ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
さて私は、今年孫が産まれました。嬉しいというよりほっとしました。というのは、妊娠期間中、心音が途絶えたことがあり何度か諦めそうになったからです。それでようやく生まれてきた時には、つくづく命は授かりものなんだと実感しました。そして、“産まれる“の反対は“死ぬ“ではなく、“産まれない“だと思ったんです。産まれてくること自体が、奇跡と恵みの連続です。産まれてきたことは、決してたまたまではありません。神によって命を与えられ、そしてこの世に送り出されたんです。
ところで、人類歴史に最も大きな影響を与えた誕生は、なんといってもイエス・キリストの誕生です。今日はクリスマスの意味についてご一緒に考えてみましょう。
聖書に次のように書いてあります。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ、主キリストです。
ここから3つのポイントでお話しましょう。
キリストは人になるほどあなたを愛された
第1にイエス・キリストは人となられた神だということです。
今日ダビデの町で生まれたのは主キリストだと先程ありましたね。産まれるのは人間であって、神ではありません。神は産まれるのではなく、初めからおられるからです。しかし同時にこの産まれた方は主キリストだ、主とは神という意味なのです。つまり神のひとり子がわざわざ人となってこの世においでくださったのだというんですね。そしてここに神の愛が表されているんです。
『赤毛のアン』という小説がありますね。主人公のアンは孤児院で育ち、赤毛で痩せっぽちでコンプレックスの塊です。自分に自信がなく、生きるのがとにかくしんどい。そして、いつも自分以外の誰かに変身するということを空想することで、今のしんどい人生を辛うじて生きているという少女です。ところがある時、マシューとマリラという兄と妹に引き取られることになるのです。とても寛容な2人は新しい両親となり、彼女に接していくんですね。そして次第に大っ嫌いだった自分のことを受け入れることができるように変えられていくんです。
しかしある時、アンが思い切って父親になったマシューに質問するシーンがあるんですね。「お父さん、本当は働き手として役に立つ男の子の方が良かったんじゃないの」するとマシューが言うんですね。「いや、わしはアンが良いんだ。1ダースの男の子より、アン1人のほうがいい」アンはなんとも嬉しくなるんですね。お父さんはどれくらい私のことを愛してくれているんだろう。12人の息子をもつよりも、もっと大きい喜びを感じるほどに私を愛してくれているのだ。
ところで、神はあなたのことを愛しておられます。どれくらいですか。実にそのひとり子をお与えになるほどにです。神のひとり子をダビデの町で1人の赤ちゃんにするほどまでに、あなたを愛しておられるのです。
キリストは罪からの救い主
第2にこの方はあなたがたのための救い主だということです。いったい何からの救いでしょう。罪からの救いなのです。
先日私は、とあるホテルに泊まりました。大きな温泉がついてるんですね。部屋のバスタオルを持って入るんですが、使ったバスタオルはまた部屋に持って帰るというのがこのホテルのルールです。ところがなかにはルーズな人がいるんですね。自分の使ったバスタオルを籠の中に入れっぱなしにしていたり、洗面台に丸めて置いてあったりするんです。誰が使ったのかわからない濡れたバスタオルが散らかっていたりすると、なんとなく不潔な感じがして「嫌だな〜いったいどんな神経してるんだろう」つい愚痴が出てしましました。
さて温泉から出た私は部屋に戻り、そして部屋の中に自分のバスタオルが見当たらないことに気がついたんです。なんでだろう。温泉脱衣所に忘れてきたんですね。そのとき私はこう思いました。「のぼせてたらこんなこともやるよ」そう言いながら自分の身勝手さにちょっと恥ずかしくなったんです。人がバスタオルを置き忘れたときにはどういう神経してるんだという風に文句を言うくせに、自分がバスタオルを忘れたときにはのぼせていたら誰だってやることだと、まあ軽く受け流すんですね。人のした失敗はわずかなものでも大きく見えるが、自分のやらかしたことは大きなことでも小さく見える。これが自己中心の特徴です。そしてこのことが自らの罪が見えない理由。その大きな理由の一つだと思います。
神の前には全ての人は自己中心の罪人です。神から離れて死につつある存在なのです。その罪人の救い主となるために、キリストは来てくださったと言うのです。この方は自己中心ではなく、誰よりもへりくだって自己中心の人間を愛さずにはおれなかったお方なのです。
持っているものの価値がわからなかった強盗
第3に今日ダビデの町で生まれたと宣言されたのは、今から約2000年前の出来事だということです。つまりキリストはすでにあなたのために産まれ、すでに好生涯を生き、すでに十字架にかかり、すでに3日目によみがえられた救い主なのです。あなたの救いはすでに完成しています。あなたはすでに赦され、愛され、救われるための救いがあなたには提供されてるというんです。
今から40年近く前、カナダで銀行強盗事件がありました。犯人はダニーシンプソンという26歳の男で、6000ドル奪ったんです。しかしすぐに逮捕されて刑務所に入りました。しかしこの事件は海外ニュースになったのです。なぜでしょう。実は彼が強盗に使った銃は、おじいさんの形見だったのです。そしてこのコルト45系半自動操縦は、1918年にロスライフル社が数量限定で製造したレア物だったのです。もしこれを売りに出すならば、10万ドルは軽く超えるというそういう貴重品だったんですね。彼はものすごく価値あるものを持っていながら、その価値がわからなかったので他人のわずかな金品を強奪したのです。
すでにあなたは愛されている
私はこのニュースを読んで、まるで神から離れた人間をそのまま象徴しているニュースであるかのように思ったのです。神はすでにあなたを愛しているのです。そしてすでにあなたに必要な祝福を用意しています。あなたに新しい人生を準備完了しています。罪からの救いも、死後の裁きからの救いも、すでに完成してるのです。それはみなあなたのものです。ところが多くの人が、この絶大なる神からの遺産の価値を知らないんですね。だから何ももらっていない人のように感じ、自分の欠乏感を満たすために自分を無理して飾り立てたり、価値をあげようともがいたり、存在価値を証明するために競争に明け暮れているのではないでしょうか。
しかしすでにあなたは愛されています。あなたの人生が良き実を結ぶために必要な全てのものは、キリストが全部用意してくださっておられるんです。私たちはキリストの勝利をただ受け取るだけでいいんです。
ぜひ、このクリスマスの機会にキリストと向き合ってください。そしてこの方をご自分の救い主として受け入れてください。心からお勧めいたします。
(ルカ2:11)