
ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
さて、天才には一つ共通点があるそうです。それは、途方もなく数をこなすことができると言うんです。ピカソが生涯に描いた作品の数は148000点と言われています。彼は16才で画家としてデビューして死ぬまでの75年間現役の画家でした。しかし、75年あっても148000点描くのはまず不可能だと言われています。なぜなら、1日5作品以上描かないとそこまでたどり着けないからです。
また、漫画家の手塚治虫さんが生涯に描いた作品は、700余り15万枚の原稿です。コマ数で言ったら80万を超えると思います。またゲーテがその愛する女性シャルロッテに宛てて書いたラブレターは残っているだけで1800通です。ひょっとしたらゲーテはラブレターを書きまくっているうちに、文章が上達したのかもしれませんね。
天才とはいったい何でしょう。数なんです。最初の1枚で見事な作品を描ける人はいません。作品が結晶化するまでの間、気が遠くなるほどたくさん描いて描いて描きまくっているんですね。そしてそれほど描き込んでいるのにそれでも飽きて止めてしまえないというところが、天才なんだって言うんですね。
納得いくまで失敗を気にせず、挫折を深刻に捉えず、不全感をぬぐい去ってひたすら打ち込んでいくことによって、一人の人間がものになっていくって言うんですね。大抵の人は天才ではなく、凡庸な人です。誰もが天才になろうなどとは思ってないと思います。でもそれぞれの人生を乗り越えていく天才にはなりたいと思っているんじゃないでしょうか。なぜなら人生、生きている限り、天才にも凡人にも試練は必ず降りかかってくるものであるからです。
アレクシス・カレルというノーベル賞を受賞したドクターは悩みに対する戦略を知らないビジネスマンは早死にすると言いました。では、悩みに対してはどうしたらいいんでしょう。
聖書はこう語っているんですね。
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
ここに試練について三つのことがあげられています。
耐えられない試練はない
第一に、耐えられない試練はないと断言していることです。なぜそういえるんでしょうか。私たちが人生の中に引き受ける試練で、人類史上私の上に初めて降りかかったもの、などというものは一つもないからです。私たちの悩みは先人たちもまた経験したものであって、彼らは何とか乗り越えているじゃないかって言うんですね。もちろん世の中には耐え難いことがたくさんありますね。しかし、もっと耐え難いことを経験しているのに、生き続けている人があるという事実もあるんです。同じ試練を受けているのに、ある人はそれを乗り越え、ある人はそれに打ち倒されているとするなら、それは試練に対する受け止め方、あるいはその問題に対する戦い方、対応の仕方がまずいからかもわかりません。
ある本に結婚問題のトラブルについての記事がありました。三人の子どもを持つアメリカのクリスチャン女性でリンダさんという方です。ご主人はクリスチャンではありません。あるとき、ご主人の不倫が発覚します。悩んだ彼女はカウンセラーに相談すると、「あなたはその夫をありのままで受け入れなさい。責めてはいけません。ひたすら従順でありなさい。そうしたら、やがて夫は改心してあなたのところへ戻ってくるでしょう」と言うんです。しかし、それをやっても現実はますます悪くなっていきました。夫は自分がどれほどひどいことをしても、何も困ったことにならないのを見て、ますます不倫にのめり込んでいったのです。それでリンダさんは、クリスチャンドクターのドブソン博士という方に相談の手紙を書いたのです。「夫は私と家族を愛していると言います。でもその女性とも別れたくないと言っています。いったいどうしたらいいでしょうか」ドブソン博士はこういうケースを何百と扱ってきた人です。こう言ったそうです。
「あなたのしていることは間違った対応です。夫がしていることは罪です。罪を犯していながら少しも悔い改めようとしていないのに、それを全面的に受け入れるのは、愛ではありません。本当の愛は真理に基づかなければなりません。あなたのしていることは、最悪の事態を避けたいという人間の弱さからくる考え方であって、かえって人生を混乱させるばかりです。罪というのは単なる法的なものではなく、霊的なものです。彼がしていることは、あなたに対して罪であると同時に、神に対して罪なんです。そして、これは、心理学では解決できません。その人が悔い改めて神様の前に出るのでない限り、解決しません。あなたは彼を神に向かわせるために、はっきりと言うべきです。『その女性と関係を続けるなら私たちと家族であり続けることはできません。あなたはどちらかを選ばなければなりません』と選択させなさい。『あなたは姦淫の罪を犯しました。あなたは自分の思う方を選んでください。しかし、一つはっきりしていることは、あなたがしていることはやがて神の前にさばかれるということです』」
そう彼女は言われた通りに言うたんですね。どうなったでしょうか。夫は目が覚めたように、打ち砕かれて戻ってきたって言うんです。試練をひどい試練にしているのは、間違ったやり方であるからかもわかりません。正しいアドバイスをくれる健全な集会に行くことをお勧めしたいと思います。
脱出の道がある
第二に、脱出の道があるっていうことです。一旦脱出の道はないと思い込むと、人間の脳は解決はどこにもないということを証明するように動き出すんですね。実は脳みそというのは、ひとりでに動いているのではありません。人生観によって支配されるんです。人生には解決はない。という人生観で生きるとき、脳はその人生観を立証するようにしか作動してくれないんです。それでますます解決不能に見えてくるんですね。
国立大学の二次テストが行われましたね。翌日の朝刊に東大と京大の二次試験の模範解答が全問ついて載っていました。とっても難解な問題ばかりですね。しかし、答えのない問題は一つとしてないんです。人生についても同じです。答えは必ずあるんです。脱出の道は必ずあるのです。
神が脱出の道を備えてくださる
第三に、その脱出の道を備えてくださるのは神だということです。そして、この神は、どんなに大きな問題よりももっと大きい存在なんです。神よりも大きい問題はありません。人よりも大きく見える問題はあるでしょう。しかし、神より大きい問題はないんです。人間の最大の問題は、自分が抱えている問題が、最大に見えてしまう原因にあると思います。すなわち、神を人生から閉め出してしまっているという点にあるんですね。神抜きで人生の問題のすべてを解決しようとしてきたことです。問題を通して神に祈り、悔い改め、立ち返ることを神様は願っておられるんですね。
クリスチャン詩人の八木重吉の詩にこういうものがあります。
キリストが解決して
おいてくれたのです。
ただ彼の中に入ればいい、
彼に連れられていけばいい。
どうぞあなたも生けるキリストに自分の心をぶっつけて本心でこの方に叫び、そして、救いを受け取ってください。心からお勧めしたいと思います。
(1コリ10:13)