新約聖書
「愛はすべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」
(1コリント13:7)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.878 2017年1月22日

「人を信じる神」

おはようございます、高原剛一郎です!

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コメディアンの三宅裕司さんの奥さんは、とても言い間違いが多いことで有名なんだそうです。
ご近所の受験生を励ますために「だめで元々で行ってきて。」と言おうとして「元々だめなんだから、行ってきたら。」と声かけをしたといいます。また病院に行って「ICUどこですか。」と訊くつもりが「CIAはどこですか。」と訊いたこともあるそうです。ICUというのは集中治療室、CIAというのは、アメリカの諜報機関ですよね。一文字違うだけで、全く意味が変わってしまいます。

神様の本性は愛

ところでそれは、神さまについても言えることなんです。
今まで私たち日本人が聞いてきた神はみな、人間が、作った神々です。日本には26万6千もの神々があるそうですが、それらはみんな、人間の宗教心がこしらえたものです。人間が、作った神々は、人間を救うことはできません。
しかし、聖書の語る神さまは、人間が、ではなく、人間を、お造りになられた創造主なんです。あなたの造り主である方を、聖書は神と呼んでいるのです。
そしてこの神のご本性は、愛です。神さまはあなたを愛しておられるのです。

愛は信じ忍耐すること

ところで、愛を別の言葉に言い換えたら、どうなるでしょう。聖書にこう書いてあります。

愛はすべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

つまり、愛とは相手を信じ、期待し、忍耐して待つ態度なのだと、聖書は言うのです。そして、神さまはあなたを信じて、あなたがご自分の造り主である神の元に戻ってくることを期待して、神の側でできるすべてを準備しておられる方なのです。

昭和の脱獄王、白鳥由栄

ところで、今からちょうど百年前、白鳥由栄という男が生まれました。後に昭和の脱獄王と言われた人物です。
彼は仲間と強盗殺人事件を起こして逃亡していましたが、二年後に自首し、そして刑務所の中に入れられます。
しかし、当時の刑務所の環境は劣悪で、彼自身人間扱いされず、それを抗議したことが裏目に出て、非常に過酷な懲罰を受けるのです。それを契機に次々と脱獄と収監を繰り返す人生を歩むことになるのです。
彼は生涯で四回、脱獄に成功しています。一回目は青森刑務所で、針金で手製の合鍵を作り、はめられていた手錠を外して脱獄します。
二回目は秋田刑務所で、なんと数メートル上の天窓から、脱走してるんです。この脱出出口は独房の天井に開いている窓です。彼は90度の角度を利用して、片方の壁に両手を、片方の壁に両足を突っ張って、天井までたどり着いたんですね。これは脅威的な身体能力です。そしてそこで毎日、天窓の枠を手製ののこぎりで切っていったのです。そののこぎりは、ブリキ板と釘で作ったものでした。
三回目は網走刑務所です。実は網走刑務所は、明治にできて以来、誰も脱獄に成功していない刑務所でした。看守たちは過去に二回にわたって脱獄している男がやって来たということで、絶対に脱獄させないと白鳥の両手両足に手錠をはめ、その手錠の鍵穴をボルトでとめた上で溶接したのです。ところが白鳥は手錠のボルトを毎日毎日歯で噛んで、少しずつ緩め、数か月かかってついに、外してしまうのです。彼の信念は、人間が作ったものは必ず壊せるというのでした。 ただし、ボルトは外せても、そのために歯をほとんど失くしてしまいます。看守たちは徹底した監視を続けますが、白鳥をその警戒をすり抜けて、脱走するんです。彼は毎日、みそ汁を口に含んで、それを手錠と鉄格子に塗りつけ、塩分でさびさせて壊していったのです。そして頭がようやく抜け出るだけの監視口を両手の関節を外して、両肩の関節を外して、くぐり抜け監獄の廊下の天井を通って、逃げてるのです。 そして複雑な刑務所の庭の中を迷うことなく、最短距離で塀まで行き、途中にある煙突の支柱を恐るべき怪力で引き抜きそれを梯子にして、塀を乗り越えているのです。彼はずっと独房の中でしたから、刑務所の庭がどうなっているか知らないはずでしたが、一回だけ火災訓練の時に、独房から出されていて、その時に刑務所の配置図をすべて頭の中にたたきこんでいたのです。非常に頭の切れる人物だったのです。
それは看守との心理戦においても、いかんなく発揮されていました。網走刑務所では、囚人は寝る時も毛布を頭からかぶってはならないという規則がありましたが、彼はいつも毛布の中に潜り込んでいました。看守に見つかって、散々殴られても、それを止めませんでした。そして殴る看守に向かって、ぼそっと言うんです。「おまえの当番の時に脱獄してやる。」実に恐ろしい男です。そんなことになれば、もう出世はできないでしょう。それで毛布くらいで白鳥を殴るのをやめようと、徐々に徐々に、大目に見るようになっていったのです。 実は白鳥はそれを待っていたのです。脱獄が成功するためには、看守が独房を覗いて寝ていると思わせていなくてはなりません。そして彼はそれを利用して見事に、成功させてしまうのです。
最後は札幌刑務所でした。ここでは、白鳥個人用に特別に作られた、ものすごく頑丈な独房の中に放り込まれます。しかし彼は、床下の分厚い板を小さい金属片だけで切断し、食器で地下に穴を掘り、地下道を使ってそこから脱走に成功するのです。
この執念とも言うべきエネルギーは、一体どこから生まれてきたんでしょう。ひと言で言うと、怒り、なのです。憎しみです。そして自分の人生に対する絶望なんです。
彼は脱獄を繰り返すにしたがって、ますますひどい扱いを受けるようになります。するとますます反発心が生まれてきて、何がなんでも脱獄しようと思うようになるのです。

信じることで脱獄王を屈服させた

彼が最後に収監されたのは、東京の府中刑務所でした。この時、府中刑務所の所長は、白鳥の過去の脱獄歴を見て、この男の脱走を防ぐ手立てはない、と悟るのです。そして白鳥に辛くあたることを一切やめるのです。彼を普通の囚人のように扱います。部屋も普通の部屋で、手錠もかけません。彼を特別に極悪な存在として扱うのではなく、人として接したのです。
白鳥は自分のような過去がある者に、一度も脱走したことがない囚人と同じ待遇で接することに、驚くのです。そしてまるで別人のように、模範囚となり、刑期を満了して出所するのです。
金属製の鎖の力で彼を屈服させることはできませんでした。しかし、彼を信じようとする人物との出会いが、彼の心を屈服させてしまったのです。

神様待っていてくださっている

神さまから離れた人間は、それでも自由意志を与えられて、今、人生を生きることを許されています。
しかし、そこには、神さまの愛と信頼と期待が込められているのです。自分という人間をこの世に造り出してくださった作者に気がついて、その作者である創造主に立ち返って、キリストによる罪の赦しと永遠の受け取りに来ることを信じて、生かして、待っていてくださるのです。
人生は一回切りです。この一回の人生の中で神さまがくださるこのすばらしいチャンスをどうぞ見逃さないでください。
どうぞあなたも、イエス・キリストという生ける道を通って、ご自分の造り主の元に、帰ってください。心からお勧めしたいと思います。

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