「唯一の救いの道イエス・キリスト」
本日、どうもこのようにお集まりくださいましてありがとうございます。
ところでみなさん、私はどちらかというと若者たちとね、話をする機会が多いんです。時々ね、あの、日本語でしゃべってるんですけどね、相手が何言ってんだかよくわかんない時ある。若者ことばってあるじゃないですか。用事があるから、っていうのをね「ベッケンバウアー」って言うそうです。「今日ひま?」「ごめん、ちょっと私、ベッケンバウアー。」ってこれね、別件があるっていう意味らしいですね。これね。まあ、あのメモしないでください、そんなことね。あるいはね、「ナウシカ」ってわかりますかね。これね、今しかないっていうのをね、「ナウシカ」っていうんです。おそらくそんなことばは私、これからの人生で使うことはないでしょう。が、どんなに俗語だ、若者ことばだ、と言われていても、人口のある一定以上の人たちが使い出すと、辞書に載るのです。
みなさん、あの、「切れる人」っていうことばあるじゃないですか。昔ね、「あの人は切れる人だよ。」って言った場合、誉めことばですよね。それはね、「彼の判断能力が刃物のようにするどい切れ味だ。彼はかしこい。彼の問題処理能力はするどい。」という意味で「切れる人」だったんですよね。ところが最近「あの人すごい切れるで。」と言った場合ね、「突然怒り出す人、そして怒り出した時に見境がなくなり、手がつけられなくなる人」というふうに、広辞苑に書いてました。俗語って書いてあってね、もうね、こんな分厚い国語の辞書に載るようになったんですね。「切れる」でも、どうして突然怒り出して、手がつけられなくなるようなそのような人のことを、切れるっていうんだろうか。ある社会学者の人はね、こういうふうに言いました。「この切れてる時にはですね、自分のまわりの人たちってのはね、自分とってどうでもいい人になってる。自分との関係が切れている人」まあ、ここから「切れる」っていうことばが出たんじゃないだろうか。深読み、と思ったんですけど、そうかもしれません。「切れる」でも、どうして突然怒り出して、手がつけられなくなるようなそのような人のことを、切れるっていうんだろうか。ある社会学者の人はね、こういうふうに言いました。「この切れてる時にはですね、自分のまわりの人たちってのはね、自分とってどうでもいい人になってる。自分との関係が切れている人」まあ、ここから「切れる」っていうことばが出たんじゃないだろうか。深読み、と思ったんですけど、そうかもしれません。
創造主から切れた状態の人間
みなさん、この「切れる」「関係が切れる」ってのはね、一般社会の中でも非常にやっかいな存在ですが、しかし聖書によるならば、すべての人は自分の造り主に対して、「切れる」人間です。すでに神さまとの関係を断ち切って、「創造主なんかいない。必要ない。」という人間観、人生観、世界観で生きている。この神から離れて、神から切れて、神との関係を断ち切って生きてる人のことを聖書は、罪と語るんですね。
お手元のプログラム用紙の中を開いていきますと、聖書のことば、みことばが出てきますね。ここをお読みいたしましょう。
「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」
と書いてあるんですね。
関係が切れるとは距離の問題ではない
実は今、国際宇宙ステーションにですね、油井さんという日本人宇宙飛行士の方がいらっしゃいますね。まあ、あの宇宙ステーション、密閉容器の中でね、みなさんあの、半年間ね、狭~い部屋から一歩も出たらあかん、って言われたら、もうそれだけで息が詰まりませんか。もう、これから半年間ね、このスタジオから出たらあかん。もうその瞬間に、ああ、なんかしんどいな、ってなるじゃないですか。宇宙ステーションなんか一歩外出たら、あ~ってなもんで、もうね、死の世界ですよ、これ。で、なんであんなところに長期間いるかっと言ったらね、実はね、火星に人間を送ろうとしているんですよ。で、火星ってね、行くだけで250日かかるんです。往復だけで500日、デン、だけで帰るわけないですからね。むこうでいろんな実験することでしょう。そうしましたら、火星に行ったらね、2年間、地球に戻ってこれないんです。その時に人間の肉体は、メンタルは、一体、どうなってしまうんだろうということで、どうしたらいいのか、ということが一つの実験目的になっているんですよね。
ところでみなさん、この国際宇宙ステーションにはテレビ電話がついてます。宇宙飛行士たちは、毎週一回、地球から4万メートル上のあの宇宙空間で、家族としゃべってるんですよ。つながってるので、遠いけど、近いんです。1週間に一回も口きかないという、そういうご家族あるんじゃないですか。宇宙のように遠くいても、つながってたら、近い。でも隣に座ってても、口きけへんかったら、遠いんじゃないですか。関係が切れてる、っていうのはそういうことです。
関係が切れると死をもたらす
神は私たちをお造りになった。この自然界のすべて生きとし生けるものは、神が支え、生かしてらっしゃる。しかし神がおられることの証拠は、満ち満ちていたとしても、その創造主なる神さまと私たちが関係を切って生きているならば、遠い存在なのです。そしてね、この宇宙ステーションと司令塔がもし切れたらどうなるだろう。今回ね、H-Ⅱロケットが補給物資を積んで、宇宙ステーションに向かったんですよね。何か宇宙ステーションでこれが足らない、あれが足らない、といった時にすぐに地球から対応して、それを補い続けることができる、命綱のパイプがあるから、彼らは宇宙空間の中でも生きていくことができるんですよね。もし司令塔との関係が切れたら、死、です。
それと同じように、実は私たちを生かしている、本当の命綱そのものである方、創造主なる神さまと関係が切れている人間は、80年90年100年は生きるかもしれません。しかし、やがて死にます。やがて死ぬだけではない、人間には一度死んで、死後にさばきを受けることが定まっている、と聖書は語るんです。この死と死後のさばきから、救うために、キリストはすべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになるためにこの世界に来てくださったのです。
身代りの死がいのちをもたらす
みなさん、アメリカって国はね、建国以来、200回戦争していますよ。その200回の戦争のうち、ほとんどは自国の軍隊を外国に送って戦う戦争です。しかし、自分の国の領土が戦場になった戦争がいくつかあります。その最大のものは、南北戦争なんです。その南北戦争の時にですね、ジョージ・ワイアットという人がくじ引きで徴兵されることになりました。ところが彼には奥さんと子供たちが6人もいてる。パパがとられてしまったら、どうなるかわからない。それを見るに見かねた一人の若者であった、リチャード・プラットという人が、身代わり徴兵を申し出ます。そしてこのプラット青年は、ジョージ・ワイアットの名前と登録番号を身に負って、戦場に出かけて、間もなく、戦死してしまうんですね。このプラット青年は、ジョージ・バイアットとして亡くなったということなんですね。
ところが、この後、ジョージ・ワイヤットは再び徴兵されたんです。お前生きてんじゃないか、ってことでね。それに対しまして彼は抗議をしまして、「私は、私の身代わりとなったプラットという人間において、すでに一度死んだのです。」軍の当局が調べたところ、たしかにプラットの身代わり徴兵が判明しまして、軍の記録では、ジョージ・ワイアット自身が死んだという記録が残ってたんですね。結論から申し上げますとね、彼は徴兵されなかったんです。彼のためにすでに、命を捨ててくれた人のおかげで、彼は死んだもの、と勘定されたが故に、本当は行くべきであった、行けば、死が即決まってるような戦場から、助かることができたのだと語るんですね。
イエスはあなたを愛して十字架へ
みなさん、キリストは私たちの罪を負って、私たちの身代わりとなって、十字架にかかって死んでくださった方です。なぜでしょうか。私たちの罪が赦され、神の子とせられ、天国に国籍を持ち、永遠の赦しを得るために、キリストは私たちが受けるべき、さばきの身代わりとなってあの十字架の上で死んでくださった。それだけではなく、3日目によみがえってくださったのですよ、と聖書は語るんですね。この十字架と3日目の死からのよみがえり、このキリストを受け入れるということですね。これが唯一の救いの道です、と聖書は語るんです。神は唯一です。また神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。この唯一の道は、すべての人に開かれています。
どうぞこのイエス・キリストを、信じてください。心からお勧めしたいと思います。