旧約聖書
「キ私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」
(詩篇139:15-16)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.813 2015年10月25日

「DNAの作者なる神」

おはようございます、高原剛一郎です!

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 ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんは、プロになる決心をする上で、自分に決定的な影響を与えてくれた方がいるそうです。それは高校時代、個人レッスンしてくださった徳永二男という先生です。当時、N響のコンサートマスターを務めるあこがれのヴァイオリニストでした。高校三年の時、大学でもバイオリンを続けるかどうか迷った末に、先生に相談すると、こうおっしゃったそうです。「別にどちらでもいい。でもやめると決める日までは、練習を続けてください。悩んでる間、練習を一日でもやめると、それだけみんなとの差は開くだけだ。あとからやりたいと思っても、手遅れになる。練習だけは気持ちと無関係に途切れがあってはなりません。」というアドバイスに彼女は目が開かれたそうです。
 それほどまでにシビアな世界なのに、自分はどれだけ全力を注いできただろう、と甘えが打ち砕かれたっていうんですね。もう一つの金言は「聴いた人の心に残って、その人が家に持って帰れるような音を出す。それがプロです。」ということばです。以来、これが彼女の練習に向かうための原点となっているんだそうです。

無神論学者が書いた本「神はたしかに存在する」

 さて、この番組の使命もそれと少し似ています。音質や音色を楽しんでもらう番組ではありませんが、聴いてくださるあなたの心に、神のことばが残って、キリストに向かっていただくために、お話しております。そして今日、神について聴いているうちに長年の考えが溶かされ、ついに神を信ずるに至ったある無神論哲学者を紹介したいと思うのです。
 その人物はアントニー・フルーというイギリスの無神論学者です。彼は20世紀最大の無神論哲学者として、欧米では非常に有名な方なんです。15歳の時、無神論者になる決意をし、1950年に発表した神否定論文によって、言論界にデビューして以来、世界で最も影響力のある無神論者として、その名を欲しいままにしてきた筋金入りの人物です。ところがその彼が、81歳の時、考えを180度変えてしまいます。多くのクリスチャンたちと公開討論を重ねていくうちに、彼はこの世界を造られた創造主がおられるということを認めるようになりました。そして2004年に本を書いたのです。そのタイトルは「神はたしかに存在する」なぜ世界で最も悪名高い無神論者が考えを改めたのか、という本です。それ以前に彼が書いた30冊の本は、どれも無神論の本ばっかりで、多くの人々はそこから大きな影響を受けてきたんです。では、彼はなぜ、考えが変わったんでしょう。

DNAの存在が神がいる根拠

 その一つは、生命の設計図である、DNAの存在であったというんです。DNAに書き込まれている情報の複雑さは、知性の関与なしに全くの偶然だけで生じると考えるのは、とてもありえないと、彼は判断したんです。あるインタビューアーが「あなたは転向したんですか。今までの考えを否定するのは人生の否定や矛盾につながるのではありませんか。」と質問しましたが、それに対して彼は「どのような方向に行くとしても、それは根拠のある方に従っていく、という私の人生の態度においては、矛盾していません。」と答えています。

DNAは31億対の塩基の組み合わせ

 ところで、DNAとは、生物の全遺伝情報を保存する究極のメモリーです。このDNAが二重らせん構造になっていることを発見したのは、ジェイムス・ワトソンとフランシス・クリックという人です。この二人はこの発見によってノーベル賞を受賞しています。このDNAは、ねじれた梯子のような構造してます。人間のDNAの場合、その梯子の横棒にあたる部分が31億段ついています。この横棒は4種類の塩基の組み合わせでできていますが、この31億対の組み合わせ階段こそは、人体の全情報を暗号で書き込んだ設計図なんです。

偶然でできる文章

 ところでみなさんは、ポケットに入れっぱなしの携帯電話がメール機能になっていたために、めちゃくちゃな文面になったということを経験したことはありませんか。「####」とか、「かかかかか」とか「ららららららら」とか、偶然キーに当たった文字がめちゃくちゃに並んでるってことですね。偶然に任せた文字配列は、意味のある文章にはならないんです。しかし、受信した文章が「おはようございます。髙原剛一郎です。」なら、私からのメールだとわかりますね。たった23文字のこの配列でも、これを偶然に任せて文章化するということはまず不可能なことなのです。

創造主である神がDNAを書かれた

 ところで先日、お笑い芸人、又吉直樹さんの小説が、芥川賞を受賞しました。「火花」というタイトルの本です。この「火花」という作品は、原稿用紙230枚、約9万6千文字で書かれた作品です。この9万6千の文字の配列は、又吉さんが無作為にキーボードをパカパカたたいていたら、偶然こんな内容の小説になった、というのでは、ありません。練りに練り、推敲に推敲を重ねて、彼の知性によって書かれた9万6千の文字です。だからこそ、読ませる作品となってるんですね。
 9万6千の文字ですら、偶然に配列して小説になることが考えられない、としたら、ましてや31億の文字が偶然に配列して、DNAができたというのは、もっともっともっと考えられないことではありませんか。それは、たまたま、もののはずみでそのような配列になった、というより、知的設計者がそのように書き込んだ、と考える方が合理的判断なのではないでしょうか。そもそもDNAというのは、情報保存しているメモリーのようなもんです。記憶媒体そのものが情報を集めて収容するということは、ふつうに考えて、起こらないことです。誰かが書き込んだからこそ、媒体には情報が記録されているのです。  このDNAというメモリーに情報を書き込んだ知的存在がどうしてもいなければならないのです。その情報書き込んだ方こそは、創造主なる神なのです。

神はあなたのDNAをすべて書き込まれた

聖書にこういうことばがあります。

私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、
私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ、
あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のために作られた日々が、
しかも、その一日もないうちに。

 ここでは、人間が生まれて来る前に、子宮の中で神が私たちのことを、仕組まれた、と表現されています。この「仕組まれた」と訳されている元々のヘブライ語は「ラカム」ということばなのです。そしてこれは「刺繍」とか「編み込む」とか「まとめあげる」或いは「こよりをくゆらす」という意味があるんです。こよりをくゆらすためには、二本の糸をねじる必要があります。このねじられた刺繍にすべてが書き込まれて、私が生まれ来た、というのです。つまり、DNAという二重らせん構造に私の肉体的情報が書き込まれた方は、神なのだ、という宣言なのです。
 どうぞあなたも、あなたの造り主を認め、この方に、聖書をわからせてほしいと、祈ってみてください。必ず応えられます。心からお勧めしたいと思います。

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