新約聖書
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
(ローマ6:23)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.799 2015年7月19日

「祝福のメッセージ‐福音‐」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
 私は先日、「伝わる話」の本を読みました。ファミリーレストランで、子供たちが店内を走り回っていますが、会話に熱中しているお母さんたちは、子供たちをほったらかしにしているんですね。さて、そのとき、どう言えばわかってもらえるでしょう。「他のお客様のご迷惑になるので、お子様を席にお戻し願えますか」。これは50点の答えなんだそうです。そんなことくらいではビクともしないお母さんが増えているからです。しかし、こういえばどうでしょう。「熱々の料理を運んでおります。ぶつかってこぼしたら、お子様に火傷をさせてしまうかもしれません。お席にお戻し願えますか」。これだと、たいていのお母さんたちも対応してくれるそうです。言っていることは同じで、子供を席に戻してほしい、ということですね。しかし、後者の場合、より耳を傾けていただけるのは、自分たちにとってそうすることがプラスになるのだ、という点を伝えているからです。そして、人間は自分にとってプラスになる話には、耳を傾けるんですね。たといそれが注意や禁止、阻止する内容が入っていたとしても、自分たちのためを思っての内容である、ということがわかるならば、それを聞くのです。私はそれを思ったとき、真っ先に思い浮かべたのは聖書でした。

あなたの祝福のためのメッセージ

 というのは、この聖書のメッセージほど、人間の祝福を思って語られているものはないからです。確かに、聖書は人間にとって耳の痛いことについても書いてあります。しかし、それも人間の最終的な祝福を願っての神からのことばなのです。
 実は、私はもうすぐあごの手術をします。奥歯が痛むので歯医者で診てもらうと、なんと、あご骨の中に腫瘍が見つかったのです。それで、口腔外科で手術をしてその塊を取り除かなければなりません。全身麻酔でする手術なんですが、その内容を前もって聞いてみると、気が遠くなるような恐ろしいものでした。しかし、それでもやはり、この説明、この報告は朗報なのです。放置していたらもっとひどい状態になるのを、この処置で解決することができるからです。
 さて、私たちの人生を台無しにする根本原因を根本治療するのが神のことばです。その聖書に、こう書いてあるんです。

 「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」


回復のために原因を知る

 ここに、人間をダメにする根本原因が指摘されています。それは、「罪」です。では、罪とは何でしょう。この「罪」の直訳の意味は、「的外れ」ということなんですね。人間は、人間を造った創造主に対して的外れの人生を送っている。神という的から外れて神以外のものを目的に生きることを、聖書は罪というのです。そしてこの罪のゆえに、本来受け取れるはずの祝福を受け取り損ねるようになってしまった、と聖書は語るのです。私は大学時代、奨学金をもらって勉強しました。
 ところで、奨学金には二種類あるんです。ひとつは、卒業後に返済する奨学金です。借りたものを返すのは当たり前で、低金利の返済は、実にありがたいことでした。しかし、もうひとつ、返さなくてもよい奨学金があるんです。これは、高校時代、特に優秀な生徒が大学入学前に手続きをして合格するともらえるものです。返さなくてもよいのですから、こんなに助かるものはありません。当然たくさんの応募がありますが、ごくごくわずかな成績優秀者だけが手にすることのできる特権なんです。
 そして、私の大学時代の友人に、この待遇を受けていた学生がひとりいたんです。彼は元々自宅から通っていましたので、家賃も食費も使うことはほとんどありません。その上、毎月5万円近いお金が振り込まれてくるんです。それは、本当にうらやましい生活でした。ところが、真面目一筋だった彼は、ひょんなことからパチンコにハマってしまったのです。それまでの禁欲的な生活が反動を起こしたように、彼は朝から晩までパチンコに入り浸るようになりました。負けてもそんなに困りません。なにしろ毎月、返さなくてもいいお金が入ってくるんです。しかし、問題がひとつありました。学年の終わりに、スポンサーに対して成績表を提出しなければならなかったんです。それを見たら、そもそも出席日数がまるで足らない、ということがわかります。そして、その結果、彼はこの特権を取り上げられてしまったのです。取り上げたスポンサーを責める理由はありません。与えられていた奨学金というお金の使い道を、的外れに、ギャンブルに使った彼が悪いのです。

創造主から離れてしまった人間

 神は人間に、数々のすばらしい特権と祝福を満たして人を創造なさいました。なによりも、人間に自由意志を与え、人生を実感できる能力を与え、知性を与え、他の全ての生き物とは別格に造られたのです。しかし、最初の人間はその自由意志を間違ったことに使ったのです。神を認め、神と共にこの世界を治める道を選び取るために自由意志を用いたのではなく、創造主を排除し、神に反逆し、神から離れて生きる道を選び取るために、その自由意志を使ってしまったのです。奨学金を、勉強のためではなくギャンブルのために使った学生がその特権を取り上げられたのと同じように、自由意志を間違って使った人間は、尊厳や、栄光や、すばらしさが、大いに損なわれてしまったのです。しかも、この神といういのちのルーツとの関係を切った結果、人は死ぬものとなりました。まさに、罪から来る報酬は死、なのです。

解決の手段はイエスにある

 先日、老健施設で働く方がおっしゃっていました。ご高齢のかたがたは、体に痛いところ、しんどいところがあちこちにあります。それで、皆さん「早く死にたい」「この世に何の未練もない」とおっしゃるのです。ところが、いよいよ衰弱されて死が近づいてくると、皆がみな「助けてくれ」「死にたくない」「恐ろしい」と、拝むようにして訴えてこられるというのです。しんどいときに口にする「死にたい」という言葉は、本気ではありません。正確には「楽になりたい」とおっしゃっているんです。「死」そのものを願う人はいないのです。ただ、今の苦しい状況から逃れたいことを「死にたい」と表現されているだけなんですね。人間の力では死が解決できないということを、本能的に知っているのです。本物の解決は、キリストにだけあります。なぜなら、聖書にこう書いてあるからです。

 「しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」。



 キリストは全く罪を知らない方でしたが、あなたの罪を負って十字架にかかって下さいました。あなたの代わりに、あなたの罪の責任を一身に背負って、死んで下さったのです。そればかりか、死後3日目に復活し、人類最大の敵である死を、骨抜きにしてしまわれたのです。これが、本当の朗報、福音です。どうぞあなたも、イエス・キリストを信じて、永遠のいのちをいただいて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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