新約聖書
「しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』 自分のためにたくわえても、神の前に富まないものはこのとおりです。」
(ルカ12:20,21)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.880 2017年2月5日

「朽ちない宝イエス・キリスト」

おはようございます、高原剛一郎です!

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アメリカの宇宙飛行士に、チャールズ・ボールデン・ジュニアという人がいます。彼は生涯に4回宇宙に出て、そして外から地球を見た人です。初めて高度64万4000mの上空から地球を見た時、その美しさにうっとりとしたそうです。しかし、中東の上空に差し掛かった時、そこに血なまぐさい戦争が続いているということを思わずにはおれませんでした。というのは、宇宙からでも戦場から立ち上る黒煙が見えたからです。
彼はその時、あるべき姿にない地球を見ながら、地球に戻ったら世界をよくすることのために最善を尽くそうと心に誓ったというのです。 上からの視点が彼の人生観を変えてしまったのです。
ところで、この世界をお造りになった神様は一体どのような視点でこの世界をご覧になっているのでしょう。道徳的にも、人道的にもありとあらゆる面であるべき姿にない世界をご覧になった神は、あるべき姿に回復させるために、救い主を送ってくださいました。その救い主こそはイエス・キリストなのです。

ある金持ちのたとえ

ある時イエス・キリストは罪とは何かを説明されました。罪とは一言でいうと、あるべきところにない事、的を外しているということなのです。本来の目的から外れた生き方を、聖書は罪と語るのです。そしてキリストは、次のようなたとえを話されたのです。
ある金持ちの畑が豊作であった。ありあまる作物をたくわえるために、今ある倉を取りこわして巨大サイトを建て、全財産をたくわえよう。そして自分のたましいに言おう。「たましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」
ここでイエス・キリストはこう言われたのです。

しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のためにたくわえても、神の前に富まないものはこのとおりです。

このたとえの人物は、第一に金持ちで、しかも広大な畑という不動産があり、そのうえ豊作という幸運に恵まれていました。それでこの作物を貯蔵して、働かなくても食べて行けるような人生設計を立てたのです。
ところで、これがどこが愚かなのでしょう。聖書は、与えられている富を賢く管理することを罪とは言っていません。むしろそれは、やるべきことです。
彼が愚かと言われているのは、財産管理のことを言っているのではないのです。
第一に、自分のいのちは自分が握っていると思っていることについて言われたのでした。彼は自分が生きたい分だけ生きれると勘違いしていたのです。
人生という時間は自分のものだと誤解しています。しかし、人生は神から貸し与えられている機会であって、必ずお返しする時が来るのです。

ウォール街の魔女の人生

第二に、いつまでも持ち続けることができないものに、人生の平安の土台を築こうとしたことです。
20世紀の初頭に、ヘティ・グリーンという女性がいました。彼女は大変お金に執着する人でした。彼女についたあだ名は、「ウォール街の魔女」です。
おそらく当時、女性として世界トップクラスの大金持ちです。別に会社経営をしていたわけではありません。自分の勘と、どケチ根性で仕手戦や先物取引を駆使し、たった一人で当時のお金で2億ドルをため込んだ大相場師なのです。
しかし、なぜ魔女呼ばわりされるのでしょう。実は彼女が30歳から81歳で亡くなるまでの50年間、彼女はたった1着の黒いドレスを着続けたのです。彼女がウォール街を歩くと、常に異臭がしたそうです。なぜそんなことをしたのでしょう。服を買う金がもったいなかったからです。女性でありながら50年間1着で通しました。
食事は毎日、茹でた豆とパン1枚、生の玉ねぎだけです。肉や卵やチーズなど一切ありません。
彼女は一度結婚しています。実業家の大富豪エドワードとの間に2人の子どもをもうけました。しかし、財産は夫婦別々の管理にしました。そして、夫が事業に失敗した時、一切の援助をせずに離婚しました。破産した夫は失意のうちに病死しました。
彼女は銀行で気に入らない対応をされると、100万ドル単位の預金を全額引き出し、銀行を倒産させました。
彼女は莫大な財産が少しでも減ることを気に病み、家は持ちませんでした。持てば管理する費用が掛かるからです。それで、安いアパートを転々としたのです。そして、毎日経済新聞を読むと、自分が読み終えた新聞を息子に売りに行かせたのです。その息子がある日、足にけがをしましたが、彼女は医療費をケチって放置しました。その結果息子の足は、切断となりました。
彼女の最期は、食事に招かれた友人の家でした。そこで彼女はコックと口論になった最中に、脳卒中を起こしたのです。
口論のきっかけは、なんでこんな贅沢な料理を作るのか、という文句です。実に象徴的な終わり方でした。

物は平安の源になりえない

世の中には、お金持ちになりたい人がたくさんいると思います。しかし、彼女のようになりたいと思う人はいないと思うのです。
確かに相場の読み方には長けていたことでしょう。そして、巨額のお金をため込むことができたでしょう。
しかし、人生の使い方に違和感を感じるのではありませんか。自分のために貯めることはしても、誰かを助けるためや世の中に貢献するために、それを活用することはありません。お金は貯めるためではなく活用するためにあるのに、貯める以外に眼中なくなってしまっていたのです。
どうしてそんなにまで、お金にこだわってしまったのでしょう。人は自分を裏切っても、お金は自分を裏切らないと信じていたからです。人生の平安の土台を、財産の中に持とうとしたからです。
しかし、財産は全くないと不安になりますが、あったらあったでその財産が減らないようどうしたらいいかという別の悩みや心配事が生まれてくるものなのです。
実に平安の源泉は、物ではない。物以上のお方にあるのです。

神が準備してくださった救い主

第三に、彼女の人生観は、神がいないということがベースになっていました。
人は死んだ後で、人生をどう生きたかを神の前に弁明しなければなりません。自分に人生を預けた真のオーナーに対して、神の目的に従って生きてきたかどうかを問われるのです。死後の世界があるという現実を彼女は勘定に入れていなかったのです。
本当の平安はどこにあるのでしょう。それは、イエス・キリストを自分の心の中に受け入れるというところにあるのです。というのは、イエスこそはあなたの罪の償いを、あなたに代わって支払ってくださった方だからです。
あなたをお造りになった神様は、あなたを愛して、あなたの罪の赦しをイエス・キリストによって、与えて下さったのです。
このイエス・キリストを持つことこそが、本当の意味での財産家となることなのです。なぜなら、イエス・キリストの中に赦しも、救いも、永遠のいのちも、天国の国籍も、すべての良き恵みが入っているからです。
あなたも、神が準備してくださった、あなたのための救い主イエス・キリストを、ご自分の救い主としてどうぞ受け入れて信じて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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