
ごきげんいかがですか。尼川匡志です。
イエス・キリストが福音宣教のため十二弟子を遣わした時、弟子たちに言われたことばがあるんですね。こうです。
「いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。」
狼の中に羊を送り出すと言われたんです。そんなことをしたらね、羊はたちまち狼の餌食になります。イエスが言われたことばの意味を、今日、考えてみたいんですね。さて、今年は昭和100年。昭和初期に活躍した児童文学作家に新美南吉がいます。代表作の1つが『手袋を買いに』です。こんな話です。ある雪の降る日、母ぎつねが子ぎつねの手がしもやけになるのを可哀想に思い、手袋を買ってあげるんです。しかし、この母ぎつね、人間のことがとても怖くて店に行けません。それで子ぎつねの手を人間の子どもの手に変えて、お金を持たせ、手袋屋さんに買いに行かせるんです。子ぎつねは何とか無事手袋を買って帰りました。でもこれってどう思われます。私は正直ね、母親なら自分の愛する子をそんな危険なところに行かせていいのか。そう思ってしまうんですね。では、イエスが愛する弟子たちを狼の中に送り出すのはどうでしょうか。危険極まりない行為ですよね。さて、少しお話をしておきます。この羊とは直接は弟子たちのことです。広い意味では、私たち人間のこととも考えても良いと思います。羊にとって安全な場所は羊飼いがいる場所、人間にとって安全な場所は神がともにおられる場所です。そこから離れると危険なんです。狼とは羊を狙う存在、つまりサタンですね。広い意味では私たちが生きている世界とも言えます。どちらにしても神のもとから離れる事は危険なんだと言うんです。今日は3つのことをみて、このイエスのことばを考えてみたいんですね。
世界は危険が溢れている
それでは1つ目。私たちが生きている世界は危険が溢れているということです。
聖書は神が人間を創造したと語ります。その神が最初に人間が安全に過ごせる場所として備えたのがエデンの園なんです。そこは人間と神がともに生きられる世界、平和で豊かな場所だったんですね。神は人間に1つの命令を与えます。「園の中央にある善悪の知識の木の実だけは食べてはいけない」しかし、人はその命令を破るんですね。その結果、神との関係が壊れ、エデンの園から追放されてしまうんです。この追放された人間が増え広がってできたのが、今、私たちが住んでいる世界なんですね。ですからこの世界は基本、神ぬきで出来上がった世界と言えます。それは、自分で自分の善悪を決めたい世界、自己中心の世界と言えます。自己中心の世界ですから、他人を傷つける世界でもあるんですね。その世界で生きるならば、当然ですが、傷つくことがあり、苦しみや悲しみは避けられないんです。私たちが生きている世界とは、まさに狼がいる世界なんですね。
羊飼いは羊を守りたいと願う
2つ目を考えます。羊飼いは羊を守りたいと願っておられるということです。神が人間を創造した理由は愛しているからです。ですから、人が苦しみ痛んでいるのを神は決して望まれないんですね。
しかし、多くの人たちは「神なんかいない」と、神のもとから離れ狼の住む危険な世界で生きているんです。いや狼の中で生きていることに気がついていないのかもしれません。ですから羊飼いであるイエスが弟子たちを遣わし、福音を伝え、羊飼いのもとに帰るように促されたんですね。それが弟子たちを狼の中に送り出される理由なんです。では、イエスは弟子たちがどうなっても良いと考えられたのでしょうか。そんな訳はありません。弟子たちと迷っている羊たちに「あなた方が生きている世界はとても危険に満ち、いつ狼に襲われるか分からない世界なんだ。だから警戒せよ」というのが、このことばに込められているメッセージです。人間の目にはこの世界は時に楽園に見えてしまうんですね。夢が実現し、自由があり、成功を夢見れるからです。しかしね、その影には大きな危険が潜んでいるんです。それに気がつかないんですね。ある時、狼が牙を剥き、あなたは傷つき苦しむことになるんです。そしてその時やっと、自分が狼の中にいたんだということに気がつくんですね。イエスはある時言われました。「わたしはすでに世に勝った」と。これはこの世に対し、サタンに対しされた勝利宣言です。弟子たちはこのイエスによって守られていたから、狼の中でも安全だったんですね。以前、テレビで凶暴なホホジロザメの生態撮影のため、頑丈なケージの中に入って海に降りていくカメラマンの映像を見ました。人喰いザメが周りにウヨウヨいるんですが、ケージの中は安全なんです。弟子たちは狼の中に送り出されましたが、イエスの守りの中にいたので安全だったんです。そして、その弟子たちは、傷つき苦しむ羊たちに、羊飼いのもとに帰るように福音を宣べ伝えていたんですね。
神は人を危険にさらしたくはない
3つ目のことを考えます。「蛇のように賢く、鳩のように素直に」とはどういうことでしょうか。弟子も私たちも、実は狼のいる世界に生きているんですね。だから蛇のように賢く、鳩のように素直である必要があるんです。
ケージの中にいれば問題ありません。しかし、このケージにはね、内側からだけ開く扉がついているんです。外が危険な狼に満ちている世界だと認識していれば誰も出ませんが、楽園だとね勘違いしたらどうでしょうか。扉を開けて外に出てしまうんですね。そうなれば襲われ深い傷を受けるんです。この世界は危険が溢れる世界だと知る賢さは必要なんですね。表面にごまかされてはダメです。そして、神の言われることばに鳩のように素直であることも必要なんです。神の守りから出て襲われて傷つくのは自分自身なんですね。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直であれと言われるんですね。イエスはすべての人間を危険にさらしたくはないんです。決して自由を奪いたいのでも縛りつけたいのでもありません。ただ、危険から守りたいんです。車のシートベルト思い出してください。窮屈と感じるかもしれませんが、それが命を守るんです。この世界の危険を知り、神にとどまることがあなたの命を守ることなんです。この神を信頼してください。心からお勧めしたいと思います。
(マタイ10:16)