「復活の事実に立った人生」
ところで、ガリバー旅行記はもともと子ども向けの他愛ない童話などではなく、当時のイギリス社会を皮肉った痛烈な文明批判の書物なのです。あるときガリバーは不死の人たちの住む国へ行くんです。そこに住む人々は永遠に死なないんですね。そんなことを住民から聞いたガリバーは心底羨ましいと思います。例えば200才まで生きたら貯金も貯まるし、知識も増える。その結果、凡人であっても大金持ち、大学者になれそうだと期待するんです。
しかし、彼が見た現実はそんな生易しいものではありませんでした。何百才も生きてると歯も髪の毛もなくなります。手当たり次第食べるんですが食欲があるわけではない、味が分かるわけでもない、ただ食べているだけなのです。本を読んでも一つの文章の前の方は忘れてしまうので結局読んだ事にはなりません。なんでも忘れてしまうのです。人の名前はもちろんの事、自分の名前さえもです。しかも病気になりあっちこっちひどく痛むのですが死ぬわけではない。そこでガリバーは言うんです。「こんな不快な人間は見たことがない。」しかも彼の見る所、女性は男性よりさらにひどいのです。普通の不快さに加えて、他に何とも言えない鬼気迫るものを発散してるではありませんか。
死なない生物
ガリバーがこの本を書いたころ、イギリスでは神がなくても医学の力で人間は命をいくらでも伸ばしていくことが出来るとする考えがありました。しかし、長寿そのものの中に幸せがあるんだろうか、ただ長く生きるということにどんな意味があるのだろうか、と作者のスウィフトは問うているんです。
聖書は人間に永遠の命を与える神の約束です。聖書の語る永遠の命はただ長く生きる、永遠に死なない命というのではなく、決して老いることも病むこともない命であり、神を知る命なのです。
そんなことは世迷い事だと思われますか。実はこの自然界には死なない生物がいるということが発見されているのです。それはベニクラゲです。普通のクラゲは成熟後徐々に衰弱してやがて海水に溶けて消滅してしまうのです。ところがベニクラゲは老衰では死にません。年をとるとポリプと呼ばれる幼いころの状態に逆戻りして再び成長を始めるんです。
人間に当てはめると、人生の黄昏を迎えた老人が、赤ん坊に戻り、もう一度幼年期、少年期、青年期、壮年期を過ごし、老年期の次にはまた赤ん坊に戻ってしまうのです。つまり不老不死の生物なのです。不老不死は決して夢幻の空想物語ではありません。実例が実際の自然界に存在しているのです。とは言えベニクラゲも死なないわけではありません。天敵に食べられたり、重傷を負ったりすると死んでしまうからです。
聖書は永遠の命を語る
しかし、聖書はたとえ死んでも、また殺害されても 、永遠に老いたり、病んだり、滅びたりしない肉体をもってよみがえらされ、永遠の天国に生きる道を示しているのです。果たして本当にそんなことがあり得るんでしょうか。それを信ずる根拠とは一体何なんでしょう。聖書に次のように書いてあります。
「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」
キリストは私たちの罪を負って十字架に架かって死んでくださいました。その後三日目に復活し、よみがえった肉体の姿をもって弟子に何度も何度も現れ確信を与えます。それで弟子たちは迫害、弾圧、殉教をものともせずに世界中に出て行って、この復活のイエス・キリストの福音を述べ伝えたのです。自分の命の危険と引き換えにしてでもキリストの復活を述べ伝えたと言うのです。ウォーターゲート事件
昔、アメリカのニクソン大統領の側近にチャールズ・コルソンという人がいました。彼はニクソン大統領の一大スキャンダル、ウォーターゲート事件に係わったために投獄されてしまうのですが、その中でクリスチャンになった人物です。彼は自分の経験の中からキリストの復活は本当だと確信したっていうんですね。このウォーターゲート事件というのは大統領が野党本部ビルに盗聴器を仕掛けたことが発覚し、遂にはアメリカ歴史上初めて、大統領の辞任にまで発展した政界スキャンダル事件なんです。
さて、この事件はニクソン大統領に忠誠を誓った側近たちが共謀して起こしたのです。しかし、側近の一人であるジョン・ディーンという法律顧問は、当局の捜査が始まってたった2週間で我が身を守るために大統領に不利な証言をするのです。たった2週間でこの事件の隠ぺい工作は失敗に終わるんです。そうなると誰もかれもが罪を軽くしてもらうために先を争ってぺらぺらと証言を始めてしまうのです。大統領の側近たちが直面していたのは死刑ではありませんでした。単なる投獄の可能性なのです。
弟子たちは命がけでイエスの復活を証言した
それに対してイエスの弟子たちは死の危険性に直面していたのです。それにも係わらず、あの無力なキリストの11人の弟子たちは死に至るまで「イエスは肉体的によみがえった」という証言を誰ひとり曲げることはありませんでした。もしキリストの復活がでっち上げられた話であるならば、殺される前に一人ぐらい白状していたはずです。なぜなら人は真実のために命を捨てることは出来ても、嘘のために命を捨てることは出来ないからです。
イエスの弟子たちはイエス・キリストの復活を否定することは出来ませんでした。それは、よみがえったイエス・キリストと直接に出会っていたからです。2千年たってもキリストが復活して今生きておられるという事実は変わりません。この事実の上にクリスチャンの望みがあるのです。そしてキリストがよみがえったことが事実であるならば、死後に天国と地獄があるということも事実となります。なぜなら死後の世界に行って、見て、戻ってきた方がそう言っておられる、ということになるからです。
ではどうすればよいのでしょう。聖書の語る通りにキリストがあなたの罪のために死なれたこと、また墓に葬られたこと、また3日目によみがえられたことを信じ、キリストによって完成したこの救いを受け取ることなのです。どうぞイエス・キリストをご自分の救い主として、今日心の中に受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。