新約聖書
「イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。』ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。」
(ルカ19:5-6)

Default Text

「聖書と福音」高原剛一郎

No.810 2015年10月4日

「ありのままのあなたを愛する神」

おはようございます、慶相龍です!

カット
 アメリカにカール・ロジャースという臨床心理学者がいました。主にカウンセリングの世界で功績をあげた人です。同時に、いくつかの名言を残したことでも知られています。
 彼の名言を一つ紹介しましょう。「私は、あなたを愛しています。なぜなら、あなたがあなただから」。彼のことばは、イエス・ キリストの愛を思い出させる言葉です。

あなたがあなただから

 今日は、あなたがあなただからという理由で、ありのままのあなたを愛しておられる方、イエス・キリストについて、3つことをお話ししたいと思います。
 まず、聖書のみことばです。

イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。

イエスはザアカイを呼ばれた

 第一番目に、イエス様はあなたを愛し、あなたの名前を呼ぶ方です
 ザアカイはユダヤ人でした。しかし、当時ユダヤを支配していた ローマ帝国に雇われて、取税人として人々から税を徴収していました。取税人は規定以上の税を徴収して私服を肥やしていましたので、裏切り者の犯罪者としてユダヤ人からとても嫌われていました。ザアカイは取税人たちのかしらでしたのでなおさらです。そんな彼の町を、イエス様が通られたのです。
 ザアカイは背が低かったので、群衆に邪魔されずにイエス様の姿を少しでも見ようとして、木に登りました。するとイエス様が彼の所で立ち止まり、「ザアカイ」と名前で呼びかけられたのです。神であるイエス様は、初対面のザアカイの名前をご存知だったのです。

あなたはイエスに呼ばれている

 アメリカのテレビ番組で、「ホームレスの男性が酒を持って道で倒れていたら、人はどのような反応をするのか」という実験をしました。助けようとする人はなかなか現れませんでした。しかし、一人の女性が彼に近づいて、「あなたのことをビリーと呼ぶわね。ビリー、どうか目を開けてちょうだい、ビリー」と呼びかけ続けるのです。感動的でした。  番組に出ていた心理学者は、「彼女は、彼に名前をつけて人格的なつながりを持ったのだ」と言いました。誰も見向きもしない彼を憐れんで、人格的につながり、親身になって彼を励まそうとしたのです。
 イエス様はザアカイの名前を呼ばれました。孤独なザアカイを心から愛し、一対一の人格的なつながりをもって、親身になって彼に必要な恵みを施そうとされたのです。
 同じようにイエス様はあなたの名前をご存知です。そして今、心 からあなたを愛し、あなたの名前を呼んでおられます。あなたと一対一の人格的つながりをもって、親身になってあなたを救おうとしてお られるのです。

イエスは罪人を受け入れられる

2つ目に、イエス様はありのままのあなたを愛して受け入れる方です。
 イエス様は、「急いで降りて来なさい」とザアカイを招きました。実は、この時イエス様は、ザアカイの受けるべき罪の刑罰を、ザアカイの身代わりとなって受けるために、十字架で死ぬ覚悟をしておられたのです。罪のない神イエス様は、ザアカイを心から愛し、彼の罪を自らの命で解決する覚悟をもって、ありのままのザアカイを受け入れようと招かれたのです。
 ところで、ザアカイは金をだましとったから罪人だったのでしょうか。答えは「ノー」です。罪を犯したから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すというのが聖書の答えなのです。

罪は解決され、招かれている

 美達大和という文筆家がいます。実は彼は、2人の人を殺したために、終身刑に服しながら執筆活動を続けている人です。幼い頃の彼は「IQ、150の天才児」と呼ばれ、社会に出てからもセールスマンとして成功していたようです。そんな人がなぜ人を2人も殺してしまったのでしょうか。彼は後になってこんな告白をしました。「あまりにも自分の信念や考えに囚われて、悪いことをしてしまった」、「ここに入るまでは真っ直ぐ、正直に生きていると自負してたが、方向を誤ってしまった。」
 ところで聖書の語っている罪は、「的をはずす」という意味です。人間を造られた神様という的をはずし、神様を無視して自分勝手に生きることが罪です。いくら信念を貫いて正直に生きているとしても、神という的をはずして生きているなら、それは方向の誤った生き方で、罪です。
 その行きつく所は刑務所どころではありません。地獄で、永遠に続く破滅的なさばきなのです。
 それでは、罪人とは一体、誰のことなのでしょうか。私のことです。また、あなたのことです。イエス様は、罪人であるあなたをありのままで受け入れるために、罰を受けるべきあなたの身代わりとなって十字架で死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえられてあなたの罪を解決されたのです。
 その上でイエス様は、救い主であるわたしのもとに「急いで降りて来なさい」と、今、ありのままのあなたを愛し、招いておられるのです。

神様に必要とされ、喜ばれる生き方

第三番目に、イエス様は今日、あなたを愛し、あなたを必要としておられます。
 イエス様はザアカイに、「きょうは、あなたの家に泊まることにしてある」と言われました。これは、ザアカイの家に泊まらなければならない、あなたの奉仕が必要だ、というニュアンスのことばです。
 ザアカイはどのように反応したでしょうか。「急いで降りてき て、そして大喜びでイエスを迎えた」、と記されています。
 どのような喜びだったのでしょうか。聖書によると、ザアカイはその後、自発的に、自分の財産の半分を貧しい人のために使い、今までだまし取った物は四倍にして返すとイエス様に伝えました。ザアカイは、こんな自分をありのままで愛し、受け入れ、必要としてくださるイエス様のことをとても喜びました。また、イエス様に必要とされている自分を喜びました。そして、イエス様に喜んでいただくことが彼の喜びとなり、彼の人生の目的になったのです。
 人に必要とされ、人に喜ばれる生き方は素晴らしいものです。しかし、天地万物を造られた最高の主権者である神に必要とされ、神に喜ばれる生き方はそれを遥かにしのぎます。罪のない神に喜ばれるなどとは、罪人ザアカイにとっては夢に見る事すらおこがましいような素晴らしい生き方です。そんな素晴らしい生き方に招き入れられて、ザアカイは大いに喜んでいるのです。

神を喜び、神に喜ばれる、驚くべき人生

 かつて、ある若い女性が救い主イエス様を信じ受け入れて、このように言いました。神であるイエス様が、ありのままの私を愛し、ありのままの私を赦し、ありのままの私を受け入れ、ありのままの私を 必要としてくださることを知ったとき、こんな私だけど、私でよかったんだ、こんな私だけど生きてていいんだ、そう思いました。そう語る彼女は、嬉しそうに涙を流しながら、イエス様に従う決心をしたのです。ザアカイもこのような喜びの中にあったのでしょう。
 ありのままのあなたで良い、聖書はそう伝えます。今、イエス様はありのままのあなたを愛して、あなたの名を呼んでおられます。ありのままのあなたを受け入れるために、十字架で死に、葬られ、三日目によみがえられて、あなたの罪をきれいさっぱり解決した上で、あなたを招いておられます。そして、イエス様はありのままのあなたを愛し、必要としておられるのです。
 どうか、今日、救い主イエス様を信じて、神を喜び、神に喜ばれる、驚くべき人生をご自身のものとしてください。心よりおすすめいたします。

コーヒーカップ
時計
MILANの消しゴム