「愛のゆえに最初によみがえられた救い主」
その小説は『アンクル・トムの小屋』です。今から150年ほど前の本です。南北戦争の10年ぐらい前に書かれた小説なのです。作品を書いたストー夫人という方はクリスチャンでした。お父さんも牧師で、ご主人も牧師で、ご主人のお父さんも牧師なんですね。もう親類縁者みなクリスチャンというね。そういう中で彼女の生きていた時代まだ奴隷制度があったのです。
南部の方の奴隷が大変でした。そして彼女は南部から逃げてくる奴隷をカナダに亡命させるための秘密結社に入ったのです。彼女の所にいろんな所から私を救ってくださいってやって来る、そして彼らから生々しい現状、恐るべき報告を山のように聞くのです。そして、それらのエピソードが小説の中に注ぎ込まれているのです。
黒人奴隷アンクル・トム
さてこの『アンクル・トムの小屋』というのは初老の黒人奴隷でアンクル・トム、まあトムおじさん、トムじいさんと言ってもいいかもわかんない。頭が良くて、心が親切で、力持ちで、タフで、我慢強くて、そして何よりも筋金入りのクリスチャンで、彼の祈りは本当に聞く人を奮い立たせるのです。
とびぬけて神様を信頼する人物でありました。そして主人のシェルビーという人は彼に仕事を任せると何から何までうまくいくということを知るのです。奴隷なんですけど信用して会計の帳簿まで彼に任せるようになるんですね。
そして彼の機転によって何度も何度もシェルビー家は窮地を脱することが出来るのですが、ところがこのシェルビーさんが事業で大失敗するのです。そして莫大な借金を彼自身が負うことになります。そのとき彼がその借金から逃れるために取った方法はアンクル・トムを奴隷商人に売るということだったのです。その時トムの妻のクロイという女性が嘆くんですね。「あんまりだ!ご主人はうちの夫のおかげで今まで2回も命拾いしてるのに、自分が借金でどうにもならなくなったらうちの主人をまず売ってしまうの!」
そして夫に言うんですね。「さあトム逃げよう。こんなところにいてたら恐ろしい目に遭うから、もう逃亡奴隷になって逃げましょう。あのご主人は今までいい人だと思ってたけど、とんだ見込違いであった。」って言うんですね。
その時にトムはこう言うんですね。「もしお前が私を愛してくれるんだったら頼むから私の前で主人の悪口を言わないでくれ。私はあの方が好きなんだ。あの方の悪口は一言でも聞きたくない。わしは逃げようと思ったら逃げることが出来るかもしれんが逃げないよ。もし逃げたらご主人の借金はどうなる。わしは奴隷として売られていくよ。なあに心配ない私は人一倍我慢強い男なのだ。」と言ってまあ家族がバラバラで売られていくのです。
キリストに贖われている
転売、転売で悲惨な人生がそこから始まっていくんですが、彼が最終的に売られていったのは南部の綿花畑でした。一日中炎天下で働き詰めに働いて、もう倒れてしまったらクギの付いた棒で頭殴られるんですね。
あるとき一人の女奴隷が熱射病で倒れてしまってノルマを果たすことが出来ない。そしたらすぐにリンチが始まるんです。
トムはね自分の綿花を分けてやるんですね。「お前勝手なことするな!この女奴隷を打て!鞭で打てっ!」て言うんですが「ご主人それはできない。それは正しくない。」「正しくなかろうが正しかろうが関係ない!俺はお前の身も心も金で買った主人だ!やれー!」って言うんですけど「確かに私の体はあなたに買われた奴隷だけど、私の心をあなたに売った覚えはない。私の心は誰も人は買うことは出来ない。なぜなら私の心はイエス・キリストによって贖われているからだ。どんな事もどんな人も私の心を傷付けることはできない。イエス・キリストだけが私の王様だ。」って言ってねぜったいに打たない。だから反発受けるんです。
イエスは奴隷のようになられた
ある日のこと、この残酷な主人は奴隷たちにお酒を飲まされてぐでんぐでんに酔っぱらって、なんぼ揺り起こしても起き上がることが出来ない。そして、その主人のすぐ近くに斧があったのです。
奴隷たちが「さあ、今の間にこの主人の頭をかち割って殺して皆で逃げよう!さあ、トム手伝ってくれ。お前も協力者となってくれ。」と言うんですが、その時にアンクル・トムは言うんですね。「善は悪から生まれない。そんなことするぐらいだったら右腕を切り落とされた方がましだ。彼はよくない主人だ。でも祈ろうよ。彼のために執り成そうよ。」まあ仲間の奴隷たちが「何を寝ぼけたこと言ってんだ!」って言ってね、そして、しばらくしてこの奴隷たちが集団で逃亡する。
その時に、主人が、逃亡の手引きをしたのはアンクル・トムだろうということで、残った屈強な二人の奴隷にアンクル・トムを殴らせるんですね。気を失うまでね。それがもとで彼は亡くなるのです。
しかし、息を引き取る少し前にね、主人の命令で殴りつけたこの二人がね、「赦してくれトム。あの主人には逆らえなかったんだ。」って言うんですね。
その時にトムはこう言うんですね。「何とも思ってないよ。」
この二人がね、「一体何があなたにそのようなことを言わせるのか。あなたにそのような赦しを語らせるイエス・キリストとはいったい何者なんだ」って言うんですね。
アンクル・トムは最後の力を振り絞ってこの二人に個人的な伝道をするのです。「イエス・キリストという方はね、私たちのために、十字架に架かって私たちの身代わりに死んでくださったんだよ。私たちは奴隷として見下されているけど、イエス自身は奴隷のようにこの世界に来てくださったんだ。」って言って。この彼の最後のメッセージによって二人の囚人が回心しクリスチャンになるのです。
愛によって身代わりになられたイエス
このアンクル・トムっていうのはね実在の人物なんですね。その実在の人物っていうのはイエス・キリストです。
逃げようと思ったらいつでも逃げることが出来るけどもし自分が逃げてしまったら主人の借金が消えない。だから私は自分を売りとばした主人を何とか助けるために自ら進んで奴隷の生き方をした。その生き方ははっきり言ってお人好しを通り越してバカな男の生き方です。世にもバカな生き方をした男、それがイエス・キリストです。
神を呪い、自己中心に生き、そんなものは関係ないとうそぶく人間のためにイエス・キリストは一方的に私たちを愛して、愛の故にその血によって、命によって、私たちを罪から解き放ってくださった。義務によってではない、押しつけられたのではない、愛によってあなたの身代わりを買って出た方、あなたの代わりに十字架に架かって私たちが死後に受ける裁きを全部たった一人で引き受けてくださった方。この方こそはあなたの救い主なのです。
復活がある
ヨハネの黙示録1章5節にこう書いてあります。
また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方
イエス・キリストは十字架に架かって、死んで、墓に葬られただけではなく三日目に死を突き破って最初によみがえられた方です。というふうに書いてあるんです。皆さんキリストは死んで墓に葬られ、そして死者の中から最初によみがえられた。最初によみがえったと言うことは続く人がいるということです。どんな人でもイエス・キリストを自分の救い主として信じ受け入れる人は、たとえ死んでも魂は永遠の天国に行き、そして、キリストが再び来られる時にその人の肉体も復活するのだと聖書は約束してるのです。この方こそあなたのための救い主です。
ぜひこのイエス・キリストを信じ、受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。