ごきげんいかがですか。慶相龍です。
さて、ずいぶん昔のことですが、小学校の音楽の時間で、大好きな歌がありました。『手のひらを太陽に』です。「僕らはみんな生きている、生きているから歌うんだ…」歌詞がとっても心に残ったんです。幼い私にも、生きるって素晴らしい、そう思わせてくれる歌だったんです。随分月日が流れ、ある歌詞に心刺されました。アンパンマンのマーチです。「何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのはいやだ」。
この2曲の作詞家は、やなせたかしさん、『それいけアンパンマン』の原作者です。彼に大きな影響を与えた書物があります。聖書です。聖書は天地万物、そして人間をお造りになった神が、人を使って書かせた、神のことばです。「何のために生まれて、何をして生きるのか、生きるって素晴らしいことなんだよ」聖書はそんなメッセージをあなたに発信している書物でもあるのです。
聖書のことばを紹介しましょう。
実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。
なぜ「生きることは素晴らしい」のか、聖書から三つのことを紹介しましょう。
聖書は信頼できる神のことば
一つ目に、まず前提として、聖書は信頼できる神のことばです。
フランスの初代大統領、シャルル・ド・ゴールは、こんな言葉を残しています。「政治家は自分でも自分が言っていることを信じていないから、他人が信じてくれるとびっくりする」。いくら名のある立派な人の言葉だからと言って、嘘を信じるべきではありませんよね。それは聖書についても同じことが言えます。聖書のことばが嘘であるなら、あるいは嘘を含んでいるのなら、信じるべきではないのです。
ところが、検証する限り、聖書には嘘がないのです。
聖書には、預言というものが数多くあります。バビロン帝国、メディア・ペルシア帝国、ギリシャ帝国、ローマ帝国が歴史の舞台に次々誕生してくることや、イエス・キリストの誕生と生き方、死に方、そして復活。イスラエルという国が一度滅びて、奇跡的に再建して、エルサレムという都市もまた奇跡的にイスラエルの支配下に置かれること。世界戦争が起こること。飢饉が起こること。方々で大地震が次々と起こることなど、聖書にあらかじめ預言されていたことは、もう答えが出ていますよね。その通りになったんです。聖書の預言には嘘はありません。
科学的にも同じです。聖書は進化論を否定します。その通り、ある種類の生き物が、別の種類の生き物に進化したという証拠はただの一つもありません。
その他にも、科学や工学が発達して初めて分かったこと、たとえば地球は丸くて、宇宙空間に浮いていて、その地軸は傾いているということも、現存する全人類が1人の男と1人の女から始まったということも、携帯電話が登場するということも、すべて科学が発達する遥か昔から聖書は語っていたのです。検証できる限り、聖書の語る科学的内容と、現実世界との間に矛盾はないのです。
ほんの一例を紹介したに過ぎませんが、嘘のない、信頼すべきことばだからクリスチャンは聖書を信じているのです。
何のために生まれたのか
二つ目に、あなたが何のために生まれたのか、に対する聖書の答えです。
ある女性の話です。3人の姉と1人の弟に挟まれて、四女として生まれました。両親はどうしても息子が欲しかったのですが、3人目まで全員娘、今度こそはと願っていたけど4人目も娘でがっかり。一年後に弟が生まれてから、両親の愛情は全て弟に注がれた。やがて世話が大変ということで、自分は祖母のもとに預けられます。
ある時、弟ばかりを贔屓にする母に「私なんか生まれてこなかった方が良かったんでしょ」と言うと、なんと母は「そうや」と答えたんです。彼女は、親から望まれないで生まれ生きているという、悲しい感情を引きずって生きるようになりました。ところが彼女は聖書に出会ったのです。神が彼女を、母のお腹の中で組み立て、誕生させたということを知りました。彼女は最高の主権者である神によって命与えられ、神に望まれて生まれてきたということを知った時、生まれてきたことの喜びに、初めて満たされ、それ以来、神を喜び、神に喜んでもらえる、神との相思相愛の人生を、自由な意思で選び取り、神の素晴らしさをますます教えられながら幸せに暮らすようになったのです。
どのような生まれ方をしたとしても、あなたは、あなたが生まれることを望んでくださった神によって生まれ、あなたにとって最も良い生き方をあなたの意思で選び、それを実行するためにこの世に生を受けた。これが聖書の答えなのです。では、あなたにとって最も良い生き方とは何なのでしょうか。
何をして生きるのか
三つ目に、あなたは何をして生きるのか、についての聖書の答えです。
現在のパナソニックの創業者である松下幸之助さんのエピソードです。かつて、ある地方の販売店が経営不振に陥っていました。普通なら部下を呼びつけ、「あの店に行って、売り上げアップに努めてくれ」と命令して終わってしまいそうなものですが、
松下幸之助さんは、ある部下を呼んで、こう言ったそうです。
「あの町はな、昔は活気があったんやけど今は少し元気がなくなっている。…そやけどな。うちの店は、あの街で唯一、夜遅くまで明かりが灯っている場所の一つなんや。わしらにとって、あの店は単なる商売の場所やない。あの町を照らす灯台みたいなもんやと思っている。せやけど今、その灯台の光が弱まっているんや。わしはな、君に灯台守になって欲しいんや。君の力で、もう一度あの街の希望の光を強く明るく灯してくれへんか!」と。
売上目標など、ひと言も言っていない。しかし、彼は松下幸之助さんの期待を痛いほど理解しました。彼はただの「立て直し担当者」ではなく、「街の希望の光を取り戻す灯台守」という物語の主人公となって、仕事に打ち込んだのでした。
ところで神は、あなたを「神の作品」としての生き方に導こうとしておられます。作品という言葉は、ギリシャ語ではポイエーム、この言葉から英語のポエムが生まれました。ポエムとは感情や、思考を言葉で表現する詩的な文章のことです。神は、あなたという作品を通して、愛と憐れみに満ちた神の感情、知恵に満ちたその深いお考えを、もっと言うなら神ご自身を、表現しようとしておられるのです。
しかもあなたを愛する神は、あなたにとって最も良い行い、最も良い生き方をあらかじめ備えておられると聖書は証言しています。神は、あなたにご計画を持っておられる、あなたの人生に物語を用意しておられるということなのです。
あなたは何をして生きるのか、これに対する聖書の答えは、「神の心を反映する、神の作品として、神が、あなたにだけ用意しておられる物語の主人公として生きる」ことなのです。
この事実を知った時、私は、生きるって本当に価値のある、素晴らしいことだと思えるようになりました。そして日々、私に与えてくださった物語を少しずつ理解しながら生活させていただいております。あなたは、こんな人生、欲しくないですか?
イエス・キリストをご自分の神、救い主と認め、受け入れ、信頼する人に、この人生が用意されています。どうかご自分のものにしてください。心からお勧めいたします。
(エペソ2:10)


































