ごきげんいかがですか。尼川匡志です。
松下幸之助さんの名言の一つに、「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければそれは成功になる」というものがあります。確かに名言ですよね。しかし、失敗した時、そこから立ち上がり、前進することは並大抵のことではありません。
私たちの人生には失敗は付き物です。そして、失敗をすれば、落胆し、力を無くします。再び進みだすためには、慰めや励ましが必要です。さて、イエスが十字架にかかる直前、弟子たちは、イエスを裏切って逃げました。ペテロは逃げ出しませんでしたが、とんでもない失敗をしてしまうんですね。なんと三度も、私はイエスを知らないと否定するんです。イエスは、弟子たちの失敗をあらかじめご存じでした。最後の晩餐の席で、このように言っておられるんです。「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」ペテロはそんなことがて起こるはずがない!と断言します。彼は、本気で死さえ覚悟していたんです。イエスはそのペテロに向かって言われました。「あなたは三度わたしを知らないと言います。」イエスのことばの確かさは、ペテロにもよく分かっていました。でも、受け入れることはできません。しかし、このことが現実のものとなってしまうんですね。
ペテロの人生の最大の失敗は、この三度否認したことです。イエスは、すべてご存じで、先ほどのことばを言われました。今日は、このイエスのことばから3つのことを考えたいんです。1つ目、私たちをふるいにかける存在があるということ。2つ目、信仰がなくならないように祈っている方がおられるということ。3つ目、失敗の先に見えてくるものです。
私たちをふるいにかける存在
それでは1つ目、私たちをふるいにかける存在があるということを考えます。神が存在するなら、サタンも存在するんです。サタンとは、私たちを神から引き離そうとする霊的存在のことです。信仰を持っていない人が、神の方に向かって進もうとする時、家族や友人や仕事関係者から引き留めるような力が働きます。信仰者にも同じようなことが起こるんです。幼い信仰者でも、ベテランの信仰者でも関係ありません。神の側に進めないように邪魔や、誘惑が襲ってくるんです。健康、経済、家族、仕事などに問題が起こって、不安や心配や恐怖が、内から出てくるんですね。これがペテロを襲ったふるいにかけるということです。甘く見ていると危険です。人間の意思や決意では何ともなりません。自分は大丈夫だと高を括っている人がいますが、とんでもない間違いです。ペテロは引きずり倒されました。私も何度も手痛い失敗をしています。そのダメージは大きいですね。もう無理だ!私は信仰者として失格だ!主に合わせる顔がない!そんな思いになります。あなたは、そのような経験はないでしょうか。
ペテロの失敗をイエスはご存じだと言いました。では、私の失敗はどうでしょう。あなたの失敗はご存じないでしょうか。そんなことはないんですね。すべて分かっておられると思います。合わせる顔がないのは確かですが、主はすでに何もかもご存じの上で、愚かな失敗を犯す私たちに関わり、導いてくださるんです。
信仰がなくならないようにしてくださる方
2つ目のことを考えます。信仰がなくならないようにしてくださる方がいるということですね。
イエスは言われました。「あなたの信仰がなくならないように祈りました。」この祈りは、ペテロだけへの祈りでしょうか。私たちのための祈りでもあります。ほんとうに感謝なことだと思います。それがあったから、私は今ここにいることができるんです。イエスは、もう失敗しないように祈りましたと言われたんではありません。信仰がなくならないように祈りましたと言われたんですね。私たちは、所詮、失敗を繰り返してしまう愚かな者なんです。その私に最も必要なことは、失敗をしないことではなく、信仰を保ち続けることなんです。神はどんなことがあっても、私を愛して、私を支えてくださる方なんだ!と信じ続けることなんです。イエスは、ある時言われました。「からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。」私たちは、神を神として信じ続ける信仰が求められているんですね。それがあるなら、神と私たちの関係は、どんなことがあっても切れることはないんです。あなたは、そのことを信じておられますか。今、罪に苦しまれている方、失敗の中で落ち込み沈んでいる方、もう私はだめだと思い込んでおられる方。そうではないんです!あなたの信仰がなくならないように祈ってくださっている方、あなたの救い主がおられるんですね。その方こそ、私たちの主イエス・キリストです。だから、立ち上がれるんです。だから前に進むことができるんですね。
失敗の先に見えるもの
3つ目、失敗の先に見えるものを考えたいと思います。
イエスはこう言われました。「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」イエスはペテロの信仰をもちろん守りたい。しかし、それだけではないんです。彼を通して、彼の周りの人たちを力づけ励ましたいんです。失敗した人を励ますことができるのは、失敗に打ちのめされ、立ち上がった人なんですね。
ペテロの否認を聖書はこのように記しています。「主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います』と言われた主のことばを思い出した。そして、外に出て行って、激しく泣いた。」ペテロは、どんなに悔やんだことでしょうか。絶望したことでしょうか。心が張り裂けたことでしょうか。この後、彼は確かに立ち直っていきます。が、この事を思い出すたびに心はうずいたんではないかと思うんです。生涯忘れることがなかったでしょう。しかし、心の痛み以上に、思い出さなければならないことがありました。それは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさいという主のことばです。主はそのことを望んでおられるんです。失敗した者だけが、失敗した者の気持ちが分かるんですね。そして、主によって祈られ立ち直った時、イエスの人知を超えた深い愛が心に沁み渡ります。そして、キリストの愛の素晴らしさを見出すことができるんですね。失敗の先に見えるものはキリストの愛です。私はそう考えています。この愛を知っていただきたい、そう願っています。心からお勧めいたします。
(ルカ22:32))


































