新約聖書
『 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。 』
(ヘブル2:17)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.916 2017年10月15日

「力ある大祭司イエス・キリスト」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
タレントの伊集院光さんがブログの中でこんなことを書いておられました。
あるときファミリーレストランで食事をとっていたと言うのです。少し離れたボックス席に親子三人の家族が食事をしていたのですが、お父さんとお母さんが見るからにやんちゃな感じの人なのです。
このヤンキーの父親が小学三年生ぐらいの息子に言ったんです。「おい、あれ伊集院じゃねえ。お前ちょっと行って確かめてこい。」伊集院さんは厄介なことになったと思いました。しかし邪険にすると何を言ってくるか分かりません。
急に料理の味がしなくなるのを感じながら知らんぷりをしていると男の子がやってきます。そして開口一番こう言ったっていうのです。「おくつろぎのところ申し訳ありません。」
思わず少年の顔を見ると彼は続けて言いました。「テレビに出ていらっしゃる伊集院さんでしょうか。人違いでしたらお許しください。」「はい、伊集院です。」
思わず丁寧に返事してしまったって言うんですね。
伊集院さんはこう思ったそうです。日本の将来は彼に託そう。
ところで、伊集院さんは丁寧に答えてしまったのはなぜでしょう。仲介者の少年が麗しく礼儀正しかったからです。
伊集院さんとの間を取り持った少年がとてもできた少年であったために自分の素性を明らかにしたと言うのです。
たとえ本人はどんなに崩れていても、仲介者が偉大であるならば関係を持つことが出来るのです。実は、神様は私たち人間に最高の仲介者を与えてくださいました。
神と人との間を取り持つ仲介者のことを聖書は「大祭司」と語るのですが、実にイエス・キリストこそは神と神から遠く離れた罪人とをつなぐ大祭司なのです。
聖書に次のように語られています。

そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。

ここにはキリストが力ある仲介者である理由が三つ紹介されています。

神に対して忠実な仲介者キリスト

第一に、キリストは神に対して徹底的に忠実な方であったために、神が喜んで言い分を聞く仲介者であるということです。
リンカーン大統領はあるとき陸軍連隊のいくつかに異動命令をするというサインをするのです。
実はこの異動によって利得を得る政治家がいて、裏で糸を引いていたんです。リンカーン自身はそんなことは知りません。
しかし、戦場の現場を預かっていた陸軍長官は腹を立てました。自分のテリトリーを頭越しに動かされたばかりか、そのサインの理由が私腹を肥やす政治家の糸に乗っかることであったからです。
彼はリンカーンの命令を無視しただけではなく、「そんな命令にサインするということはリンカーンはバカ野郎だ!」とつい罵ってしまったのです。
この陸軍長官の大統領非難発言はあっという間にリンカーンの耳に入りました。
さてリンカーンはこの反抗的な部下に対してどう対処したでしょう。平然とした顔でこう言ったそうです。
「彼がそういうなら私はきっとバカ野郎なんだろう。何しろ彼の言うことは間違ったためしがなかったからねえ。」そしておもむろに立ち上がると、どれちょっと彼のところに行って自分で事の真相を確かめてこよう。と言ったのです。
リンカーンがあくまで紳士的な態度を取ったのは彼の人格的な力もありますが、同時にこの陸軍長官の今までの働きぶりが目覚ましいものであったからです。
彼が言うことには耳を傾ける価値があるということ、今までの実績で十分に認めていたからです。
神はご自分の一人子を全面的に信頼していました。それはキリストがただの一度も神をがっかりさせたことがないからです。
あの陸軍長官のような暴言を口にすることもキリストは一度もありませんでした。いつでも神を崇め、神からの使命を忠実に果たしきってきた方でした。
だからこそ神はキリストの言い分には喜んで耳を傾けるのです。

人のことを完全に理解される大祭司キリスト

第二に、キリストは罪人である人間に対しては憐み深い大祭司だと言うのです。
なぜなら神の一人子でありながら、自ら人となって、人間の弱さを身をもって知った方であるからです。
キリストは一度も罪は犯されませんでしたが、全ての点で人間と同じようになられたのです。
サスペンス映画の巨匠にヒッチコックという監督がいらっしゃいました。彼がいた当時も今も絶大な人気を誇る名監督です。
ところがアカデミー賞を手にすることは無かったのです。5回もノミネートされたのにどうしても手が届かなかったのです。
恐らく当時は感動の名作映画は評価されますが、サスペンス映画は一段下に見られていたからかもしれません。
しかし、そんな悲運の名監督にとうとう大きな賞が贈られる日がやってきます。1979年アメリカ映画協会は彼に功労賞を決定するのです。その時ヒッチコックはすでに80才。最後の作品を取り終えてすでに3年たっています。最晩年の受賞であったのです。
その式で彼はスピーチをするのですがこういう風に語るんですね。「この私に大きな愛と高い評価を与え、常に励ましと、惜しみない協力をしてくれた四人の人物をここで紹介させていただきたい。一人目は私の映画の編集者、二人目は私の映画の脚本家、三人目は私の娘パトリシアの母親、そして四人目は我が家のキッチンで料理を作り続けてくれた名コック。偶然にも四人の名前は全部同じです。その人の名はアルマ・レヴィルです。」アルマ・レヴィルとは誰でしょう。ヒッチコックの奥さんです。
彼女は妻であるだけではなく彼の映画の編集者にして脚本家、家庭を守る同志にして最大の味方だったのです。ヒッチコックが評価されない時代、ずっとそばにいて、励まし続け、勇気付け、協力を惜しまなかったのは彼女がヒッチコックの伴侶だったからです。
二人は運命共同体でした。だから誰よりも彼を理解し、支えることが出来たのです。
キリストは罪人の理解者となるため罪は犯されませんでしたが、人となり、人の弱さを体験し、人のために力ある弁護をする方となられたのです。この人となった神の一人子こそ人間に必要な憐み深い大祭司なのです。

あなたのために死に、よみがえられたキリスト

第三に、キリストは神と人との間にある最大の障壁である罪を取り除いてくださった唯一の方だからです。
キリストがどんなに神に忠実でも、人間の罪が残ったままである限り執り成すことは出来ません。なぜなら神は聖い正しい方なので罪を大目に見ることができないからです。
また、キリストがどんなに人間に憐れみ深い大祭司でも人間の罪の解決に無力であるなら本当の助けにはなりません。
この罪の故に、人は死後、永久の滅びに落ちて行くことが定まっているからです。同情だけでは罪の赦しはないのです。
そこでキリストは罪なきご自分を十字架の上で神にささげ、人間の身代わりとなって裁きを引き受けてくださったのです。
このキリストの身代わりの死によって神の正義が満たされたのです。これを「なだめがなされた」と言うのです。
どうぞあなたのために死んでくださった方、いやよみがえられたイエス・キリスト、あなたのために執り成す大祭司なるキリストをご自分の救い主として信じ受け入れてください。心からお勧めします。

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