ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
昔、ロンドンのハイド・パークというところで一人のクリスチャンが、この世界を造った神様についてスピーチしていました。すると聴衆者の一人がスピーチを遮って言ったんです。「私は神を見たことがない。天国も地獄も最後の審判も見たことがない。だからそんなものを信じることはできない。そんなものはないに決まっている」すると別の一人が言い返したんです。「私は全盲で生まれたからロンドンにいてもテムズ川を見たことがない。バッキンガム宮殿も、大英博物館も、二階建てバスも見たことがない。だからそんなものはないと言えるだろうか。見えるあなたには事実だと分かるでしょう。あなたが神などいないと言えば言うほど、あなたは自分の無知をさらけ出しているんじゃないかなあ」これはとても大切な指摘だと思います。見えないと言うことは存在しないことの証明にならないのです。
聖書の中にこういうことばがあります。
いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
ここに二つのことが語られていますね。
神は目に見えない
第一に、神は目で見ることはできないということです。しかし、人間の作者である方を知る手がかりはいくらでもあるんですね。
この肉眼に見えない世界を研究する方々の中に分子生物学者がいます。DNAを始めとする生物の設計や成り立ちを研究しておられますね。ところで、生物は自分自身を維持するために体に必要な物質を作り出す働きがあります。これを「代謝」と言います。体に必要な物質とは一体何でしょう。タンパク質なんですね。そして、このタンパク質はDNAの情報に従って合成されるんです。
ところでDNAはどのようにして複製されるんでしょう。DNAポリメラーゼという酵素によって作られるんです。DNAポリメラーゼが存在しなければDNAはできません。ではDNAポリメラーゼは何によってできているんでしょう。タンパク質なんです。そのタンパク質はDNAがなければ存在できないんです。DNAがなければDNAポリメラーゼはできません。DNAポリメラーゼがなければDNAはできません。このどちらが先にできたかということが、分子生物学の世界では大きな問題となってるんです。
理屈から言えば、二つともが初めっから同時にできていない限り生物は存在しないんです。とするなら一番合理的な説明は、初めから両方備えるものとして神がお造りになったということになるんですね。
聖書の語る神様は目では見えません。しかし、生命科学をとことん追求していくと、初めからシステムとして完成させた方に行きつかざるを得なくなるのです。
神は人となってこの世界に来られた
第二に、この見えない神の内にあるひとり子の神がこの世界に来てくださったと言うことです。父のふところにおられるひとり子の神が、人間としてこの世に来てくださいました。この人となった神こそはイエス・キリストなのです。
アフリカにルワンダという国があります。同じ国の国民同士で大変な殺戮の歴史を通った国なんです。社会が混乱し、秩序が一度崩壊すると、なかなか立ち直ることが難しくなります。そして、そのしわ寄せは社会の一番弱い者にやって来るんです。この国では、たくさんの乳幼児が、予防接種を受けることが出来ないばかりに亡くなっていったんです。そこで、国連のユニセフがワクチンを届けることにしました。この国には肝炎や、ポリオや、黄熱病など、恐ろしい風土病が蔓延していたからです。このワクチンの接種を広めるためにユニセフは一大キャンペーンを行ったのです。「予防接種はあなたの赤ちゃんを救う!」とルワンダ語で書かれたカラーポスターが国中に張り出されたんですね。
しかし、このポスターの効果はほとんどありませんでした。受けに来る人がいないんですね。なぜ受けに来ないんでしょう。ルワンダのお母さんたちの多くが文字を読めなかったからです。文字を知らない人に文字で何かを伝えても無駄なことです。彼女たちに分かってもらうためには、人間が彼女たちの所に一軒一軒訪問して、そしてお母さんたちに分かる言葉で伝えなければならなかったのです。
神は、神から離れた人間にご自分のことを伝えるために人となって来てくださいました。そして、人の世に生まれ、育ち、訪問し、見えない神がどんなに人間の死後の永遠のことを心配しておられるかを伝えたのです。
神は人のためにいのちを捨てられた
幕末から明治にかけて、今の静岡県の清水みなとに清水の次郎長と呼ばれる親分がいました。大変男気に溢れた人物です。旧幕府軍の戦死者を弔ってはいけないと言う官軍の命令に背いて「死んだ人間に敵も味方もない。同じ日本人だ」と言って引き取って葬ったり、また、引退した官軍の元兵士を旧幕府の生き残りたちから守ったりしました。いわゆる強きをくじき、弱きを助けるという大親分なんですね。
その名声を伝え聞いた勝海舟が、ある時、次郎長に会って質問するんです。「次郎長さん、お前さんには自分のために命を投げ出す子分が何人くらいいるだろう」次郎長の度量を試すような挑戦的な質問ですね。このチャレンジに対する彼の答えは意外なものでした。「そんな度胸のある子分は一人もおりません」「えっ!」となっている勝海舟に次郎長は続けてこう言ったそうです。「ですがね、あっしは子分のためならいつでも命を捨てますよ」勝は思わず「うーん」とうなったと言われています。明治政府の閣僚がお互いに足を引っ張り合ったり、ねたんだり、嫉みでバラバラになってるのに、次郎長の元には千人以上の子分が火の玉のように燃えながらくっついているのは、トップの覚悟の有無によるものであると感服したんですね。
しかし、神がしてくださったのはそれよりもはるかにすごいことです。なぜなら神はご自分に従う子分のためではなく、ご自分に反逆する罪人のためにいのちを捨ててくださったからです。父のふところにおられるひとり子の神が、この世界に来られて説き明かされた神とは一体どんな神なのかご存じですか。それはひとり子の神を十字架の上で見捨て、のろい、さばいてでも、あなたを永遠の地獄から救い出してくださる愛の神を説き明かされたのです。そして、死後三日目に死を突き破ってよみがえることによって、人間の最大の敵である死をも滅ぼす力ある神をお示しになられたのです。この無制限の愛と、無制限の力に満ちた方こそ、あなたに必要な神なのではないでしょうか。
どうぞ、このイエス・キリストをご自分の救い主として信じ、受け入れ、あなたの造り主のもとに立ち返ってください。心からお勧めしたいと思います。
向日かおり:十字架の上
(ヨハネ1:18)