新約聖書
「それで、彼はすぐにイエスに近づき、『先生、お元気で』と言って、口づけした。イエスは彼に、『友よ、何のために来たのですか』と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕らえた。」
(マタイ26:49-50)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.815 2015年11月8日

「イエス・キリストの精神鑑定」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
 先日、NHKの番組で、アメリカで活躍する介助犬の特集が放映されていました。
 日本では介助犬というと、盲導犬のイメージですね。しかしアメリカではさまざまな介助犬が人間の生活可改善に役立っているというのです。特に注目されていたのは、鋭い嗅覚を活かしたてんかん察知犬です。てんかんの患者さんに発作が起こる際、よく、金属的なにおいがすると言われます。介助犬はこのにおいを発作前に察知し、吠えることで注意を促し、患者さんや周りの人に知らせてくれるっていうんですね。他にも血糖値の急激な低下を察知する糖尿病察知犬、アレルゲンのある食物を嗅ぎ分けるアレルゲン察知介助犬、がんの早期発見をにおいで察知するがん察知犬までいるんですね。

神を見ることはできない

 ところで、どうして犬には分かることが、人には分からないんでしょう。それは、人間の持っている嗅覚は、犬のそれと比べると、かなり鈍感だからです。嗅覚が鈍いと、においがあってもそれに気づくことができないんです。これは嗅覚以外についても言えることです。人間は、自分の五感の能力を超えた範囲については反応できないんですね。ですから、見えないからいない、聞こえないから存在しない、触れないから無いとは一概に言えないのです。
 特に創造主なる神様については、それは言えます。神は霊的な存在であって、物質的な存在ではありません。ですから、物のように見えないのです。
 しかし、あなたの心や魂が見えなくても確かに存在しているように、神は見えなくても確かに生きておられる方なのです。この見えない神が、人となってこの世に下ってきてくださいました。この方こそイエス・キリストです。

イエスを分析した精神科医

 ところで、アメリカに、精神科医で世界的に著名なアウグスト・クリという方がいらっしゃいます。30冊もの著作は、世界中で400万部以上売れています。彼の学識と見識は、世界60カ国以上の人々に影響を与えています。そして彼は長い間、徹底した無神論者でした。神なんかいない、宗教は人間の脳が生み出したイメージに過ぎないと結論付けていました。そして人間の頭が神を作り上げたように、歴史上の偉人と言われる人々は、従来の思想を打ち破る考えを世の中に打ち出してきたので、偉人の精神分析をすれば、偉大な思想が生み出される秘訣が分かると考えたのです。
 そして彼は、研究材料として、イエス・キリストを選んで、イエスを精神的に分析しはじめたというのです。彼はキリストの生涯を記録した福音書をまず、よく読んで行くことにしました。その結果、彼は困惑し、驚き、そしてイエスに魅了されていくようになり、ついにはこのような人格は神でない限り、ありえないと結論を出すようになったというのです。

イエスは弟子に裏切られた

 特に彼が注目したのは、イエス・キリストがイスカリオテ・ユダという愛弟子のひとりから口づけをもって裏切られ、敵の手に引き渡される場面です。ユダは600人ほどのローマの軍隊を引き連れてやってきます。そして、どの人物がイエスかと知らせるために、イエス・キリストに何度も何度も口づけを繰り返します。口づけする相手がイエス・キリストだと前もって兵士たちに知らせておいたからです。
 聖書には、こう書いてあります。

それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生、お元気で」と言って、口づけした。イエスは彼に、「友よ、何のために来たのですか」と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕らえた。

イエスの弟子の裏切りへの反応

 クリ博士は、三つのことに注目しました。
 第一に、裏切り行為に対するイエスの反応です。3年間寝食を共にし、愛を注いできたユダが、敵に引き渡す裏切り行為をカムフラージュするために、白々しくも口づけであいさつします。この、味方のふりをしながら、自分を死に引き渡す役を買って出た人物を見たイエスの口から最初に出た言葉は、「友よ」という言葉でした。自分に対して危害を加える側に立った者に、惜別の情を堪えきれずに、「友よ」と呼びかける人格に、クリ博士は驚愕したというのです。

フロイトは裏切った弟子をゆるせなかった

 ところで、精神分析の世界で、フロイトという人は創始者で巨人です。夢と言葉で人間の精神を裸にすることを考え出した人物です。大変優秀で聡明な人ですね。
 そのフロイトは、自分の弟子であるユングとアドラーが、自分の考えとは別の学説を立てたとき、師である私を否定したと立腹し、2人を精神医学会から追放してしまうのです。2人の弟子がしたのは、フロイトを死に追いやるようなことではありません。学者として自分の考えを表明しただけです。しかし、弟子に裏切られたととったフロイトは、どうしてもゆるすことができなかったのです。
 しかしイエスは、自分を死においやる弟子を、最後の最後まで愛し尽くされたというのです。

イエスはユダに呼びかけられた

 第二にユダへの呼びかけです。「何のために来たのですか」。これがイエスの問いかけでした。
 イエスはユダに結論を言うのではなく、自分の心と向き合わせて、自分で考えさせようとしています。これは師が弟子に対して導く手法ですが、この状況下で、全くパニックにならずに、ユダの心に呼びかけておられるのです。裏切られる悲しさは当然イエスの中にもありました。しかしそれ以上にユダの将来を案じているのです。
 クリ博士は、「人類歴史上、自分を裏切り、反逆した者に対し、これほどまでの敬意を示した人物を、私は他に知りません」と述べておられます。

イエスはあなたのために十字架についた

 第三にイエスは群衆の手にかかって捕らえられたということです。福音書の記事を読むと、イエスは不思議な力で興奮状態の集団から逃れています。また幾度となく、人々の面前で奇跡を行いました。つまりイエスは、逃れようと思うなら、それをおできになる力をお持ちであったのです。しかし、そうなさらなかったのです。
 つまり、キリストは捕らえられたのではなく、捕らえられてくださったのです。十字架につけられたのではなく、つけられてくださった、いや、自らの意志で十字架にかかりに行かれたのです。いったい、何のためでしょう。あなたの罪を神の前に背負って、身代わりのさばきを、あの十字架の上で引き受けるためです。
 あなたを愛し、あなたに罪のゆるしと永遠のいのちを与えるためには、どうしても罪のないキリストが十字架で死ぬ必要があったのです。この方には十字架にかかる義務はありませんでした。しかし、あなたを惜しみ、あなたを愛するあまり、十字架にかかってくださったのです。そして罪のつぐないを成し遂げたあと、死を滅ぼすために三日後によみがえってくださったのです。
 どうぞこのイエス・キリストをご自分の救い主として信じてください。救われるのです。

イエスをだけを見て決断する

 先日、私は「頭のいい人は成功しない」という本を読みました。要約すると、「頭のいい人」というのは、先々を見通し、賭けをしない、結局アクションを起こさないというんですね。スイスの哲学者アンリ・アミエという人もこう言っています。「決心する前に完全に見通しをつけようとする者は、決断できない」。
 自分を見ていたら決断できません。周りの状況を見ていても心がくじかれることばかりです。ただイエス・キリストだけを見上げて飛び込めば良いのです。
 どうぞイエス・キリストをご自分の救い主として信じ、受け入れてください。心からおすすめしたいと思います。

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