「人生を変革する神のことば聖書」
しかし、こんな博物館が完成するのを待たなくても、今すぐ手に取って読める失敗博物館を、今日紹介したいのです。それは、聖書です。聖書の中には、嫌と言うほど、人間の失敗が出てきます。と、同時に、失敗者を立ち直らせ、再生し、救済する神が登場するのです。この失敗者である人間と、救い主である神との歴史の物語、これこそが聖書なのです。
エレミヤ書29章11,12節
さて、聖書の中に次のような言葉があります。
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。--主の御告げ--それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
これは、神を捨てて、欲望中心に生きた結果、国が滅んでしまったユダヤ民族への言葉です。たとい人が神を捨てても、神は人を見捨ててはおられない。いや、それどころか神様はどん底の人間に再生のためのチャンスを与え、また再生させるための計画と目的を持っておられる、そしてその計画が実現するように神は忍耐深く働き続けておられる。この神様の存在を信じ、祈り求めるならば、創造主はその計画を成し遂げてくださるというのです。無人島に残されたある水夫
今から300年ほど昔、スコットランドの水夫にアレクサンダー・セルカークという人がいました。
彼は海賊船の乗組員でしたが、船長と対立し、無人島にたった一人置き去りにされてしまうのです。人間は彼以外誰もいないという絶海の孤島で、彼は4年4か月にわたって生き延びるのです。
初めのうちは孤独と後悔で発狂しそうになっていたんですが、その彼が正気を保って、むしろまともな人格に変えられていくのです。そしてその理由は実に聖書にあったのです。
彼は島に残されたとき、銃と火薬とナイフと聖書だけを持っていたのです。取り残された彼はずっと海外の近くの洞穴で貝を食べながら生活していました。というのは、森の奥の方から聞いたこともないような獣の雄叫びが聞こえて来て、それが恐ろしくてたまらなかったんです。
しかし、ある日のこと、何千頭というアシカの群れが海岸に上陸して来たんです。繁殖期に入ったんですね。セルカークはアシカの大群に押し流されるように奥地奥地へと移動するしか無くなってしまうんです。しかし、そのことによって森の中に豊富な食糧を見つけることになるのです。
以前この島に来た船員たちが放ったヤギが野生化していたのです。このヤギを捕まえ、乳を飲み、肉を食べ、皮で服を作って人間らしい生活を始めることができるようになるんです。
聖書は人に語りかける
しかし厄介なこともありました。ヤギ同様、外部から持ち込まれたネズミが、夜な夜なセルカークをかじりにやって来るのです。途方に暮れた彼が頭を抱えていると、ネズミと同じく持ち込まれて野生化したネコを見つけるんですね。このネコをペットとして飼いならして一緒に生活することで、彼は熟睡できるようになるのです。
持っていた弾丸が底をついてからは、素手で獲物を捕まえる以外にはありませんでした。ある時とびかかったヤギもろとも、彼は崖から転落し、24時間の間、意識不明の重傷を負います。かなりの高さのある所から落下したんですね。しかしそれにもかかわらず、奇跡的に脊椎損傷がありませんでした。なぜなら偶然にも同時に転落した獲物が下敷きとなり、地面と直撃することがなかったからです。
彼は考えました。アシカの大群に追いやられたこと、ネズミにかじられたこと、崖から転落したこと、これらすべては自分にとっては最終的には益になっているではないか、想定外のピンチが訪れるたびに、かえって新しいチャンスの扉が開かれているではないか。これは全くの偶然で片付けることができるだろうか。人生には何か、私を生かそう生かそうとする力、良い方向に持って行こうとする力、いや、私が正気を保てるように計らう力以上の方、人格ある存在が私を見守っておられるのではないか、と考えるようになるのです。
そして彼は聖書を読み始めるのです。最初は英語を忘れないようにするために拾い読みする程度でした。しかし、ある時からこの聖書が何千年も前に書かれた書物でありながら、天涯孤独の自分に、個人的に語りかけて来るものに変って行くのです。なぜなら、何千年前の人間も自分と同じく自己中心で不敬虔でわがまま放題であったのに、その人間に向かって悔い改めのチャンスと救いを示しているのが聖書のメッセージであったからです。
創造主は私たちに憐れみ深い方
私たちは別に無人島にいる訳ではありませんね。しかし、人々の中にいながら、理解されず、対立し、途方に暮れ、生きていくのに先が見えなくなるというようなことがあるいはあるかもしれません。
しかしそれらの苦難は私たちの肥大化したプライドを打ち砕くためのものであるかも知れないのです。神から離れても何一つ困らない世界を作り上げようとする人間が、神様の必要性を痛感するのは、多くの場合行き詰った状況にいるときであるからです。
そして、途方に暮れた人間に対して、私たちの造り主は実に憐れみ深い方なのです。人間の永遠の将来を天国という希望に変えるために、神はご自分のひとり子イエス・キリストをあの十字架の上で死なせてくださった。そして3日目によみがえらせてくださったのです。キリストを信じるということこそは人生の転機なのです。
キリストは救い主
セルカークは4年4か月後、イギリスの船に助け出されます。そのとき彼は髪の毛は伸び放題、爪も伸び放題、真黒な顔に自分の作った革製の上着と半ズボンを身に着け、そして涙をポロポロ流しながら同じ言葉を繰り返し繰り返し言っていたそうです。
"Help me. Help me." 助けてくださいという意味です。
キリストは救い主です。どうぞあなたもこのキリストに助けを求めて祈って下さい。キリストはあなたを罪から救ってくださる方です。心からおすすめしたいと思います。