#1331 神を信じ続けた信仰の父

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。尼川匡志です。

さて、皆さんはユダヤ人と聞くと、どのようなイメージを持たれるでしょう。ミステリアスな民、不思議な民、天才を輩出した民、いろいろあると思うんですが、確かにユダヤ人は神が特別に選んだ民だと思います。
ところでね、日本人のルーツって誰か分かりますか。ここから日本人と言える分岐点はないんですね。いつからか日本人ができあがっていました。でもね、ユダヤ人は違うんです。ここからユダヤ人だと言える人物がいるんですね。それがアブラハムです。
アブラハムは4000年程前、今のイラク南部、メソポタミアのウルという町から、現在のイスラエルに神によって導かれてきた人物です。彼は、信仰の父と呼ばれ、今でも多くの人たちから尊敬を受けています。しかし、最初からそうだった訳ではありません。今日は、3つのことを見てアブラハムの信仰について考えます。

アブラハムも失敗をした

それでは一つ目、アブラハムは、メソポタミア文明の中心都市の一つであったウルから、何もない荒野の地カナンに進んで行きました。そこがどんな場所で、どんな文明があり、どんな人たちが住んでいるのか、まったく知らないまま、僅かな家族を率いて、徒歩で進んで行ったんです。距離はなんと1600キロ以上ですよ。私の住んでいる熊本からだと仙台を通り越してしまう距離です。神に導かれたとはいえ大変な道のりだった思いますね。
さて、カナンでアブラハムを待っていたものは、なんと大飢饉だったんです。え、どうして?と思いませんか。神が導いたのなら上手くいくはずじゃないの?そう思いますよね。もちろん祝福は待っていますが、問題が起こらない訳ではありません。多くの人が信仰を持てば、願いが叶い、病気が治り、仕事が順調に進み、人間関係のトラブルは解消すると考えておられますが、それは違います。この世界は、問題が起こる場所なんですね。だからこそ、その問題の中で、平安に歩んで行ける人生、神を信頼する人生を選択する必要があるんです。
アブラハムは飢饉を逃れるため、エジプトに下りました。ここでとんでもない失敗をしてしまうんですね。なんと自己保身のためにね、エジプトの王ファラオの前で自分の妻を妹と偽って、召し抱えられるままにしてしまうんです。これは、ダメでしょ。あなたのご主人がもしこんなことをしたらね、どうですか?昔だから許されるものでは決してありません。アブラハムは、同じ失敗を25年後もしてしまうんです。おそらく、これは彼の弱点なんでしょう。弱点を突かれると、失敗をします。私もそうです。弱点のない人はいませんし、失敗をしない人もいません。アブラハムも同じです。そして、あなたにも同じく弱点があり、失敗を繰り返してしまうんですね。

神がアブラハムを信仰の父に育てた

二つ目です。神がアブラハムを信仰の父に育てたということです。アブラハムは神に導かれてウルからカナンに移ります。すばらしい信仰です。だからといって最初から信仰の父だった訳ではありません。発展途上の信仰者に過ぎなかったんです。誰もがそうですよね。失敗を繰り返しながら成長していくんです。私たちの誕生のことを少し考えてみてください。生まれた時は、何もできません。それが次第にできるように成長していくんです。失敗を重ねながら。例えば、おもらしをしたとします。親はそれを片付け、きれいにしますよね。何度繰り返しても大丈夫です。できるまで、親が世話をしてくれるからです。子どもの成長を期待し、世話をするのが親の責任だと言えます。信仰も同じことが言えます。失敗をしない信仰者はいません。失敗しても大丈夫なんです。神に信頼して委ねていけば。さて、私たちが信仰を持つとき、大抵の人は大人になっています。でも、信仰的には生まれたての赤ちゃんと言ってもいいんですね。だから、上手くいかず失敗を繰り返します。大人の自分は、この信仰的赤ちゃんである自分の失敗をなかなか受け入れられないんです。それで、自分をダメな信仰者と考えたりします。しかし、神はそのようには見ておられないんです。あなたの信仰の成長を心から願っておられるんですね。
聖書にこんなことばがあります。「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともない。」今にも消えそうで、倒れそうな信仰者を神は守りたくて仕方がないんですね。アブラハムを信仰の父に成長させたのは神です。アブラハムは、何度も「私はもうダメだ!」と思ったに違いありません。しかし、愚かな自分をどんな時も見捨てなかった神を、ただ信頼し続けたんです。だから、アブラハムは信仰の父になったんですね。

望み得ない時に望みを抱いて信じる

三つ目です。私たちが倣うべきアブラハムの信仰についてです。
アブラハムは素晴らしい信仰者です。彼の信仰をよく表すことばが聖書にあります。お読みします。「彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、『あなたの子孫は、このようになる』と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。」少し説明しますね。彼とは、アブラハムのことです。このアブラハムはユダヤ人の祖です。ウルからカナンに来た時、彼は75歳でした。彼らには子どもがなかったんですね。ある時、神はアブラハムに空を見せ、「あなたの子孫はこの空の星のようになる」と約束されます。彼は、この約束を信じたんです。時が流れ100歳になりました。もう子孫は無理です!そう考えたでしょう。それが望み得ない時という意味です。しかし、彼は自分の状況ではなく、神の約束を信じ希望を持ち続けました。これが望み得ない時に望みを抱いて信じたということばの意味です。
信仰の父アブラハムの真骨頂だと言えます。私たちの信仰はどうでしょう。何とかなりそうな状況のときは、神を信頼し祈ります。しかし、理性的にどう考えても無理!と思えるときは、どうですか?信じることを諦めてしまいませんか。私たちは、望み得る時には望みを抱いて信じますが、望み得ないような時には望みを抱かず信じないんです。アブラハムの信仰とは逆ですね。彼は望み得ない時に神を信じたんです。
さて、聖書の神は、万物の創造主、いのちの主権者、不可能がない方です。頭ではよく分かりますよね。しかし、聖書が本当に大切にしているのは、自分の人生を神に委ねて生きる生き方なんです。目に見える状況に左右され、神を信頼するかどうかを決める生き方ではないんですね。アブラハムは、失敗をしましたが、人生を通してこの全能の神を信じ続けたんです。望み得ない時に、望みを抱いて信じたんですね。この生き方は、どんな時でも希望を失わない生き方だと言えます。ぜひ、このアブラハムの生き方に倣ってください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
渕野頌子:信じ続けて

今日のみことば
彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、「あなたの子孫は、このようになる」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。
(ローマ4:18)