新約聖書
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
(ローマ6:23)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.811 2015年10月11日

「キリスト・イエスによる救い」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
 さて、たいていのお宅の台所に、サランラップがおいてあります。とても便利なものですね。ところが、このフィルム状のラップはもともと軍事物資として使われていたんです。第二次世界大戦のころ、武器・弾薬にとって最大の敵は、水を被ることでした。湿ってしまうと、いざというとき役に立たなくなるんですね。それで、防水対策として用いられたのがこのフィルム状のラップだったのです。  ところが、戦争が終わると需要が大幅に減ってしまいます。そんなある日のこと、ラップ工場に勤務していたラドウィックという人とアイアンズというふたりの係長が、それぞれ奥さんを連れて近所の人たちとピクニックに出かけたんです。そのとき、ラドウィックの奥さんであったサラという女性は、サラダをラップでくるんで持ってきたんですね。ラップから取り出したサラダは新鮮で、きれいで、とても見栄えがしたんです。いっしょに行った主婦たちは、私たちもぜひ手に入れたい、と大騒ぎになったっていうんですね。  ラドウィックとアイアンズは翌日、工場長に会って新しいラップの使い道を提案し、そうして、受け入れられたんです。このふたりの係長の奥さんの名前は、サラとアンでした。それで、ふたりの名前を取って「サランラップ」と名づけたっていうんです。

創造主から見たあなたの姿

 私は、男性と女性の視点の違いについて大いに考えさせられました。男性が見ると軍事物資ですが、女性が見るとキッチン用品なんですね。見る人によって、同じものが別の価値のものに見えてくるんです。これは、人間についてもいえることだと思います。同じ人間を見ても、見方によってずいぶん違った評価になると思うのです。過激なエコロジストから見ると、人間は地球環境を汚す最大の害獣です。ブラック企業の経営者から見ると、人間っていうのは使い捨ての駒にしか過ぎません。では、人間を造られた神様の目に、人はどのように映っているんでしょう。非常に高価で尊い、最高傑作として神はあなたをご覧になっているのだ、と聖書は語るのです。しかし、本当に人間が神様の最高傑作であるならどうして、人間社会の中には、ジャングルの中の世界にも見当たらないようなおぞましい、残酷なことが横行しているんでしょう。聖書はこのように語っています。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

聖書が語る罪

 今日はここから、3つのポイントでお話しいたしましょう。
 第一に、人間は罪によってあるべき姿から転落した存在である、ということです。ここでいう罪というのは、神から離れることを意味しています。もっといったら、神に対して「あなたは要らない!」という態度を取ることを、聖書は罪と語っているんですね。ところで、あなたは失恋した事がありますか。異性にふられる、っていうことは大ショックですね。でも、ふられるっていうのは、私のパートナーはあなたではない、というだけのことで、別に、自分の存在そのものを否定されたわけではありません。それでもショックなのは、愛している人からの言葉であるからです。子供にとって、いちばん聞きたくない言葉とはいったい何でしょう。親から「産まなければよかった」、「あなたは要らない子だった」、「あなたなんか欲しくなかった」という言葉であるそうです。
 自分の存在の根源に近い人から自分の存在を否定されてしまったら、何を頼りに自分を支えたらよいのか、わからなくなってしまうからです。存在するものに対する最大の侮辱、それは「存在するな」という言葉です。もし、あなたがそんな言葉を自分が大切に思っている人から言われたら、どんな気持ちになりますか。もしかしたら、死にたくなるかもしれません。自分が言われたら死にたくなるような言葉と態度を、自分の造り主である神に対して言うこと、それを聖書は罪だと語るのです。

死が人間に入り込んできた

 第二に、神との関係を切った結果、人は死ぬものとなった、ということです。
 先日、人間の死について興味深い統計を読みました。実は、飛行機の事故で亡くなる方はほとんどいないんです。というのは、百万回のフライトの中で、事故が起こる確率は0.4件なんです。これは、毎週飛行機で往復するとしても、その人が事故に遭うのは3900年に一回、という低い確率に過ぎないんですね。そして、実は飛行機よりも電車の事故のほうが多いんです。駅での転落も含めると、毎年300人の方が鉄道関連で亡くなっているからです。しかし、もっと高い確率で危ないのは自動車です。毎年4000人が命を落とされているからです。
 では、一生、家から一歩も出ずにいたら安全なんでしょうか。実は、日本では家の中で亡くなられる方が毎年13000人もいらっしゃるというんです。いったい、家の中のどこが危険なんでしょう。第一位は風呂場です。約4000人の方が、毎年、自宅のお風呂で溺死されている、というのです。第二位は、食卓です。誤嚥や、餅を喉につめて、食卓で食事中に亡くなる方が年間3900人もいらっしゃるのです。第三番目は、自分の部屋です。つまずいて倒れて亡くなる方が、1400人おられるというんです。つまり、家の中に安全な場所はない。もっというなら、家の外に出ようが、家の中にずっと閉じこもっていようが、人は死を免れることはできないのです。
 なぜでしょう。私たちの命の中に死がプログラムされているからです。そしてこの死は、命の作者である神から離れた結果、後から、人間の中に入り込んできたものなのです。

神が問題の解決を示してくださった

 第三に、この罪と死については、キリストによって解決がある、ということです。いったい、どんな解決なんでしょう。全く罪のないイエス・キリストが、人間の罪を背負って、罪の結末である死と刑罰を身代わりに引き受けて下さったことによる解決です。ところで、よいことをして受ける報いのことを、ごほうびといいますね。多くの宗教では、よいことをして、人は天国に行けると教えるようです。しかし、人は良いことをしても、既にしてしまった罪を消し去ることにはならないのです。悪いことをして受ける報いのことを、刑罰といいます。しかし、キリストは悪いことを何ひとつなさらなかったのに、刑罰を受けて下さいました。それは、悪いものであった私たちがよい報いをいただくためであった、と聖書は証しするのです。この、受ける資格のなかった罪人に与えられる、神様の愛による働きのことを、聖書は「恵み」と語っています。どうぞ、あなたの代わりにあの十字架の上でいのちを捧げて死に、そして死後3日目によみがえったキリストを信じ、神様の一方的な恵みを受け入れ、永遠の命をいただいて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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