新約聖書
 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.759 2014年10月12日

「あなたを愛される神」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
 みなさん、こんにちは。本日はどうも、このようにお集まり下さいましてありがとうございます。
 私の大好きなラジオパーソナリティの一人にね伊集院光さんという方がいるんです。実は彼は高校進学の時に失敗しましてね。地元で評判のあんまりよくない高校に進学するのです。なにかね、この自尊心がもひとつ持てないという事で、不登校になってしまいます。そして高校二年生の時にもうこんな高校止めた、そして、俺は落語家になるというふうに宣言するんですね。どうして落語家なのかというますとね。不登校の時に立川談志という落語家の落語を聞いてると元気になってきたっていうんですよ。よし、僕は落語家になると言って楽太郎という人の弟子になるんです。この辺がようわからないんですよね。まあね、あの親戚のおじさんが楽太郎師匠の知り合いだったていうことでね。楽太郎さんのその弟子になるんです。で、彼が弟子になった時に兄弟子が一人しかいなくて、もう弟子合計二人だから、師匠がみっちり稽古付けてくれたそうです。ところがね彼ね、話の中で、独自のギャグ飛ばすんです。すると師匠がねそんなこと話の中に出てこないだろ。ギャグはあんまり軽はずみに飛ばすもんじゃいなよていうふうに言われるんですが、お客さん「わーっ」て、それで湧くんだからいいんじゃないかいうことでね、聞きながしていた。
 そしてある時楽太郎師匠が一本の古いカセットテープを渡してくれたそうです。雛鍔というね。短い話なんです。二十歳そこそこの談志が、雛鍔を演ずる時ですね。ギャグ一回も出さずにね。演技と間だけで金持ちと貧乏人のその落差から出てくる悲しさ、寂しさ、悔しさ、そして親の気持ち、あるいは子の気持ち落語なんだけどね、笑うんですけどほろっとくる、別格、これが落語だというのを見せつけられた時に、ああ、これは私がどんなに頑張っても一生かかっても無理だという事で落語家辞めるです。

自分で自分のことがわかないとき

 そして、自分が後にラジオパーソナリティーになった時に談志師匠がゲストで来てくれるんですよね。その時に私はね師匠の雛鍔を聞いてそれで落語を辞めたんです。って言った時ね、一言こう言ったそうです。都合の良い言い訳できて良かったな。君はもともと自分の落語に限界を感じて辞めたいと思ってたやろ、だけど、理由もないのに辞めますというのは言いにくいし、聞き入れてもらえない。そこで名人談志の落語を聞いて辞めますという上手い言い訳に乗っかった。いやー、本人であるあんたも騙されてんだよ。本当のところはそうだろというふうに言われた時ね。本人である自分ですらも気が付いていなかった自分の本心を物の見事に明らかにしてくれたその人の前に立った時にね。怒りじゃなく、焦りじゃなくてね、すごく落ち着いたそうです。自分でも自分の行動の本当の理由がよく分からなかったんだけど、自分の事よーく分かってくれる人は本当の自分の道に行けて良かったじゃないかというふうに言ってくれてるのを見た時に嬉しかった。というそういうインタビュー記事をみたんですね。

神はすべてをご存じの上で愛される方

   皆さん、人間てね自分の本当の姿を知っている理解者の前では落ち着きを取り戻すことができると思います。なぜなら飾る必要がないからです。飾ったって、ばればれ。神様の前にはなんにも隠す必要がない。神様っていう方はどうしてそんなに自己弁護にはしるのか、どうしてそんなにむきになるのか、どうしてそんなに過剰防衛的なのか、どうしてそんなに簡単に誘惑に負けちゃうのか、なぜそうせずにおれないかという深い心の中の空虚や闇をご存じなのです。ご存知の上で軽蔑なさらないのです。私たちには何が足りないのかよくご存知です。なぜ、私がいつも言い訳がましいのか、本当の弁解者、弁護者を持ってないから、どうして私はそんなにむきになるのか、本当に自分自身の価値を改めて証明する必要がない。私の価値を認めて下さる。宇宙の作者がおられるということを知らないからではないか。どうして簡単にこんなことに手を出してしまうの、本当に本来心が満たされているべきお方を持ってないから、皆さんこの私たちの作者から離れた人間がおこすいろんな問題行動を神は全部ご存知の上で世になってしまった事を知った上でそれでも私たちを愛してくださる方なのだという事です。

警官のジレンマ

    第二番目に、この方はひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを私たちに与えるためにキリストを捧げて下さったって言うんですね。
 実は、この夏、私は菅平のバイブルセミナーという所でお話をしたのですが、そこにご年配の女性が息子さん夫婦に連れられて参加されたんですね。このご年配のお母さまがですね。頭の回転速い、口の回転早い、フットワーク無茶苦茶良い。まぁ、元気元気元気印のお母さまだったんですけれども、そのお母さんにこう言ったんです。お母さん、もしあなたが現職の婦人警官だったとします。ほんだらね、なりたかったのよ、私。一度ね、ピストル持ちたかったのよ。ふえぇー。そうなんっすか。でね。銀行強盗犯を現場でね、現行犯で捕まえたとします。うん、私だってやるかも。でも、その犯人がね、覆面してたのでね、その覆面をワーッと取ったらね、息子さんが出てきましたと。その息子さんがね。お母さん、お願いだから見逃してっていうふうに言ったら、お母さんあなたはどうしますかって言ったらね。うーん、息子が、見逃してって言ってるんだらね。見逃す。でも、見逃したことが後で発覚したらお母さんそれ逮捕されるんじゃないんですか。逮捕されます。って言ってね。まぁ、皆さん、それはね、身内がした犯罪だっていうことでね。警官が大目に見るってことは、正義の警官として失格です。でも、息子だから何とか守ってやりたいっていう気持ちもわかる。

正義の神が罪の赦される方法

 神様はね、あらゆる罪人を漏れなく許したいのですが、良いよ良いよ、罪はいいよって言ったら、これは正義の神じゃない。正義の神様ですから、正義を全うしながら、同時に私たちの罪を許す。私たちを救うために神は実にその一人子イエスキリストを十字架にかけて下さって、本来人間が受けるべき裁きをイエスキリストに負わせてくださったのですよ。この死んでくださった方、いや蘇って下さったイエスキリストこそは私たちの救い主なのです。そして私たちに求められているのは、それは御子を信ずる者はってことなんですね。このイエスキリストを是非信じて頂きたいのです。

神は私をどれほど愛している?

   まだですね、娘がね、幼かった頃ね、彼女はね、ほんとにね、お父さんっ子でした。お父さん好き、お父さん大好きってね。でね、ところが、ある日を境にですね、ちょっと難しい言葉を使うようになったんですね。お父さん愛してるわよ。愛。じゃあ、君はどれくらいお父さんの事を愛しているの。うーん。一万円ぐらい。一万円か。傍で聞いていた兄ちゃん達がね。せめて二万五千円って言うたれとか。まあ、そん時には失望したんですが。後で聞きますとね、その一万円っていうのは、当時彼女が知っている一番大きな数字だったのです。どれぐらい愛しているか。私が知っている数字の中で一番最大限の一万円ぐらい。これ以上はないというぐらい愛しているわよ。神は私たちをどれぐらい愛して下さったのでしょう。じつにその一人子をお与えになるほどに愛してくださったのです。そして、私たちを愛してくださる方が私たちのために悪を企てるという事はあり得ないことです。私を愛してくださっている方のアドバイスや招きは私たちに祝福をもたらすものに違いないんですね。ですから皆さん、それは御子を信ずる者が一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。この御子を信ずる者の中にどうぞご自分の名前を入れる事です。イエス様こんなまだ十分よくわからないけれども、私のために救い主となってきてくださったお方を私は信じたいと思います。どうぞ助けて下さい。って決心してください。心からお勧めしたいと思います。

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