死によって私たちは恐れなく、ありのままの姿で神に近づくことができるんです。
以前『ニューヨーク』という週刊誌に、子どもを使った心理実験の話がありました。子どもに対してまず、オオカミ少年の話を聞かせるんです。羊飼いの少年はオオカミが来たと叫びます。大人は大騒ぎして駆けつけるんですが、その慌てふためく様子がおかしくて、彼はこの悪質な悪戯を何度も何度も繰り返すんですね。ところがある日のこと、とうとう本当にオオカミが襲い掛かってくるんです。少年は大声で助けを叫びますが、大人は誰も信用しません。とうとう彼はオオカミに食べられてしまうんです。この話を聞いた後、子どもたちは嘘をつかなくなったかどうかを調べると、なんと、何の変化もおこすことがなかったということが分かったんです。
次にワシントン少年の桜の木の話をします。少年ワシントンは、お父さんの大事な桜の木を斧の試し切りに当てて、切り倒してしまうんです。帰宅した父親は、いったい誰がやったのかと問い詰めます。ワシントンは、僕がやりましたと正直に告白するんですね。お父さんは、正直な息子を持つのは千本の桜を持つよりも誇らしいと応じ、彼を抱きしめるんです。この話を聞いた後で、子どもたちは嘘をつくことが43%も減ったというんです。
心理学者たちはこの二つの実験から次のような結論を出しました。人は恐れさせると嘘をつかなくなるのではなく、もっと巧妙に嘘をつくようになる。しかし、正直は喜ばれるということを知ると、嘘から遠ざかろうとする。なぜでしょう。罪の赦しのある世界では嘘をつく必要性がそもそもないからです。
キリストはあなたのために十字架にかかって、あなたの罪の償いをすでに全部なし終えてくださいました。キリストには赦しがあるのです。どんな罪に対しても赦しが準備されているのです。だからこそ人は悔い改めることができるのです。恐れなく神様の前に正直に立ち返ることができるんですね。

キリストは死後三日後に復活した

第二に、この方は死後三日目に復活してくださったのです。死と死後のさばきが待ち受ける人生を、天国と復活が待ち受ける人生に転換してくださったのです。
ところで、どんな文章でも最後に「悪い意味で」と付けると、それは悪くなると言われていますね。彼は頭がいいね。悪い意味で。狡猾なやつだという意味になるんですね。彼はよく分かってるね。悪い意味で。狡いやつだという意味ですね。しかし、どんな文章でも最後に「いい意味で」という言葉を付けるとそれは良い意味にひっくり返るんです。あの人はけちだね。いい意味で。倹約家という意味ですね。あの人は強引だな。いい意味で。実行力があるという褒め言葉なんです。最後に悪い言葉がくっつくと途中が良くても悪で終わります。最後に良いものがつくと途中が悪くても良い結論に至るのです。これは人生についても言えることです。罪人の人生の終わりに待っているのは死と死後のさばきでした。しかし、キリストは十字架にかかり死に、そして三日目によみがえることで、天国と復活の体を保証してくださったのです。

キリストは日夜とりなしの祈りをしている

第三に、この方は今、天国であなたのために日夜、とりなしの祈りをしておられるのです。自ら人間を経験したキリストは人間の弱さ、脆さ、限界をよくご存じです。キリストは、その弱いあなたの側に立って日夜あなたを応援し、あなたのために力ある祈りを父なる神様にささげ、また、あなたとともに歩んでくださる救い主なんです。
今から二百年程前、ハワイではハンセン病患者は、見つかってしまうとすぐにモロカイ島という島に隔離されたんです。そこは患者が捨てられる場所でした。その見捨てられた島に、ベルギーから移り住んで彼らの世話に生涯をささげた人物がいます。ダミアン神父という人です。彼はあまりにも無防備に患者の傷に触れ続けたため、やがて自らも感染し発症してしまうのです。かつて稀に見る美青年であったダミアンの姿は、病魔に侵され、見るも無残な姿に変わり果てていきます。しかし、ダミアン自身は初めっから、この島に骨をうずめるつもりでやってきたのでした。そして人々に呼びかけるときには「私は」と言わず「私たちハンセン病患者は」と名乗っていたのです。彼は完全に見捨てられた人々の側に立っていました。その中に加わり、その人々のようになり、その人々とともに生きたのです。彼の模範はイエス・キリストにほかなりませんでした。
イエス・キリストこそはあなたの側に立って、あなたをとりなす救い主なのです。どうぞあなたのために十字架に死に、三日目に復活し、あなたのためにとりなしているキリストを、救い主として信じ受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。


使用CDジャケット
Migiwa:私を赦すために

今日のみことば
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
(ローマ8:34)