#1286 心騒がせず命の恩人キリストを受け入れる幸い

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

はい、皆様こんにちは。実はですね、あの、千葉の方に先輩がいるんですね。彼がね「高原君のために何かちょっとプレゼントしたいなぁ。そうだ!クリスチャンの陶芸家がいるから、夫婦湯呑みを作ってもらうから受け取ってよ!」って。「ああ、いいんですか!」って。まあ、そのクリスチャンの陶芸家の方、椿さんっていうんです。まあ、素晴らしい作家なんですけれども、この方湯呑み作るときにね色んなことを聞くんですよね。そして、この人物に一番ピッタリな物を、作家なりにイメージした物をお届けしようということでね、土掘りから始めるんです。注文して届くのに1年かかるんですよ。まだかなあ、まだかなあ思って、忘れた頃にやってくる。
ある日届いたんですけどね、桐の箱に入ってるんですよ。これで飲むぞ!と思ってぱっと箱開けたらね紙入ってまして「すぐに使わないこと」って書いてあるんですよ。「まず米のとぎ汁でこの器を煮沸してからお使いください」面倒くさいなあ。じらしてくれるやんかあ思いながらね、やりましたよ。そしてね、それを使って飲み出したんですけど、なんとなくね器がいいと、中身安もんでも気分は千利休ですよ。「一服」って言って、ティーパックでやるんですけど。なんだかね楽しくてね。

赦しを受け入れられない

まあこれを飲みながら、私子ども三人いてるんです。息子、息子、娘、三人いてるんですけどね、「いいかこの器は、お父さんだけが使う専用の物だから、君たちがこれで飲んではならない。これはお父さん以外に触れてはいけないから!」ってことで重々言うといたんですね。
ある日のこと、なんか隣の部屋でねパリンって音したんですよ。「割った?まさか!」と思って行くとですね、その木っ端みじんに割れた湯呑みの前に、末の娘がですね、こうたたずんでシクシクと「うぅ」泣いてる。私の姿見てすぐね「お父さんごめんなさい!割ってしもた!」「あんだけ言うといたやろ!」と「何で割ったんや!」と「これが床にあったから…」「あ、俺や」と思ってですね。まあ取り出して割ったんじゃなくて、私が置きっぱにしてたということがね、最大の原因なんですけど。でもね「ごめんなさい!」って謝ったから「赦す」と。
だけどその時からね、娘と私の関係が変になっちゃったんです。それまでは、お父さん子でね、まあよくしゃべる、よく笑う、よくはしゃぐ、もういつもはっちゃけて、もういつもね明るくってね、もうじゃれてきてね、そういう子なんですけどね、この事件以降ね近づかないんですよ。ご飯食べる時も無言。私がね「もうね、いいから、もう赦してるから」って「うん、ごめんなさい」「ごめんなさいって何回も言わんでいいから。赦してるから」って「ごめんなさい」私の方にも近寄って来ない日が、次の日も次の日も次の日も。
ある日の晩、コンコンとノックがあって彼女が私の部屋入ってきたんですね。そしたら何したかって言ったらね、お年玉で貯めてたお金やあるじゃないですか。五千何百円ぐらいのやつ持って来てね「これで赦してください…」て来たんです。めちゃくちゃ悲しかったんですよ私。私がね、こんだけ赦してるって言ってんのにね、それ受け入れないんです。そして私思いました。これが罪だなと。

神は人を愛し罪を憎む

キリストはおっしゃいました。

あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

どういうときに心騒ぐかと言いますと、二人の関係において、何か恥ずかしいこと、してはいけないこと、やましいことがあったときにね、関係にひびが入るんです。多くの人が無意識に、神のことを考えるのはちょっとなと思うのは、自分の人生を振り返っていったときにね、一つや二つ、人には言えない墓の向こうまで持っていかんとダメなようなそんな秘密があるからではないかなと、私は思うんです。今まで恥ずかしいことなんか一回もしたことがないという人いたらね、その人はね、自分に対する正直さがないと思います。少なくとも私友達なれないそういう人。実はどんな人だって、人に見られたらまずいなというようなことがあるんじゃないですか。だけど彼女がもう自分はダメでっていうふうにね、そういうふうに自分のやったことについて悔やんでるときに、それ見てる私の気持ちというのはね、赦したくて赦したくて仕方がない気持ちなんですよ。いや、もう赦してるんです。赦してるんですが、その赦しを届けたくて、この赦してるんだという事実を本人に分かってもらいたくて、分かってもらいたくて、たまらないというそんな気持ちです。
実は、神は私たちのことを愛しておられる。しかし、同時に罪を憎んでいる。でも罪を憎むというのは、なぜ罪を憎むかと言ったらね、罪が人間をダメにするからなんです。すべての人は創造主の前で罪人であると言うんですが、神は罪人を見たときに、憎んでるのではなく、この罪に対する完全解決を届けたくて、届けたくて、創造主である神の前に人が喜んで戻れるように、その妨げ部分を除きたくてたまらないお方なんですね。でもそれ分かるまで、この罪ということが分かれば分かるほど創造主との間の関係がうまくいかないのです。

キリストを受け入れる

70年も前に、ネットがなかったような時代に、この通販のシステムを作った人がいるんですよね。ニュージーランド人なんです。このニュージーランド人の人が、まあ通販の大きなこの会社を作っていくんですけども、この人クリスチャンになるんですね。従業員が3,000人ぐらいいてるんです。この従業員たちにキリストのことを伝えたいと思って、従業員向けに次々と小冊子を書いていくんですが、その小冊子の中にこんな話が残ってるんですね。作者はレイドローという人です。
ある時彼がね、ニュージュランド軍の兵士にキリストを伝えて、キリストに導いたことがあったって言うんですよね。ハリーと言うそういう兵士です。ところが話を聞いて「なるほど、なるほど、なるほど」って言うんですけど、決心しないんです。「いや、いいお話でした」と「でも、もうちょっと考えてみます」って決心できないんです。そこで言いました。「ハリー、こんなふうに考えることできないだろうか。君が敵の塹壕を襲撃すると命令されたとする。そして、君は首尾よくその攻撃をして、そして味方陣地に帰ろうとしたが、その時に後ろから敵の銃弾が降ってきて、そして、君が重症を負って倒れてしまったんだ。ところがそこにビル・スミスという人が現れて、君を担いで安全な味方の基地の所にまで運んでくれた。
ところが運ぶその途中で、彼自身も背中に二発弾が当たって、重症を負って、二人とも病院に運ばれたとしよう。二人とも一命をとりとめた。ふた月程たった時に、ドクターが松葉杖をついた一人の男性を連れて君のベッドまで来てこう言う。『ハリー、この人を紹介するよ。ビル・スミスさん。君の命の恩人だ。自分の命の危険も顧みずに君を背負って安全圏まで運んでくれたんだ』その時君がこう言ったらどうだろう。『私はこの人と知り合いになりたいかどうかよく分かりません。確かにいい話ではあるけれど、もう少し考えてみたいと思います』命の恩人を目の前にしてそんなことは言わないだろう。君だったらきっと握手をして『僕のためにそんなことまでしてくださってありがとうございます』ってお礼を言おうとするんじゃないか。
だからイエス・キリストのことを信じてほしいんだ。なぜならイエス・キリストは君の命の恩人なんだ。天からこの世界に来た、人となった神のひとり子を、そして身を危険にさらしただけではなく、実際に十字架にかかって君のすべての罪を償って、そしてよみがえって来てくださった方だ。だからこのキリストを今受け入れないか」「分かりました。信じます」と言ってその場でキリストを信じたと言うのです。
私たちの命の恩人となってくださった方、それがキリストです。どんなプレゼントも受け取らないと無駄になってしまいますね。なので皆さんにこのハリー君と同じようにキリストを受け入れるという選択をしていただきたいと願っています。 ぜひ、このキリストを信じてください。心からお勧めいたします。

 

使用CDジャケット
Lena Maria:いちわのすずめに

今日のみことば
「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
(ヨハネ14:1)