新約聖書
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のために死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
(ローマ5:6-8)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.844 2016年5月29日

「祝福を妨げる思い込み」

おはようございます、慶相龍です!

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私は日本に生まれ育った、在日韓国人三世ですが、過去に約三年間韓国で暮らしたことがあります。そのとき、日本語の講師の仕事をしていたのですが、ある日、教え子の男性が私を食事に招待してくれました。私を日本語で接待したいというのです。いわば、自らの日本語の実力試しです。
大通りで彼は、タクシーを止めて言います。「先生、タクシーにお乗りください。」タクシーの中でも、いろいろと話しかけます。韓国料理のお店の前で、タクシーを止めました。「先生、到着しました。お降りください。」お店に入ります。「先生、私たちの食事のために、予約しておきました。こちらへどうぞ。」ここまでは完璧な日本語です。テーブルの前で雑談をしていると、料理が出てきました。「先生、料理が来ました。食べなさい。」
彼はなぜ、私に「食べなさい」と言ったのでしょうか。それは、食べなさいと言う言葉を目上の人に対する尊敬語であると思い込んでいたからです。これはほほえましい例ですが、思い込みというのは、時に取り返しのつかない大損失をもたらします。今日は神様の祝福を妨げる、三つの思い込みというテーマでお話ししたいと思います。

ローマ人への手紙5章6~8節

聖書のみことばはローマ人への手紙5章6節から8節です。

私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のために死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

たしかに神はおられる

神様の祝福を妨げる思い込みの一つ目は、神はいないという思い込みです。
聖書の語る神は、すべての者を造られた創造主なのです。そして、この神によってつくられたものを、被造物と言います。被造物を見れば、人間を超えた知恵の持ち主、つまり神によってデザインされたと考えざるを得ない実例に満ちているのではないかというのです。
ザトウクジラを例に挙げましょう。大きいものでは体長19メートル、重さ40トンにも達します。そして、ザトウクジラの特徴に一つは、全長の三分の一にも達する大きな胸ビレです。
この胸ビレの前方のふちにはいくつかのコブがついています。私たちの考えではこのコブは海中を泳ぐためには不利な構造のように思います。しかし、模型を使った実験では、驚くべき結果が出ました。コブがいくつかついた胸ビレの模型は、コブのない滑らかな模型よりも揚力が8%も大きく、抵抗は32%も小さかったのです。そればかりでなく、40度の角度に立てても水中で失速しなかったのです。コブによって破壊された水流が、コブとコブとの間を通りながら渦巻きをつくり、その渦巻きがザトウクジラの泳ぎにそのような好影響を与えてくれているというのですね。
アメリカの海軍に所属する科学者、エンジニアたちは、この胸ビレについて「信じられないほど卓越した設計者によるものだ」と言ったそうです。
聖書は語ります。天地万物を造られた創造主はいる。それは、被造物を見れば明らかであると。この神こそあなたの存在の根本原因である方です。祝福に満ちた計画をもってあなたを造られた、あなたの作者、あなたの真の親なのです。
神はいないという思い込みを、どうか捨てて下さい。

人間は罪人である

二つ目に、私には罪はないという思い込みです。
確かに、あなたは殺人罪は犯したことがないかもしれません。窃盗や強姦やゆすりや集りなどをしたことがないかもしれません。しかし、聖書の作者である神は法律に違反することや、道徳的に好ましくないことだけを示しているのではなく、神から離れて生きることを罪と言っているのです。そして、その罪には必ずさばきが伴うというのです。
世の中は、「神はいない。したがって、神に対する罪はない。罪に対するさばきもない。好き勝手に生きればいいのだ」と主張します。それが本当だとするなら、聖書がうそを言っているのでしょうか。
ある国で麻薬の運搬を手伝ったという容疑で若い女性が逮捕されました。その国では麻薬にかかわる犯罪には死刑判決が下されることが普通でした。警察がいくら厳しい取り締まりをしても、罪を認めません。どうしても認めないので、警察は彼女に一つの提案をします。罪を認めるふりをすればよい。もし自供すれば、釈放してやるから。彼女は警察を信じて自供しました。その結果、彼女には死刑宣告が下され、叫んでも、暴れても、彼女は死刑を免れることができなかったのです。彼女の死因は、警察のついた嘘を信じたことです。
嘘にあふれた世の中ではなく、罪はあるさばきはあると語る神のことば聖書を信じて下さい。神があなたを罪人であると宣告される理由は、あなたがご自分の罪を認めて、神の備えた罪の赦しを受け入れることができるためなのです。

キリストは愛して下さる

三つ目に、キリストと私には何の関係もないという思い込みです。
キリストなんて、そもそも今から2000年前の人じゃないか。だいたい自分は、キリストを信じたこともないし、信じる気もない。そんな私とキリストにかかわりがあるのか。あるわけがないじゃないかという思い込みです。
しかし、キリストは、定められた時に不敬虔な者のために死んでくださったのです。その定められた時こそ、今から約2000年前、そして不敬虔な者こそ、キリストを信じたことも信じる気もないあなたの事なのです。キリストは2000年前に、あなたのために死んでくださったのです。
ところで、パウロは語ります。私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する、ご自身の愛を明らかにしておられますと。もし誰かが、あなたのした悪を思わず、あなたの知らないところで大きな犠牲を いとわずにしてくれたというなら、その人はどういう人でしょうか。間違いなく、あなたを愛している人です。あなたがキリストを信じているからではなく、あなたがキリストなんて知らない、キリストと自分は何の関係もない、キリストなんか信じるに値しないと思っているとしても、そんな罪人のあなたのために、あなたの生まれもしていない2000年前に、あなたの知らなかったカルバリの丘でキリストは十字架についてあなたの受けるべき罪の刑罰のすべてを受け終えて下さったのです。
キリストは間違いなくあなたを愛しています。キリストを遣わした父なる神は、間違いなくあなたを愛しているのです。
どうか神はいない、私に罪はない、キリストと私には何の関係もないんだという思い込みを捨てて、キリストを受け入れ、罪の赦しを自分のものとしてください。そして、神の救いを喜び、神の素晴らしさを歌いつつ歩もうではありませんか。心からお勧めいたします。

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