#1330 キリストが提供する三つの約束③携挙

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

皆さま、こんにちは。
キリストが提供する3つの約束ということでね、ヨハネの福音書の14章3節というところからですが、「わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」キリストは十字架にかかってよみがえって天に行ったきりではなくて、また来てって書いてあるんですね。キリストは再びやって来られる、これはね、携挙っていいましてね。終末時代、イエス・キリストはクリスチャンたちを一瞬にして天に引き上げるために、また来られる方です。そして今はね、紛れもなく終末時代なんです。

イスラエルは奇跡の国

実はね、先週の金曜日にね、私あのイスラエル大使館に招かれましてね。で、大使公邸でね、1時間インタビューしたんですよ。
今の全権大使はギラッド・コーヘンといいましてね、僕は最初に聞いたのはね、「世の中にはいろんな職業あるじゃないですか」と。「その数ある職業のなかでなぜあなたは外交官を選んだんですか?」というふうに聞いたら、「私はね、このイスラエルっていう国が、好きで好きでたまらないんです」って言うんですよ。
「なんで好きなんですか?自分の国だからですか?」「それもある。でもなによりもね、奇跡の国だから」と言うんです。「2000年前にローマによって滅ぼされて、世界中に散らされて、そして2000年間流浪の民で彷徨いながら、アイデンティティを失わずに、2000年後に元いた先祖たちが住んでいたところに集まってきて、戻ってきて、国を造るって、イスラエルは奇跡の国です。この奇跡の国のことを世界中の方々に知ってもらいたい。だから私は外交官の道を選びました」って言ってね。実はみなさん、2000年間ね、自分がユダヤ人であるということを誇りに思っているユダヤ人はたくさんいました。
でも約2000年の間ね、自分の国、ユダヤ人の国、イスラエルを誇りに思っているユダヤ人というのはほとんどいませんでした。なぜなら、イスラエルが無かったからです。誇りにしたくてもイスラエルが世界地図から消えてどこにも無かったんですよ。この国は奇跡の国で、私はこの国のことを愛さずにはおれないんですって。未来のことを語っている聖書預言によりますとね、終末時代の時計はどうやって始まっていくかといったらね、イスラエルを中心に世界が動き出すんです。イスラエルという国が再建されたというのはね、終末時代、最大のしるしが私たちが生きている時代に起こったんですよ。私たちは世の終わりの時代に生きている。そしてもう一つ大きなしるしというのはね、携挙。キリストが再びやって来て、そして私たちを迎えてくださる。迎えてくださるときにね、クリスチャンたちはね、栄光の姿に変えられるっていうんです。

神は不完全を完全に変えられる

実はですね、あの私、皆さんのお顔が見えないんです。私これ、伊達メガネやから。
実は人間の目のレンズってね、ゴムまりみたいなんです。レンズといっても硬いレンズじゃなくてね、ゴムまりみたいに弾力性を持ったレンズが、皆さまのほとんどの方々の眼球に入ってるんですよ。私の中に入ってるのはね、アクリル製なんですよ。目のレンズ一個濁りがなくなっただけでこんなに世界って白かったのっていう。今までね、黄色のね、淀んだ、お昼の1時ぐらいでも夕方みたいな感じ。淀んだんで見慣れてるから、ああこんなもんかなと思ってこれよう見たら、シワが出てくる、シミもある。いろんなものが見えてくる。だけど、一部不完全なものを変えただけでこんなに読書量が増えるのか、集中力が増すのか、体調良くなるのかと思ったらね、全身がよみがえりの身体に交換していただいたときにはね、もうどんなことが起こるだろうかと。楽しみでなりません。
この世の終わりということを考えましたときにね、「え?世の終わり?終末?じゃ、怖いことこれからいっぱい起こるんちゃうん?」って。怖いこといっぱい起こりますよ。でも、マルティン・ルターという人がこういう言葉言ってるんですね。「たとい明日世界が滅亡するとしても、今日私はいつものようにりんごの木を植えよう」っていう。いつも自分が平静に行っていることを、パニックを起こすことなく正気を保ったまま、例え明日世界が滅びるとしても私はおかしくならない状態で、冷静さを保っていつもしているように、建設的なことを続けようって言うんですけど、わかったようでわからない。
実はこの言葉の前に前文があるんです。「死は人生の終わりではない。生涯の完成である。新しい意志である。たとい明日世界が滅亡するとしても、私はりんごの木を植えよう」って。前段削ってるからね、意味わかんないんですよ。つまりね、私がやってることが突然中断されるとしても、死で終わりではない。この中断されたかに見える私の不完全な人生を用いて、神はこの世界を完成させてくださるんだ。この世界が滅亡したらゼロになるんじゃない。その次に来るのは、キリストの国だ。千年王国だ。メシア的王国だという。だから良いものの到来を楽しみにして、私はその時を待つのだ、という意味で終末時代に近づいても近づいても、パニックを起こすことなく、りんごの木を植えるというんです。

イエスという道を通る

皆さん、神様という方は全知全能の方で、私たちがどんなに弱いかということもご存じで、私たちが塵の成り立ちであるということに心に留めてくださっているというふうに詩篇の中に書いてあるんですよね。この方は私たちを励ましてくださる方です。ではどうすれば良いのか。
ヨハネの福音書の14章6節というところを見てくださいますか。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」


逆に言うなら、私イエスを通るならばどんな人でも父のみもとに行くことができるんです。過去にどんな罪があってもですよ。どんな大失敗やらかしてる人であったとしても、どんなに自分の中に自信がなくてもね、私を通るならばどんな人でも父のみもとに行くことができる。ではイエスを通って行くってどういうことかといったら、イエスという道を踏みしめて行く。道というのは自分を踏んでいく者を目的地に届けてくれるものです。イエスを道として通るとは、イエスを自分の救い主として信じるということです。
キリストをただ単純に救い主として信じるならば、キリストがその人の内側に宿って、その人を内側から変えていってくださるんだ。そして何があっても、携挙までの時間を楽しみにすることができますね。
昔ね、私のあのカセットテープを200本くらい聞いてる方がいらっしゃってね。軽井沢の山奥に住んでる方。途中失明で、全盲なんです。で、もういろんな病気いっぱい持ってる方でね。ある時その軽井沢まで行ったときにですね、「そういったらあの人、今でも聞いてくださってますかね」って「聞いてますよ。喜んでましたよ」って言うから、「じゃ、ちょっと行ってみますか」いうことでね、アポ無しで突然ですね、訪問したんですね。
さも喜んでくださって、あの30分ほどだったんですけども、とにかく話して話して話して、ということで帰ってきたんですが、帰り際の時にね、「高原さん今度いらっしゃる時にはね、前もって連絡してくださいな」って言うんですよ。「あ、やっぱりちょっと迷惑でしたか」「いや、そうじゃないそうじゃない。来てくれて嬉しい。来てくれて嬉しいんやけど、前もって連絡してくれたら、その日までを楽しみに待つことができるから」って言ったんです。「来てサプライズの喜びも嬉しいけど、『ああ、あと3ヶ月で来てくれるんだな』『あと2ヶ月で来てくれるんだな』『あと1ヶ月で来てくれるんだな』『あさって来るんだな』というふうにね、なんか楽しいじゃないですか」って言いながら、待ち望むという楽しみ方もあるんだなと思いました。
皆さん、イエス・キリストは「いつ」という日時については教えないんです。しかし、必ず来る。患難時代の前に来る。いつでもあり得る。今日でもあり得ると思って、携挙のことを語っているときのこの僕のこの興奮状態わかります?これ。嬉しいんです。ぜひ皆さんキリストが提供する3つの約束。この方は絶対に約束破ることできない方です。神は約束破ることできません。真実の神だから。ぜひこのイエス・キリストを信じて携挙の約束をいただいてください。心からおすすめいたします。


使用CDジャケット
国分友里恵:天の喜びと無限の愛を

今日のみことば
わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
(ヨハネ14:3)