#1300 愛されている前提で未来を築こう

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。慶相龍です。

さて、この世には、自分は愛されないという思い込みを前提として生きている人が結構多いようなんですね。特に過去の親子関係が原因になっていることが多いそうです。自分は親から愛されていない。親から暴力暴言ばかりを受けてきた。自由を奪われて自分のしたいことをさせてくれなかった。このような親子関係を中心とする色々な人間関係を通して、自分はありのままを受け入れてもらえない存在なんだ。私は愛されないんだと思い込んで、その思い込みを引きずって生きることが少なからずあるということなのです。ところで、自分は愛されないという前提は、それを捨てない限り、自分は愛されないという前提に立った人生を生み出すことになります。褒められても素直に受け入れず、喜べず、愛されても、「本当に愛しているの?本当?」と疑い続け、幸福感を感じることができないような人生です。一度きりの人生を、自分は愛されないという不幸な前提を土台として建て上げることはもったいないですよね。ところで聖書は、「神はあなたを愛している」と語るのです。ですから神に愛されているということを前提として今を生き、未来を、そして永遠を建て上げよと語るのです。聖書全体から天地万物を造られた神の愛がどのようなものであるのか三つの側面で考えてみましょう。

見返りを求めることなく、ただあなたを愛する愛

一つ目は、「神の愛は見返りを求めることなく、ただあなたを愛する愛」です。聖書の神は宇宙と地球とその中にある大自然を造り、人間を造られた創造主です。そして実は、神がお造りになったこの大自然自体が、見返りを求めることもなく、ただあなたを愛している神の愛を現しているのです。あなたという存在自体も、あなたが今行っている呼吸も、それに必要な空気も、光も、水も、野菜も、肉も、魚も、何もかも、神は見返りを求めることなく私たち一人一人、そしてあなたのために備えお造りになったのです。この神の愛を知る最も良き方法、それは心からの感謝です。作家のサリンジャーは、短編小説『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』の中で、「みんなが私を幸せにしようと企てているようだ」と書きました。私を存在させてくださってありがとうございます。呼吸を与えてくださってありがとうございます。空気を、光を、水を、大自然を、野菜を、肉を、魚を与えてくださって感謝します。そのように、神が見返りを求めることなくあなたに造り、あなたに与えておられる一つ一つのことに対して心から感謝するなら、この世界は神があなたを幸せにしようと企て、造られたという数々の事実に気がつくことでしょう。神があなたを愛しておられることは、あなたを幸せにするための企てが、いっぱいにつまった神の創造によるこの世界が証明しているのです。

献身と犠牲の伴った愛

二つ目に、「神の愛は献身と犠牲の伴った愛」です。それは相手の反応とは関係なく、ご自分が愛すると決めた対象のために、どのような献身も、どのような犠牲をも厭わない愛なのです。先日私は、アップル社のマックブックエアーというノートパソコンを購入しました。私にとって決して安くはなかったのですが、どうしても必要なので代価を支払って購入したのです。ところで、神から離れて生きている人、すなわち罪人のことを、聖書は「罪の奴隷」と言っています。そして「罪の奴隷」となっている人を罪から解放するために、神様は買い取りのための代価を支払ってくださったのです。キリストの十字架の死は、あなたを罪から解放して、あなたが神とともに生きるようになるようにと支払われた代価なのです。もし、あなたがそれに対して特に感謝もせず、それを受け入れなかったとしても、神様はあなたの反応とは関係なく、ただあなたを愛して代価を支払ってくださったのです。それが何とイエス・キリストのいのちなのです。自分にとっては決して安くない代価を払って買い取った私のノートパソコンを、もし誰かが乱暴に扱おうとするなら、私はもっと大切にして欲しいなと思います。ご自分の御子キリストを、あなたを贖う代価として差し出した神は、あなたがあなた自身を大切にして生きることを願う方なのです。誰にも愛されないという、自分で作り出した悲しい前提の上に、人生を築き上げることを悲しむ方なのです。「わたしはあなたを愛している」昔から語っておられる方なのです。「あなたのために、あなたに必要なことなら何でもしよう」神がそんな愛であなたを愛しておられることは、キリストの十字架が証明しているのです。

契約に基づいた変わることのない愛

三つ目に、「神の愛は契約に基づいた変わることのない愛」です。私の住んでいる家のオーナーが亡くなりました。そして元オーナーの血縁関係にある方が、新しいオーナーになったのです。先日その方からお電話がありました。オーナー変更のご挨拶かと思ったのですが、何と家賃の値上げを要求してこられたのです。ところが、私たちには亡くなったオーナーとの間に交わしていた契約書があったのです。契約書には、契約満了日までは今の家賃で住まわせてくれるということが明確に記載されていました。私たちは家賃の値上げを免れることができたのです。契約の力は強いのです。ところで聖書の背景にあるユダヤの文化では、契約は更に強く絶対的です。神は私たち人間との間に堅い契約を結ばれました。それは神が、神の責任と力によって、一方的に守ってくださる恵みの契約です。契約満了日のない、永遠に変わることのない契約なのです。今から約四千年前にアブラハムとの間に結ばれた契約に始まって、それから約二千年後イエス・キリストによって全貌が明らかになった、壮大なスケールで立てられた、絶対に破られることのない堅い契約なのです。最も重要な内容はこれです。イエス・キリストを信じる者に罪の赦しと永遠のいのちを与え、罪なく愛と祝福に満ちた神とともに永遠に生きるものとする約束。それが神の結ばれた契約なのです。アメリカで90歳以上の方に「今、後悔していることは何か」というアンケート調査をしました。90%の人が同じ答えだったんです。それは「もっと冒険すればよかった」という答えでした。しかし、一概に冒険と言っても、安全を保証してくれる後ろ盾がなければなかなか実行に移せません。ところで、イエス・キリストを神と信じ、イエス・キリストの心に従う人生は、時に様々な不安を感じさせる冒険の人生でもあります。しかし、神の与える冒険人生には確かな後ろ盾があるのです。見返りを求めずあなたの幸せを企てる神の愛。あなたの必要のためにどんな献身、犠牲をも厭わない神の愛。いつまでもあなたを捨てず、あなたとともにおられる永遠の神の愛が、冒険の後ろ盾なのです。神に愛されていることを前提として、今を、未来を、そして永遠を積み上げよという神の招きにぜひ応じてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
国分友里恵:イエスの愛に抱かれていこう

今日のみことば
私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛し、
私たちの罪のために、
宥めのささげ物としての御子を遣わされました。
ここに愛があるのです。
(1ヨハネ4:10)