新約聖書
『 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 』
(ローマ5:8)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.905 2017年7月30日

「十字架に示された無条件の愛」

おはようございます、慶相龍です!

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精神科医で医学博士の岡田尊司さんは、その著書「悲しみの子どもたち」の中で、事件を起こす非行少年について次のような内容を提示しています。

小さいころから親に叱られ否定され続けてきた子どもや、親の気持ちや顔色に振り回されてきた子ども、人より勝った存在でなければ親に価値を認めてもらえなかった子ども、親の操り人形のように育てられ、受動的で人とのつながりを楽しめない子ども、それらの子どもたちすべてが自分に対して否定的な評価を抱いている。
わが身を危険にさらす非行行為は、自分に否定的な思いからくる自傷行為である。
最近、増えている「良い子」、「優等生」だった子による犯罪は、親の条件きの愛情のもたらす悲劇でもある。親が子にしてやれる最善のことは、子どもをありのままに受けとめることだ。

このように、親による条件付きの愛は、時に人を不幸にします。時に人を自殺、あるいは非行という自傷行為に追い込みます。
そのあげく他人に危害を加えるようになり、殺人という最悪な結果にまで人を追い込むこともあるのです。

人は無条件の愛を求める

聖書の中に「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」という一節があります。
「人の愛」ではなく、「人の変わらぬ愛」、つまりあなたをありのままで受け入れる、条件によって変わることのない無条件の愛を人は求めているというのです。
しかしながら、無条件の愛というのは人間の内には存在しません。人間による、どこまでも条件付きの愛では人の心は決して満たされないのです。人間を造られた神だけがあなたを無条件に愛してくださる、あなたの魂の親であり、この方だけが無条件の愛で、あなたの心を満たすことができるのです。
今日は神の無条件の愛について考えましょう。聖書の中に次のような言葉があります。

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

キリストは今から約2,000年前という神の定められたときに、神を神と認めも、あがめも、敬いもしない、神に敵対する私、そしてあなたのために死んでくださったのです。
これが、神であるキリストが無条件の愛であなたを愛している証拠だというのです。

在日韓国人としての人生

私は在日韓国人3世として、広島県に生まれました。
4歳になるまで韓国や朝鮮国籍の人たちが集まって生活する貧しい地域で父、母、妹、そして祖母と5人で暮らしていました。その後、祖母一人を残して大阪に引っ越したのです。
私は祖母が大好きでしたので、夏休みや正月休みに広島の祖母の家を訪問するのがとても楽しみでした。祖母は小さい体でリヤカーを引きながら、段ボールを収集する仕事をしていて、手はしわくちゃだらけでした。寒い冬に祖母を訪問すると、祖母はそのしわくちゃだらけの手で私の手を包み込み、さすりながら温めてくれました。
ところが、中学生に上がったころ、私は国籍のことでクラスメートにからかわれ、馬鹿にされ、やがていじめられるようになりました。そのころから、私は私が韓国人であることを恨むようになったのです。
韓国、朝鮮という言葉を聞いただけで、逃げ出したくなるような嫌悪感を抱くようになりました。韓国人として日本に私を生んだ親や、そもそも朝鮮半島から日本にやって来た祖母のことも、心の中で恨むことがありました。その頃から私は、広島の祖母の家をあまり訪問しなくなり、次第に疎遠になっていったのです。
ところが、私が高校2年生の頃、祖母は心臓発作で倒れました。それをきっかけに祖母は北朝鮮にいる末息子のところで暮らすことになりました。そして北朝鮮に旅立つまでの約一週間の日本での最後のときをわが家で過ごすことになったのです。
私は困りました。祖母と一つ屋根の下にいることが嫌で嫌で仕方なかったのです。なぜなら、日本語が上手でない祖母のことを、近所の人に見られたくないという思いで心はいっぱいでした。早く北朝鮮に行ってくれ、といつも思っていたのです。
私は心の中ではかわいそうだなと思いながらも、祖母に対して冷たい態度をとりつづけました。もし、まかり間違えて、祖母がこのまま私たちと一緒に暮らしたがるようになってはいけないと思っていたからです。
だから祖母はそんな私との生活の中で、次第に遠慮がちになっていきました。

祖母からの愛

祖母との別れの朝がやってきました。薄暗い畳部屋の片隅で、ちょこんと座っていた祖母の小さな背中が忘れられません。
私は背後から祖母に近づき、細い肩をトントンと2回たたいて「元気でな。」と声をかけてから学校に行きました。
自転車を飛ばしながら、私の目からは涙が止まりませんでした。気が付くと「おばあちゃん、ごめん、おばあちゃん、ごめん」と言いながら泣きじゃくっていたのです。
祖母が北朝鮮に移り住んだ後、私はある事実に驚きました。祖母は私が大学に行くときに必要だろうと言って、長年の間段ボールを集め、そして自分の住んでいた大切な家を売却したお金の中から多くの金額を私のために残していってくれていたのです。
早く北朝鮮に行ってしまえと思っていた私のために、ろくに会話もしないで終始冷たく接していた、この上なく祖母不幸な私のために、祖母は大切なお金を残してくれていたのです。
なぜでしょうか?理由は一つしかありません。祖母に対してどれだけ罪深い私であったとしても、それでも祖母は私を愛してくれていたからです。

神は愛してくださっている

さて、キリストは神です。その神が人となってくださいました。
神をあがめもせず、敬いもしない私、そしてあなたのために、神であるキリストは辱められ、全身の筋肉がざくろのようになるまでむちうたれ、傷つけられ、十字架にくぎ付けられ、そして、瀕死の状態であなたのために祈ってくださいました。
「父よ、彼らをお赦しください」。そうしてキリストは、あなたの罪を背負って、あなたの受けるべき刑罰の身代わりである死を経験してくださったのです。
なぜでしょうか?理由は一つしかありません。あなたを愛しているからです。
あなたがどのような罪人であったとしても、ありのままのあなたを、無条件の愛によって、心から愛しておられるからです。
キリストが、罪人であるあなたのために死んでくださったことにより、あなたに対するご自身の愛を明らかにしておられるのです。
どうか、こんなにも無条件の愛によって心からあなたを愛しておられるキリストを信じてください。
この方の愛で満たされてください。こんな愛をもって、あなたのすべての罪を背負って十字架に死なれ、あなたの罪を処分し終えて、よみがえられたキリストをあなたの救い主として受け入れ、罪の赦しと永遠のいのちをご自身のものとしてください。心からお勧めいたします。

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