新約聖書
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
(ローマ6:23)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.843 2016年5月22日

「備えあれば憂いなし」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
最近、田中角栄ブームなんだそうです。小学校しか出ていない彼が、持ち前のバイタリティーと行動力で並みいる官僚を使いこなし、日本の一時代を築き上げたことは偉業といえることでしょう。
とろろが少年時代の角栄氏には、一つ大きなコンプレックスがありました。いわゆる、吃音だったのです。しかもジフテリアの後遺症で詰まるようにしか話せなくなったため、一生治らないと思い込んでいたのです。悲惨なのは、それを上級生たちから徹底的にからかわれたことでした。
ある日のこと、母親に頼まれて電球を買いに行った帰り道、例の上級生の集団に出くわしたのです。ひどい言葉でからかわれた角栄少年は、怒りに任せて、買ったばかりの電球を木にぶっつけ、そして大きな声で何かを言い返したのです。その時彼は、ふと気がついたのです。
「今自分は少しも詰まらずに言い返すことができたぞ。そうかこれは治せるぞ。」と考えるようになったのです。
そして年に一度の学芸会で、弁慶の役をかってでたんです。それはたいへん古い言葉で大人でもよどみなく語ることが難しい台詞の役なんです。担任の先生は無理するな、と止めるのですが、角栄少年は、当日見事に主役を演じ切ります。
今まで話せないと思っていた角栄少年が、完璧な台詞回しを言えたことで、会場は興奮に包まれたそうです。

準備をすれば修羅場は乗り越えられる

一体、どうして彼は詰まらずに言えたんでしょう。実は節回しをつけて、歌うように話すと詰まらずに話せることに気づいたのです。それで本番の劇の間ずっとBGMを流し、その節に合わせて語ったところ、一つも詰まることがなかったんです。そしてこの経験が後の政治家、田中角栄を生んだのです。すなわち、準備をして臨めば、どんな修羅場も乗り越えることができる、ということです。
これは人生についても言えることです。私たちは誰しも人生の最後に死という修羅場を持って生きる人です。この死についての備えを前もってしておくということこそ、揺るがない人生、堂々たる人生、勇ましく高尚なる生き方を生み出すものとなるのです。
聖書はこう語っています。

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

ここから二つのポイントでお話しいたしましょう。

病気の蔓延と医学の発展

第一に死の原因は、病気でも戦争でも事故でもない、神から離れるという罪が、死をもたらした根本原因である、ということです。
中世のヨーロッパでは、人々を震え上がらせる伝染病が周期的に蔓延しました。ペストです。日本語では、黒死病と呼ばれていました。亡くなった方の体は、黒く変色してしまうからです。
これはネズミが持っている病気で、原因はペスト菌です。しかし中世の時代、そんな医学的知識はありませんでした。人々は原因不明で次々に命を落としていくんです。それは恐るべき恐怖でした。というのはヨーロッパでは、七千万人もの人々がこの病で死んでいったからです。しかし、やがてペスト菌には特効薬が開発されました。ストレプトマイシンです。この抗菌剤の登場により、ペストは治る病気になりました。人類はとうとうペストを克服したのです。
しかし近代に入ると別の伝染病が人類を苦しめました。結核です。明治大正期の日本人の平均寿命は、45歳です。その理由は子どもの死が多いということと、もう一つ、結核の蔓延であったのです。樋口一葉も正岡子規も石川啄木も滝廉太郎も、日本を代表する文化人たちはみんなこの結核という病気で亡くなっていかれたのです。それでこの病は、肺病とか労咳とか言われて、死とイコールに結びつけられて考えていました。
しかし、この結核も抗生物質の登場で治る病気になったのです。人類はこの医学の発展により、結核をも克服したのです。

医学でも死は滅ぼせない

しかし、21世紀の私たちにはまだ恐るべき病気がありますね。ガンです。しかしこのガンですら、特効薬が開発されつつあります。オプジーボという薬ですね。
これは免疫細胞をフル回転、ノンストップ状態にする薬です。劇的に効果が出始めたので、今年、保険適用になるそうです。人類はガンすらも克服することができるでしょう。やがてその日がやってくることでしょう。しかし、気になることがあります。死はそのまま残ってるということです。
ペストも結核も、そしてガンもやがて克服されるでしょう。しかし、死は克服されていないのです。なぜなら、病気が死の原因ではないからです。死を滅ぼすためには、死の原因である罪を滅ぼさなければならないのです。そして医学も死を滅ぼすことはできないのです。

キリストが死を滅ぼされた

第二に、神は私たちに代わって、イエス・キリストに罪と死を滅ぼさせて下さったということです。
キリストは人となった神です。したがって、全く罪のない人なのです。そして罪がない人であるが故に、罪人の代わりに死ぬという資格があったのです。キリストはあなたのすべての罪を背負って、十字架にかかり、あなたの受けるべき罪の裁きを一つ残らず受けて下さいました。
そして息を引きとった後、墓に葬られ、三日目に死を突き破って復活し、死を粉砕して下さったのです。そして、誰でもこのキリストを自分の救い主として信じるなら、その人が死んだ後、その人の魂を天国に迎え入れて下さいます。それだけではなく、やがてその人の肉体をもよみがえらせて下さると、約束されているのです。
キリスト信じる者にとって、死は少しも恐れるべきものではありません。それはさなぎからチョウになるようなもんなのです。

死の先の希望

死生学で有名なアルフォンス・デーケンという教授は、その講義の中で毎年、二つの演習を学生たちに取り組ませます。
第一は、「もしあと半年の命しかなかったら、残された時間をどのように過ごしますか。」という問いに答えることです。
第二は、「身近な人にお別れの手紙を書く」ということです。第一の問いに向き合うことは、自分の人生で本当に大切なものが何であるのかを私たちに考えさせます。第二の問いに向き合うことは、身近な人が自分にとってどんなにかけがえのない存在であるかということをわからせてくれることです。
しかし、これが演習ではなく、自分の人生の本番であるならば、多くの人は落ち着いて考えることはできないのではないでしょうか。死の向こうに希望を持つ人だけが、冷静に人生の締めくくりを考えることができるのです。そして死後の世界の天国が、ぼんやりした幻のようなものではなく、確たる現実の希望であるということは、キリストの復活によって証明されているのです。
どうぞあなたも、イエス・キリストがあなたの罪のために死んで下さったこと、次に、墓に葬られたこと、そして三日目によみがえられたことを信じ、イエスを自分の主とします、と告白して下さい。救われます。死後の裁きから救われ、永遠のいのちをいただくことができます。心からお勧めしたいと思います。

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