新約聖書
「キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」
(ヘブル9:25-28)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.812 2015年10月18日

「罪の完全解決とキリストの再臨」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
 さて、先日私の友人が、古本屋さんに入ったときのことです。そのお店は、全国にチェーン店を持つ大規模な古本屋さんです。彼がトイレに行こうとしたとき、目立つ字で張り紙がしてあるんですね。そこには、「トイレに行かれる方は、店員に一声かけてください」と書いていあったのです。これはおそらく、万引き対策なんですね。それで、近くにいた女性店員に、「ちょっとトイレに行っていいですか」と訊いたところ、面倒くさそうな顔をして、「別にいいんじゃないですか」と答えたというのです。実に愛想がない。行く前に訊けというから訊いたのに、「別にいいんじゃないですか」とは何という言い草だと、彼はトイレから出た後も腹の虫がおさまらないので、一言言ってやろうと思ってレジまで行ったそうです。しかしそこまで行って、言うのを止めました。
なんと、彼女はお客さんだったのです。たまたま店のユニフォームとよく似た服装をしてたので、つい店員だと間違ってしまった、と言うんですね。

この世界は人のためにつくられたのではない

 彼女が無愛想だったということに、友人は憤慨していたんですが、よくよく考えると、見知らぬ男性が近づいて来て、いきなり「トイレに行ってもいいですか」と訊かれたら、そういう態度をとるのは無理もないことなんです。相手が無礼なのではなく、自分の方が、訊く相手を間違っていたんですね。そして、それが分かった瞬間に、怒りやイライラが、恥ずかしさに取って代わったというのです。これを、パラダイムシフトっていうんです。今までの味方や世界観が、劇的に変化する。これを、パラダイムシフトというのです。 実は聖書は私たちに、パラダイムシフトを起こす神のことばです。生きてる限り、私たちは毎日毎日、腹の立つことや、イライラすることがよくありますね。その中には、正当な怒りの場合もありますが、同時に、自分の勘違いによる怒りもあるかも知れません。
聖書によると、この世界は人間のために造られたものではありません。ましてや、私個人のために造られたものではありません。ですから、私の思い通りにならなくても、何の不思議も無いのです。この世界は、神のために存在しているのです。そして神は、ご自分の方法で、この不可解な世界を正すために、キリストをこの世に遣わしてくださったのです。

とある傲慢な男

 クリスチャンの女流作家、三浦綾子の作品に、『積木の箱』という作品があります。これは、三浦作品には珍しくどろどろ形というか、昼メロ系といいますか、まあ読んでいて実に胸がムカムカする作品です。というのは、人間の中にある獣のような性質に焦点を当てている作品なんです。羞恥心というものを一切持たなくなった人物のことを描いてるんですね。その人物は、北海道ナンバー1の大富豪で、材木商としても、ホテル王としても、大成功を収める超やり手の実業家です。そして彼はあちこちに愛人を囲ってるんですが、それをまったく隠そうともしません。社会的に成功した男は、何をやっても許されるのだと考えているからです。
さて、この男に、一郎という名の中学二年生の息子がいるんです。この一郎には、十歳ほど歳の離れた美しいお姉さんがいました。ところがある日、この姉と思い込んでいた女性が、父の愛人だと分かってしまうのです。つまりこの男は、愛人を自分の家に住まわせてるんですね。そしてそれを、一郎以外の家族全員が知っているけれども、しかし口をつぐんで黙ってる。この傲慢極まりない男の名前は、佐々林豪一というのです。実は私の名前は高原剛一郎です。字は違いますが、読みが同じ。すっごい嫌な奴と同じ名前なのは、嫌な気分ですね。
とにかく、この豪一の蒔いた種で、周りの人々が次々と不幸な目にあっていくのですが、原因をまき散らしている本人は、まるで平気なんです。それで、この小説を読み終えた愛読者、ファンが、三浦綾子に手紙を書いたそうです。「三浦先生、あの豪一という奴はなんですか。悪行の限りを尽くしていながら、何一つ罰を受けずに、のうのうと暮らし、成功者として、皆からちやほやされて生きてるなんて。私はそういう結末を読んで、腹わたが煮えくり返りました。それで三浦先生にお願いが一つあるんです。ぜひ、積木の箱続編を書いて、その中で、悪を行った者には必ず罰が下り、不幸になるようにしてください。小説の中で、佐々林豪一に罪の償いをさせてやってください」。まあ、熱烈な手紙がやって来たそうです。

三浦綾子氏が薦めた本 聖書

 ところが受け取った三浦綾子はこのように返事を書いたそうです。
「私は続編を書きません。その代わりに、この本を読んでください。この本の中には罪に対するすべての解決が書いてあります。すなわち、たとえ罪がこの世でさばかれなかったとしても、死後に公正なさばきが必ずある。そして、さばきを受けて当然なのに、さばきを受けずに生きて来れているのは、実は佐々林だけではなく、私たちも、程度の差こそあれ、似たり寄ったりであるということ、そしてそのように、今まで私たちが罪を犯しながら、すぐさま滅びることなく、今まで保たれているのは、神が罪人をさばくことよりも、罪人をゆるすことをより一層願われた方であるということ。そして、その罪のゆるしの根拠はイエス・キリストにあるということが書いてありますので・・・」。
三浦綾子氏が薦めたこの本とは何でしょう。聖書です。

この世界の後に次の世界がある

 この聖書の中に次のようなことばが書いてあります。

キリストはただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

この世界の理不尽を見ると、確かにいたたまれなくなるような気持になります。しかし、この世界の後に、次の世界が待っているとしたらいかがでしょうか。この世界ですべての帳尻合わせがあると考えていると、確かにこの世界は不公平、不公正のように見えてまいります。しかし、すべての人が神の前に立って自分の罪の弁明をしなければならないときが必ずやって来るのです。

再びキリストが来られる

 というのは、先ほど読んだ聖書の箇所の中に、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と書いてあるからです。神のさばきは、死後にやって来るのです。しかし、キリストはその罪のすべてをご自分で背負って帳消しにするために一度この世に来てくださったのでした。そればかりか、キリストは私たちの罪を全部負って身代わりの刑罰を受け、死んでよみがえってくださっただけではなく、また再び来てくださる方なのです。この世界から、キリストの救いを受け入れた者を引っ張り上げるだめに、再びキリストは来られます。そして世界からクリスチャンが引っ張り上げられたとき、世界は人類史上最も困難な時代に突入すると、聖書は預言しているのです。キリストがやって来る瞬間はいつなのか、誰も知りません。しかし私は、遠い将来ではないと信じています。
どうぞあなたも、このイエス・キリストを救い主として受け入れ、神に会う備えをなさってください。心からお勧めしたいと思います。

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