新約聖書
「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」
(1テモテ2:5-6)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.808 2015年9月20日

「神と人をつなぐ唯一の仲介者」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
 みなさん、こんにちは。
 本日、どうもこのようにお集まりくださいましてありがとうございます。
 ところで皆さん、このラジオ放送ということなんですが、世界で一番最初にラジオ放送したのはアメリカのマサチューセッツというところにあるラジオ局なんです。ラジオそのものを発明したレジナルド・フェッセンデンという人が放送局を作りまして、放送したのが1906年の12月24日なのです。この日はクリスマスイブの日ですよね。なのでその時の放送内容というのはクリスマス特集です。何と彼はですね自分でバイオリンを弾きながらクリスマスキャロルのメドレーを演奏するんですね。さらに独唱でクリスマスの讃美歌を歌います。そして、その後で聖書の朗読をする。司会兼、プロデューサー兼、アーティストということでですね、全部やってしまったんですが、まあ要するにこういうことなんですね。人類史上最初のラジオ番組の内容、それは「聖書と福音」なのです。それから110年たってこの福島でも「聖書と福音」が放送されてるということで「歴史的快挙やんか!」みたいなね。非常に私なんかドラマチックなものを感じるわけでございます。

テモテへの手紙第一 2章5節、6節

 さて、今日はこの聖書のメッセージのエッセンスをご紹介したいなというふうに思います。お手元のプログラム用紙の中を開いていきますと聖書の言葉、み言葉が出てきますね。まずここをお読みいたしましょう。

神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。

って書いてありますね。神と人とをつなぐ仲介者はただお一人、人として来られた神、イエス・キリストです。って言うんですね。この仲介というのは「繋ぐ」という事なんですけれども、神と人とを繋ぐためには、まず、人に神とはどの様な方なのかということを正確に知らせる必要がありますよね。

キャプテンクックの勘違い

 皆さんはキャプテンクックという船長をご存知でしょうか。今から250年ぐらい前ね、イギリスの一水兵であったんですけれども、どんどんどんどん出世しまして、最終的には冒険海洋船団の船長になるんですよね。まあ快挙を次々と成し遂げまして、太平洋の大航路を生涯に三度やるというそういう人物であります。
 彼がある時ですね、オーストラリアの大陸を発見しましてね、そして上陸した時に今まで見たことがないような動物を見るんですよね。カンガルーですよ。普通、動物って4本足で駆け回るんですけども、2本足歩行は人間だけと思ってたらね、カンガルーっていうのは2本足でも跳躍でですよ、ピョンコピョンコピョンコ跳んでですね、ものすごいスピードですごい移動をするんだということで、それで現地のアボリジニーと言われる人たちに「あれいったい何者だ」ということを聞いた。そしたら彼らが「カンガルー」。カンガルーかと言うことでこれが世界共通で通用する言葉になりましたね。
 現地の言葉がそのまま世界で通ずる、そういう名前になったと言うことなんですが、実は、みなさんこのカンガルーという言葉の意味ですね、「わしゃ知らん」という意味なんです。キャプテンクックはねジェスチャーで「あれなんや」と、その時に聞かれたのがね「分かりません」って言うたわけ。その分かりませんを聞いた時に、分かったと勘違いしたわけですよね。そして 、それが日本にまで広がりましてカンガルーということで通用してるんですよね。これは誤解なんですよね。どうしてこんな誤解が生じてしまったかと言いますと、英語が分からないアボリジニーの人と、そしてアボリジニーの言葉が分からない英語圏のキャプテンクックの間に通訳がいなかったからです。正確なコミュニケーションしようと思ったら両方の言葉、両方ともの考え方、発想法が分かってないと正確に繋ぐことが出来ないのではありませんか。

神様は憐れみ深い方

 実は、みなさん神様ってどんな方ですかって聞いたときに十人十色ではないかと思うんですよね。人生の中でひどい目に遭い続けてきた方にとって、神とはきっと残酷な方だと思われてるに違いない。しかし、でたらめな生き方しながら、特に困ったこともなく、すいすいやってきた人にとって、神とは「へへーん」というふうに笑い飛ばされるんじゃないですか。もし神がいたとしたら、その神の目は節穴であるという結論になるのではありませんか。
 人が想像する神は本当の神ではない。本当の神は、神自らが人となってこの世界に来、人に分かる姿と行動と言葉でそれを伝える以外になかったのです。この人として来られた神の子、それがイエス・キリストというお方であったのです。
 この方は憐み深い方でした。なぜですか。神が憐み深い方であるからです。この方は喜んで人間の見方をしてくださる神です。それを示すためにキリストは人としてこの世界に来てくださったんですね。

「温室育ち」は過酷

 皆さん「温室育ち」っていう言葉ありますよね。これは温室で育ったっていう意味ではありませんよね。何の苦労もなく甘やかされて育った人を温室育ちっていうんです。ちょっとこう、どうですか、見渡してて苦労人ばっかりみたいな人相が。ね。何の試練も受けずにぬくぬくと育った人を温室育ちな人というふうに言うんですが、ところが植物学者によるとね、それは違うって言うんですね。
 実はですね、この植物というのは光合成という活動してますよね。光を受けますと二酸化炭素を吸収して酸素を出す。それでこの世界がですね、うまく回ってるわけですけれども、ところが温室ビニールハウスの中では、基本時に密室状態になっておりますので、ふつう二酸化炭素がすごく不足してるんです。つまりね温室の中、ビニールハウスの中の植物というのはね、わずかな二酸化炭素を取り合いしてる。人間に置き換えて言うならばね酸欠状態で育成されてるんです。高山病の状態で、すうはーすうはーしたはるんや。だからね、はたから見たら温室、嵐が来ても、雨が来ても、風が吹いても、ビニールハウスの中で守られて何て試練の無い生活だろうかというふうに外側から見たそうなんですが、植物そのものからしてみるならば大変なストレス環境だと言うんですね。

キリストは人となられた仲介者

 皆さん、実はこういう事って多いんじゃないかと思うんです。つまりね、外から見たら楽そうに見える、はたから見たら気楽そうに見える、何の苦労もないように見える、あんな生活してみたいわ、と思われてるかもしれないけど、ご本人にはそのポジションでなければ被ることのなかったたくさんの責任感や苦しさ、その立場でないと 分からないしんどさ、この年齢に達しないと分からないあっちこっちの痛み、そういったことってあるんじゃないですか。なってみないと経験してみないと分からないことというのが確かに人生の中であるのではないでしょうか。
 みなさんキリストはね人間を経験したんです。このどうしようもない、このしんどい、この息の詰まるような、この人間というものを自ら経験するために人となった神、それがイエス・キリストという方なのです。なぜ人となって下さったのですか。あなたが人だからです。あなたのことを我がことのように、自分の問題のように背負うために、この方は人として来てくださった神なのだと聖書は語るんですね。
 皆さん、キリストは私たちの罪を負って私たちの身代わりとなって十字架に 架かって死んでくださった方です。

神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。

どうぞ救い主イエス・キリストによって立ち返ってくださいますように心からお勧めしたいと思います。

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